好き勝手に話して帰って行った水の精は、この都市に水の欠片を補充しに来ていたらしい。この様子だと、補充した欠片も直ぐに無くなりそうだが。
話を聞いた二人は再び桟橋の方へ向かう。
着いた先では、既に何隻かに水の欠片が入った木箱が積まれており、そろそろ出発するというところだった。
「何してるのー。陽龍が大量発生した影響で、この雲海都市にいる雲の精全員で浄化に行かなきゃいけないんだよ」
「早く早く!」
他の雲の精たちが互いに声を掛け合う。
どうやら今この都市にいる雲の精たちは、全員で浄化に向かわなければならないらしい。
「ねぇ、みんなで行くの?」
忙しなく動いている雲の精を一人捕まえて、話を聞く。
「そうみたいだよ。風向き的に他の都市とくっつきそうだから、都市での活動はそっちにいる雲の精たちに任せるらしいー」
ということは、必然的にグラースも向かわなければならないということだ。
「もう行くよー! 早く乗って!」
どの雲の精の声だったか。
その声を合図に、全ての雲の精が慌てて舟に乗り込む。
どういう訳か、先程までは十何隻しか無かった舟が、今では倍以上に数が増えている。既に漕ぎ出している舟を含めれば、もっとあるだろう。
大人数の波に押され、グラースと実南も舟に乗り込んでしまった。
いや、乗ることは良いのだが、グラースとしては危ない旅に実南を巻き込みたく無かった為、乗る前に現実世界に返したかったというのが本音だ。
けれど乗ってしまったものは仕方無い。とりあえず舟を動かし、彼女のことはその後戻したら良い。
「ごめんね。動かすよ」
「分かった」
出発の揺れで木箱が落ちないよう押さえる。
その際に遠ざかって行く雲海都市が目に入った。
人気の無い都市。ふわふわとした雲に囲まれ、足元には薄く雲が漂っているだけ。
柔らかなその都市に流れる静か過ぎる気配が、異様な空間を生み出していた。
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未だ曇り空が広がる中、その上を数十隻の舟が進み続ける。その船体には木箱が積んである。が、入っている水の欠片は来るときよりも少なかった。
団体の一番後ろを進むグラースたち。
出発してから初めて彼が口を開く。
「舟に乗せてごめんね。実南のこと、今からでも現実世界に戻すね」
「え!? どうして? 私もついて行くよ。出来ることは少ないかもしれないけど……グラースが心配だもん」
ついていく気満々だった実南は、驚きを隠せない。
確かに危ないことは分かるし、居ても邪魔にしかならないかもしれないが、どうしても彼が心配だった。
どんな感情がそう思わせるのかは分からないが、彼のそばに出来るだけ長い間居たかったのだ。
「もし、迷惑だったら帰るよ。グラースの邪魔には、なりたくないから」
悲しさと申し訳無さを帯びる実南の声。
彼女はただただ真っ直ぐで純粋な性格をしている。小さなことに幸せを感じ、今そのときを楽しむ。
そんな素直過ぎる性格がグラースに迷いを及ぼしているなど、当の本人は知らないだろう。
彼は良い意味で困らされていた。
「はぁ……仕方無い。陽龍のとこまでは長い道程になるし、暫くは移動だけだろうから、ついて来ても良いよ」
「ほんと!」
「その代わり……絶対舟から降りたり、僕から離れたりしないでね。約束だから——」
いつもの間延びした声ではなく、真剣な声色で真っ直ぐ見詰めるグラースに、実南は少しドギマギしてしまう。初めて見る彼の一面に、戸惑ってしまったことは自分の中だけの秘密だ。
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一緒に旅をすると決めた二人は、緊迫していた雰囲気の中でも、色々な話をした。
北に位置する雲海都市に到着するには、暫く舟に乗っている必要があるらしいからだ。
長い旅路には会話が必須である。
「ずっと気になってたこと、聞いて良い?」
「良いよ!」
珍しくグラースが質問する。
普段は圧倒的に、実南が質問することが多い。雲の精であるグラースはその方が有り難いし、話しやすいという考えもあった。
しかし最近彼はどんな心の変化があったのか、実南のことを色々知りたいと思うようになっていたのだ。
「どうしてそんなに雲が好きなの?」
雲が好きなことは痛い程に伝わっている。
あれだけ純粋にこの世界を楽しんでくれるのだ。それは間違い無い。
しかし雲のどこが好きなのか、具体的に聞いたことは無かった。
「私ね、歩いているときに見える景色とか、道端咲いている可愛い花とか、そういうのを見ると日常の幸せを感じられて、凄く嬉しいんだ」
そのときの情景や感情を思い出しながら、穏やかな表情で話し始める。
「だから、毎日登下校のときは周りの景色をよく見ようとしてるの」
「うん」
「あるとき、近所の橋から見る雲がすっごく素敵だってことに気付いたの。オレンジ色の太陽と、その光によって彩られる空と雲。一枚の綺麗な絵画が、空に広がってるようだった。それから空を意識的に見るようになった!」
毎日朝と夕方に絶対見るんだーと、嬉しそうに話す実南。
「私は立体的な雲が一番好きなんだ。そこに、自分の知らない世界が広がっているんじゃないかーって思って」
まさか本当に違う世界が広がり、自分がそこに行くなんてことは思ってもみなかったが。
「これが雲が好きな理由! 綺麗だし不思議な感じがして、夢が膨らむんだ」
「そっかぁ。こんなに雲が好きだって言う人、初めて見たよ〜」
雲の精にとって、雲は自分自身のようなもの。こんなにも褒められて、悪い気はしなかった。
