再び舟のもとに辿り着くと、他の雲の精たちも集まっていた。
どういった仕組みか分からないが、舟を止めている桟橋辺りからは大雨が降っている。まるで雲海都市の上空にのみ、屋根があるようだった。
その雨のお陰で禍々しい瘴気は少し落ち着き、視界も多少は鮮明になっている。
けれど雨の音に紛れて、先程までは聞こえなかった獣の咆哮のような声が鳴り響いてきた。低くて重い、心臓が跳ね上がりそうな程に恐ろしい声。現実世界にいたときは、聞くことも無い鳴き声だった。
「グラース、あの声って……」
「陽龍が雨によって弱ってるんだ。攻撃を受けて痛がってる感じかな」
大雨が降りかかることで、陽龍は弱っているそうだ。そしてそんな陽龍が逃げない内に、雲の精たちは浄化を行わなければならない。
周りの雲の精たちが舟に乗り込む。
木箱は邪魔になってしまう為、桟橋付近にいくつも重ねられていた。
「グラースも行くの?」
彼もあんな恐ろしい生物のもとに行かなければならないのか。
不安になりながら、恐る恐る問う。
「ううん。僕は行かないよ。雨の量と陽龍の数からして、大人数でなくても大丈夫みたい」
確かに他の雲の精たちも、何人かは舟に乗り込まず陽龍のいるであろう方向を眺めているだけだった。
「そっか……」
仲の良い彼が危ない目に遭わなくて済むことに、ホッとする。
雲の精たちと同じように空を見上げていると、雨の降っている暗い雲が所々キラキラと白い光を灯した。
雲の中で雷が鳴っているときのような感じだ。グレーの雲に、点々と光が瞬いている。
「あの光の場所が、浄化をしているとこなの?」
「そうだよー。浄化の力を陽龍に向けて放っているんだ。舟で向こうからの攻撃を避けながらやるから、遠距離で浄化してるんだよ」
攻撃を避けながら、ということは舟は物凄いスピードで動いていることになるのでは無いだろうか。
考えただけで恐ろしい。
小さい頃は魔法使いのように、箒で自由自在に空を飛んでみたいと思っていたが、実際に目の当たりにすると怖さの方が勝ってしまう。
変わらず空を眺めながらそんなことを考えていると、突然都市やその周辺一帯が白く美しい光で包まれた。光のドームは大きく広がっていく。
眩しくて目を開けていることは出来なかったけれど、心地よい温かな光に身体が軽くなる気がした。
恐らくこれが、浄化の光なのだろう。
光が落ち着いたのを確認し、目を開ける。
都市の外側は相変わらず雨が降っていたが、その量は減少し、周囲の禍々しい瘴気は消えて無くなっていた。
「これで浄化完了だよぉ。陽龍もいなくなったみたい」
「良かった! これでもう安心なんだね」
「そうだね」
雲海都市が瘴気に侵されることもなく、現実世界でも大きな被害が出る前に事態を収束出来たようだ。
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浄化に行っていた雲の精たちが戻り、全員で木箱を舟に積む。
雨が降っているので薄暗いままだが、先程もよりも格段に良くなった視界のお陰で、後片付けは思いの外直ぐ終わった。
あとは空いた木箱を元いた雲海都市に戻すだけ。とはいえど、未だ雲海都市の外側では小雨が降っている。
二人は暫く今いる都市で待つことにした。
何度目の正直か分からないが、実南とグラースはこの時間に雲海都市を見て回ることに。
グラースからすれば、どの都市も大して変わりはないので何が面白いのか理解は難しいけれど、子どものように楽しそうに歩く実南の姿を見て、とても嬉しい気持ちになった。
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けれど楽しい時間は短いもので、都市内をのんびり散歩していると、再び雲の精たちが慌て始めた。
どこか緊迫した様子に、二人は顔を見合わせる。
「どうしんだろう。また陽龍が出たのかな?」
「そんな直ぐには出ないと思うけど……」
話を聞こうにも、皆慌ててどこかへ走っていく為、何があったか確認出来ない。
すると突然、中性的な声が近くで聞こえた。
「人間……?」
二人して振り返ると、そこにはクルレーの姿を思い起こす水色の髪と青い瞳が目に入る。
「え、水の精……だよね」
雲海都市に水の精。
驚きの余り実南は目を見開く。
「もしかしてその人間が君の“お気に入り”? 呑気なものだね。今他の場所では陽龍が大量発生してるっていうのに」
「また? 今度はどこで?」
怪訝な顔で問うグラース。
長髪の水の精は意地悪そうな笑みを浮かべ、話し続ける。
「ここからそう遠く無いよ。僕が聞いた話だと、北にある雲海都市とここの都市との間で、大量の陽龍が暴れまわってるんだってさ」
北にある雲海都市というと、二人がここに来る前にいた都市と、今いる都市を挟んで真反対に位置する都市だ。
「その雲海都市は雲の精の数が少ないから、浄化に時間がかかっているらしいよ。都市が邪悪化するのも、時間の問題かもね」
「……そう」
「チッ」
慌てふためき絶望することを期待していたようだが、雲の精の特性故に否定はしない。
グラースの事実を受け入れる姿に、水の精は舌打ちを漏らす。
クルレーの言っていたことを目の当たりにした実南は、苦笑いを零すしか無かった。
