「いつ目が覚めたんだ?」
波男が料理を口に運びながら問う。
今日の夕ご飯は天ぷらうどん。起きたばかりの実南が食べやすい料理にしようと、由美が作ったものだ。
「今日のお昼頃よ。実南の部屋に行ったら起き上がってたの。吃驚したわ」
「ごめん」
申し訳無さそうに謝ると、由美も波男も笑った。
「良いのよ。あなたが目を覚ましてくれる方が嬉しいんだから」
「そうだぞ。目が覚めたと聞いたときは、跳び上がって喜んだくらいさ」
「もう、あなたったら」
ダイニングで過ごす家族の時間は幸せなものだった。
実南の母由美は、強い女性だった。
現役の頃はバリバリ働く所謂キャリアウーマン。仕事の出来る人だったようで、結婚して仕事を辞めることになるときには力強く引き留められたそうだ。
教育方法も決して甘いものではなく、社会の厳しさを小さいうちから叩き入れた。
実南にとって、親としても人としても尊敬出来る人物だった。
反対に父波男は穏やかな男だった。
男性にしてはナヨナヨしていて女々しいと言われるかもしれないが、本当に優しくて心温かい人間なのだ。
そして人一倍情に厚い男で、人に対しての心遣いは大きく、一度決めたことはやり遂げる努力家でもあった。
そんな彼だからこそ、由美も心を打たれたのだろう。
二人の間に生まれた実南は、それはもう愛されて育った。厳しくも優しい家庭に包まれて育った実南は、好きなものに真っ直ぐで純粋な少女として成長した。
そんな二人にとってのたった一人の娘が、急に目覚めなくなったのだ。
それはもう大騒ぎだろう。
普段強くしっかりした由美も、底しれぬ恐怖に襲われた。波男は全体的に暗い雰囲気を纏い、亡霊のような姿のまま仕事に没頭した。
実南が眠っていたときはお通夜のような雰囲気が家を包んでいたのだ。反対に目覚めた際にはパーティーでも開きたい気分だった。
大袈裟ではない。目が覚めた。それだけで二人はとても幸せだったのだ。
「心配かけてごめんなさい。もう体調は平気だから、大丈夫だよ」
本当に嬉しそうに話すものだから、実南も先程の落ち込んだ様子からつい満面の笑顔へと変わってしまう。
「それなら良いんだ。これからも無理しちゃダメだぞ」
「そうね。きっと疲れてたのよ」
「うん。そうだと思う」
由美の作った美味しいうどんを口に含む。
「明日も休むのかい?」
「それが実南ったら、明日からもう学校へ行くって言うのよ」
そう。実南自身、体調不良では無いのを知っている。故にこれ以上学校を休む訳にはいかなかった。
「え! もう行くのかい?」
「もう少し休めばって言ったんだけど、行くって言って聞かないのよね」
「三日休んだだけで課題あんなに貰うんだよ? 早く行かないと終わんないよ〜」
不満げな顔で泣き言を漏らす実南。
その姿を見て顔を見合わせ笑う両親。いつも通りの元気な姿に安心した。
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次の日。実南はいつも通り目を覚まし、朝早くに家を出た。その理由は勿論空を眺めに行く為。
病み上がりを理由に両親には止められたが、実南は平気だと言い張って橋へと向かった。
最近は猛暑日が続いて、雲の無い快晴ばかりだが、どうしてもあそこから空を眺めたいと思ったのだ。
近所の橋に着く。
時間は早朝故に、周りには誰もいない。
柵に手をかけ、暑い中でも視線は空に向ける。
眺めながら色々考えた。
グラースは今どうしているだろうか。目が覚めて一日経ってしまったが、浄化は終わったのだろうか。
いや、浄化を続けていたらきっと雨が降っているはずだ。天気予報を見たが、昨日も今日も全国的に晴れ。三十度超えが平均的になっている。
雨が降っておらず気温も高いままとなると、やはり浄化は終わっていないのだろう。
あの恐ろしい陽龍を思い出し、実南は心を痛めた。
「おはよー」
朝から考え事ばかりしていた為、駅に着く頃には気疲れしてしまっていた。
「おはよ」
「実南ちゃんおはよ〜。体調は大丈夫?」
「平気! 特に問題無いよー」
電車に乗りながら話す。
乗る電車はやっぱり予定より一つ遅いもの。
「課題は終わったの?」
「いや、それが……」
眼光鋭く問い掛ける朱里に、実南は目を泳がせた。
「どうせそんなことだろうと思ったわ」
「学校で一緒にやろうね」
「はい……」
他愛も無い話をしながら、学校へ向かった。
いつも通りのように見えるが、やはり実南はどこか元気が無さそう。
幼馴染二人はそのことに気付いたが、今は何も言わないでいた。
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学校へ着いた三人。
授業が始まるまで実南の課題を手伝う朱里と紗由理。
その空間は珍しく静かだった。
普段であれば黙々と勉強するのが嫌で、直ぐに話始める実南。
しかし今日はどうだろう。一言も喋らず机に齧り付いている。たまに顔を上げたと思ったら、ぼうっとして再び課題手を付ける。
朱里としては、それが普段望んでいた姿なのだから言うことはないが、それでもやはり本調子でない彼女に戸惑ってしまった。
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その日一日、実南はずっとそんな感じだった。
体調が悪い訳では無いので、他のクラスメイトたちは彼女が普段通りに見えていたようだが、長年の付き合いというものは侮れない。
何かをずっと考え、悩んでいる実南に朱里は声を掛けた。
「ちょっと話しましょ。近くの公園に行くわよ」
「え……」
有無を言わせない圧力に、実南は疑問を口にする前に手を引かれた。
