倉庫内の床に落ちていた欠片を手に取り、様々な角度から眺めていると、外が騒がしくなってきたことに気付く。
「どうしたんだろう?」
不思議に思った実南は、欠片を木箱に戻しながらグラースに問う。
「……ちょっと見てくるね。実南はここで待ってて〜」
外に出ると雲の精たちが慌てていた。
その足取りは変わらずふわふわと柔らかいものだったが、十人程の雲の精が集まり何かを話し合っている。
「ねぇ」
「あ、確か……グラースだっけ?」
「そうだけど。何かあったの〜?」
「浄化要請だって」
グラースの名前を呼んだ雲の精が答える。
「近くを飛んでる雲海都市が、陽龍の瘴気に侵されそうなんだって」
小さい雲の精が補足する。
陽龍。それは太陽の欠片が集まってくっつき、悪い瘴気によって自我を持ち暴れ回っている姿のこと。
欠片が沢山纏まり黒い靄を引き連れている様子から、龍のようだと表され、太陽の欠片で出来た龍、ということで陽龍と呼ばれるようになった。
そもそも太陽の欠片とは何か。
雲の精や水の精などの都市に住む精霊たちは、それぞれの精霊王から生み出される。各精霊王の中でも、より優れた力を持つものを大精霊と呼ぶ。
太陽に関しても同じ話だ。しかし太陽の精霊たちはどの精霊よりも力が強く、能力が高い。故に太陽の大精霊は、精霊界の中で一番の力を持つといっても過言では無い。
が、その力が強すぎる為、身体が能力に追いつかないのだ。なので太陽の大精霊は、ほぼ毎日身体の部分ごとを生まれ変わらせる為に、所謂脱皮のようなものをする。
そのときに空や海に放出されるのが太陽の欠片だ。
基本的にはバラバラと細かく少ない量が日々放出されるのだが、たまに沢山の量が一気に放出されることもある。
そうすると、多くの欠片が同じタイミングで瘴気に当てられてしまい、陽龍を生み出してしまうのだ。
陽龍は雲海都市と同じように空に存在していたり、水面都市のように海や川に存在していたりすることもある。ちなみに水面都市でクルレーが浄化していたものは、現実世界で生じた生活の汚れ故に陽龍とは関係無い。
陽龍の数や大きさ、能力が小さいものであれば大した被害は出ず、直ぐに浄化出来るのだが、大きいものになると浄化に時間がかかり、間に合わないと都市へ乗り移ってくることがある。
今現在、近くの雲海都市はそういう状況らしい。
「じゃあここから何人か行くの〜?」
「隣の雲海都市だからねぇ。僕たちも無関係じゃないし、近いから直ぐ迎えるだろ」
「その為の準備で、水の欠片を取りに来たの」
要請を出してきた雲海都市では、既に陽龍が瘴気を撒き散らし暴れ回っているらしい。
そこまで威力の強いものだと、普通に浄化するだけでは消滅してくれないのだ。大雨を降らせて陽龍を弱体化させ、その後に浄化をしなければ、しっかりとした効果は表れない。
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グラースは話を聞いたあと、実南を連れて倉庫から出た。
そして今何が起きているかを伝える。
「なんか……現実味ないけど、大変なんだね」
「そうだねぇ。現実世界で起きてることに置き換えると、陽龍が暴れている地域は雨が全然降らないから、水が枯れたり、危険な暑さによって体調不良者が増えたりしてるかなぁ」
このまま放っておくと、環境問題によって人類の減少が始まってしまうそうだ。
「そんな……」
「だからこれから、陽龍が暴れている雲海都市に向かうんだ。大人数での浄化を行わないと、大変なことになっちゃうからね」
「グラースも行くんだよね?」
「そうなるかなぁ」
向かう雲海都市も、今いる場所と同じくらい広いそうだ。
危機的状況故に、グラースも行かなければならない。
彼は再び心が苦しくなる。
「ごめん、実南。折角見て回れそうだったのに……」
「ううん。平気!」
正直なところ、雲海都市も見て回りたいが、そんな危険な状況ならば手助けしたい。彼女はそういう気持ちの方が大きかった。
「じゃあ、その、僕行かなきゃだから、そろそろ実南は……」
「私も行く!」
予想もしていなかった言葉に、グラースは驚きの表情を浮かべる。
「ダメだよ!」
次に出たのはグラースには珍しい、大きい声と否定の言葉だった。そのときの彼は、やはりつらそうな顔をしていた。
「ごめん。でも、危ないんだよ。陽龍に襲われることもあるんだ」
「だったら尚更だよ! 私もグラースが心配。それに私もいれば、もっと沢山の水の欠片を持っていけるでしょ?」
確かにその通りだ。
しかし危険なことには変わりない。
精霊は寿命というものは存在しないが、その代わり浄化の際などに瘴気に侵され消滅してしまう。
基本的に何をしても死なない精霊も、瘴気の影響を受けると姿を維持していることが出来なくなるのだ。
もしそれが人間の実南に触れてしまったら、どうなるか分からない。どこかで聞いた話だが、木の精霊が大切な人間を瘴気のせいで失った、ということもあったそうだ。そんなことにはなりたく無い。
「それに……それに、あの舟に乗って行くんだよ? 実南はあの舟苦手でしょ?」
肯定出来ないことに心が引き裂かれる思いのまま、どうにかして彼女を諦めさせようとする。
グラースにとって、それくらい彼女は大切な存在へと変わっていたのだ。
「うん。それは緊張するけど、でもここまで来て見捨てることは出来ない! 特に現実世界に関係しているなら、私も力になりたいよ」
必死に訴えかける実南。
つらいし苦しいし、本当のところグラースは早く「良いよ」と言ってしまいたかった。
けれど気軽に言える程、浄化は安全なものでは無い。
しかし目を逸らしたくなる程に真っ直ぐな彼女の瞳には、どうしても否定出来なかった。
何より、彼女の性格を少しではあるが理解してしまったグラース。一度決めたら引かないということは、痛い程に分かる。
ここは腹を括るしかないのだろう。その代わり、実南は必ず守る。それは絶対だ。
「……分かった。でも絶対、僕の側から離れないでね。それが約束」
「勿論!」
人の気も知らないで、相変わらず明るい笑みを零す。
どうかこの笑顔が曇ることはありませんように————。
