雲の泡沫




 長い時間をかけて、今までの出来事を全て話した。
 最初に水面都市に行き、そこでクルレーという水の精に出会ったこと。その次に雲海都市に行き、そこでは雲の精グラースに出会ったこと。そして危ない状況で、強制的に現実世界に戻されたこと。
 他にも各精霊の主な活動と、それが現実世界とどうリンクしているかについても話した。
 支離滅裂な文章だったが、静かに聞いてくれた二人のお陰で伝えたいことは全て伝えられた。

「……つまりあなたは、この三日間二つの都市に行っていたってこと?」
「そう!」
「でも、体はここにあったんだよね? 意識だけそこに行ってたってことかな」
「もしそうなら、ただの夢だったていう可能性も捨て切れないわ」
「それはないよ! 最後、あんなに喉が苦しかったんだもん。あれが嘘だとは思えない……。それに、現実世界が日照り続きな理由も、グラースが教えてくれたし……」
「確かに雨が降らないのは事実だよね」
 不安げに言う実南の言葉に、紗由理は同調する。
「信じる信じないは置いておいて、グラースとかいう精霊の判断には感謝しているわ」
「そうだね。もし雲海都市で実南ちゃんが死んでたら、こっちでどうなるか分からなかったし……」
 確かに、あのまま雲海都市にいたら死んでいたかもしれない。
 それくらい陽龍は恐ろしいものだった。
 けれどやはりグラースのことが胸につっかえる。

 そんな実南の姿を見て、朱里は口を開く。
「好きなことに真っ直ぐなのは実南の美点だけど、少しは私たちのことも考えなさい。あなたのご両親が連絡をくれたとき、凄く混乱して慌てていたわ。お見舞いに来たときだって、顔が真っ青だったもの」
「そうだね。それに、私たちも実南ちゃんに何かあったら心配だよ。もしそれが、自分たちの知らないところで起きていたなら余計にね」
 母親のように窘める二人。
 彼女たちの言っていることは正しい。
 実際、実南が目を覚まさなくなったときの由美の慌てぶりといったら酷いものだった。
 顔を真っ青にし、浅い呼吸でなんとか今の状況を伝えようとしていた。電話越しに伝わる混乱を受け、寧ろ聞いている側の朱里や紗由理の方が冷静でいられた程だ。
 父親の方には見舞いのとき会えなかったので詳しくは分からないが、恐らく彼も戸惑っていることに違いない。

「そう、だよね」
 もし自分が逆の立場なら、きっと同じことを思う筈だ。
「実南ちゃんの話は勿論信じてるよ。だからこそ心配なの」
 穏やかで柔らかい紗由理の言葉に、俯いていた頭を上げる。
「信じてくれるの……?」
「あなたが、こういうときに嘘をつくような人だとは思ってないわよ」
「うんうん」
「……ありがとう」
 温かい言葉に鼻がツーンとした。
 いくら小さい頃からの仲とはいえど、こんな突拍子もない話を信じてくれるなんて。二人なら、と思っていたのは事実だが、真実を話しているうちに不安になっていたこともまた事実。
 自分自身が三日間眠っていたことのみが証拠にしかならない。けれど二人は信じてくれた。それが何よりも嬉しかった。

「そう思うなら、三日間の出来事は忘れなさい」
「え」
「天候のことなんて、今まで私たちが何もしなくてもなんとかなっていたでしょ。だったらこれからも、危険を冒して何かをする必要は無いわ」
「でも、グラースが危なくて……」
「だから忘れろって言ってるのよ。彼のことを考えていたら、あなたはまた雲海都市に行こうとするでしょ?」
「うん」
 気不味そうに頷く実南。
 朱里はそんな彼女に容赦なく言葉を続ける。
「また私たちや両親に心配かけるの?」
「それは……」
 そのことを出されてしまえば何も言えない。
 実南は俯くことしか出来なかった。
「それが嫌だと思うなら、全部忘れなさい」
 そう言い切った彼女は荷物を纏め、部屋を出て行った。
「きつい言い方だけど、朱里ちゃんは実南ちゃんに傷付いて欲しく無いだけだよ。ただ、心配なだけ。……それじゃあお大事にね」
 優しい笑みを浮かべながら、紗由理も部屋を出る。
 大した返事も出来ないまま、実南は部屋に一人となった。


****


 夕飯の時間を知らせに来た由美が来るまで、実南は放心状態だった。
 ぼうっと窓の外をベッドの上から眺めていた。見ていたのは空だったが、視線はどこか遠くにあった。

 時間は十九時半。
 久しぶりに動かすふらふらな体を由美に支えてもらいながら下に降りると、そこには父親——名は小鳥遊波男(たかなしなお)という——の姿が。
 早く帰って来ると言っていたが、まさか夕飯の時間に間に合うとは思わなかった。

「あぁ、実南……。目覚めてくれて良かった」
 スーツのまま抱き締める波男。少し汗臭かったが、今はそれすらも愛おしく思えた。
「さぁご飯にしましょう。あなたは着替えて来て。実南は座って待っててね」
「うん」
 こうして、三日ぶりの家族の時間が始まった。