相変わらずゆるい雰囲気の志摩くんと、志摩くんをジロリ睨んでいる甲斐。そんな二人を目の前に、俺は焼きそばパン片手にハラハラとしていた。
「おまえ、いまなんて言った?」
「遊川先輩の恋人になりました、って言いました」
いつかの空き教室で、俺たちは一緒に昼ごはんを食べていた。事の発端は志摩くんだ。
『恋人同士になったこと、周りには内緒にしといたほうがいい?』
朝の電車で一緒になった志摩くんがこう聞いてきたのがきっかけ。
『やっぱりその……俺たち恋人同士ってことになってるの?』
『そうでしょ。OKしてくれるなら名前教えてって言ったじゃないですか。先輩、俺にちゃんと教えてくれたじゃん』
ふわふわ笑う志摩くんは、嬉しそうだった。
『こういうの決めとかないと、学校で俺何するかわかんないし』
『えっ、何するつもりなんだよ』
『んー……手繋いだり?ぎゅーしたり』
『お、おまえ、よくそんなことさらーっと言えるね』
『うわ、顔真っ赤。はは。かわいー』
そんなこと人前でされたら困ると思ったので、周りには内緒にすることになったんだけど。甲斐にだけは伝えたほうがいいかもしれないという俺の言葉に、志摩くんは『じゃあそうしましょ』と言ってくれた。
で、さっそく昼休みに二人を会わせることになったわけ。甲斐は志摩くんのことどう思うかなと思ってたけど、想像以上に相性はあんまり良くないっぽい。
「桐」
「あっ、うん。なに?」
「なんで急にこいつと付き合ってることになってんの?やけくそでこんなことしてんの?」
じとーっと睨んでくる甲斐に慌てて首を振る。
「やけくそじゃないから安心しろよ」
「じゃあなに?この志摩って奴のこと好きなの?」
う、と言葉に詰まる。
それは……確かにそう。この前ので志摩くんが俺のことを本当に好きって思ってくれてるのは伝わったけど、じゃあ俺は?
志摩くんの好きに対して、俺はまだなにも返せないでいる。
「好き……とかは正直まだよくわかんないけど、でも、"幸せにできる"って言ってくれたから」
「はぁ?」
「わ、"笑っててほしい"とも言ってくれたし、そんなこと言われたの初めてだったし、優しいところも好きって言ってくれて……いい奴だなーって思って」
「待て待て、流されてるじゃんそれ」
盛大にため息を吐く甲斐に、うう、と小さくなる。
俺、流されてんの?でも嬉しいって思ったのは本当なんだよ。
「あー、志摩って言ったっけ?あのな?こいつ、誰にでも優しいわけ。頼まれごとはすぐ引き受けるし、そのせいで人に利用されることも少なくねぇの。元カノだって桐の優しいとこ利用するだけ利用してぽいってしたんだから」
「ちょっと甲斐、ゆののことはいいよ。あれは俺だって悪い……」
「おまえも同じなんだろ?優しいとこが好きって……どこから噂聞きつけたか知らねぇけど、金せびったり貢がせようとしてんじゃねぇの」
甲斐は優しい。
友達の俺のためにこんに心配してくれるんだから。でも、さすがに最初から決めつけるのは……。志摩くんでも怒るかもしれない。
恐る恐る志摩くんへと視線を移す。
「遊川先輩、これどっちがいいですか?いちごと抹茶。チョコなんですけど食べられる?」
「え」
ブレザーのポケットから出てきたチョコの包み紙に目を丸くする。ねぇ志摩くん、さすがにふわふわし過ぎじゃない?甲斐のこの怖い顔、見えてねぇの?
「い、いちご……」
「はい。あげる。甲斐先輩は抹茶ね」
ゆるーと笑う志摩くんに、甲斐も拍子抜けしてるみたいだった。「なんなんだよ」って小さな声で言っている。
「俺は、遊川先輩の優しいところもいいなーと思ってるけど、無闇矢鱈に優しさ振り撒くのはやめてほしいなーとも思ってますよ」
ぱち、と志摩くんと目が合った。
「他の奴に好きになられたら困るでしょ」
「……」
「先輩が泣かされるのはもっと嫌だし」
目を見開いたと同時に、予鈴が鳴った。その音を合図に、志摩くんがガタッと立ち上がる。
「俺は他の奴らと違うと思いますよ。先輩のことがただ好きなだけの後輩です」
そう言って俺の頭を優しく撫でてから、ドアの方へと向かっていく。「今日一緒に帰りましょーね。あとで迎えに行くんで」と手を振って行ってしまった志摩くんに、俺は無意識に止めていた息をなんとか吐き出した。
「なにあいつ……がちでおまえのこと好きみたいな……」
ぽつり呟く甲斐。へなへなと机に伏せる俺。「いい奴なんだよ、まじで……」なんていう俺の小さな独り言は、甲斐にも聞こえたらしい。
「……桐って、いちご好きだったん」
「んー、そうだね。好きだよ」
「知らんかった。おまえ、あぁいうのいつも元カノに選ばせてた側だったじゃん。なんでもいいのかと思ってた」
なんでもいいっていうか、好きな人には、好きなもの選ばせたいじゃん。
そういう気持ち、俺にはわかるよ。わかるからこそ、志摩くんの行動がくすぐったいわけで。
味を選ばせてくれる。どうしたい?ってちゃんと俺の考えを聞いてくれる。
大事にしてくれてるなって、嫌でもわかるんだよ。
*
「あ。そういえば甲斐がまた一緒に昼飯食おうって言ってた」
「えーうれしー。嫌われたと思った」
帰りの電車の中。隣に座る志摩くんはクスクスと笑っている。
放課後、志摩くんは昼休みに言っていた通りに教室まで迎えに来てくれた。まさか自分が迎えに来られる側になるとは思わなくて、胸がむずっとしたけれど。
「先輩の友達に失礼な態度取っちゃったかなーって、反省してたんですよね」
「まぁ、途中マイペース発揮してたとこはあったけど」
「あー。チョコの話?チョコは早くしないと溶けちゃうじゃん。美味かった?」
「うん。味、選ばせてくれてありがとね」
「いいえー」
「好きなもの選ばせてあげたいじゃんね」って、笑いながら続ける志摩くん。そういうこと、言わないでくれないかな。胸がぎゅっとなるじゃん。
「……なんか、申し訳なくなる」
志摩くんは、俺のことを大事にしようとしてくれて、ちゃんと言葉でも伝えてくれている。
俺は、好きって言ってくれる人に、なにも返してあげられない。
「なんで志摩くんはここまでしてくれんの?」
電車の中は空いていて、静かだった。俺の言葉は、確実に志摩くんに届いているはずだ。
「好きだから、としか言えないけど」
ちら、と隣を見る。「いつから俺のこと好きなの?」って聞いたら、志摩くんは困ったように笑った。「恥ずかしいんだけど」って、そう言った。
「中三の時、お気に入りのストラップを駅で落としたことがあって。ガチャガチャで取った安物ですけど」
「こんくらいの、猫がぶら下がってるやつ」と、親指と人差し指を使って説明してくれる志摩くん。
「ダメ元で届けられてないか駅員さんに聞きに行こうとしたんですよ。そしたらいました」
「いましたって、誰が」
「先輩が。ちょうど俺が落としたストラップを届けてくれてるところでした」
『──このストラップ探してる人、いませんでした?』
『今のところいないかなぁ。こういう物って、意外と落としても誰も取りに来ないんだよ。この持ち主も気にしてないかもしれないね』
『でも、大事なものかもしれないから預かっておいてください』
「こんな小ちゃいやつですよ。道端に落ちててもスルーする人がほとんどだと思うのに、誰かの大事なものかもって、わざわざ拾って届けてくれたってのが、なんか、いいなーって……たぶん、そこからだったんだと思います」
いつものように笑ってた志摩くんの表情が、少しずつ変わっていく。じわじわ、ゆっくり。頬と耳が赤くなっていく。
そんな志摩くんを見て、俺は感じたことのない気持ちになっていた。
「話すきっかけもないまま、気づいたら先輩の隣には彼女がいて。ちょっと残念だなーとか思ったりして。でも、先輩笑ってたから。笑ってるんならいっかって、思ってたんですけどね」
「……」
「優しい人だってことは、もうわかってましたから。そんな人には笑っててほしいじゃないですか。でも、先輩あの時泣いてたでしょ。振られたとか言うし、別れた理由も理由だし。じゃあもう、俺が幸せにするしかない、俺が先輩を笑顔にするって、思っちゃったんですよ」
ぱち、と志摩くんと目が合う。「ごめん、あんまこっち見ないで」って、俺の顔を手で覆うようにしてくる。細長い指の隙間から、必死に表情を取り繕おうとしている志摩くんが見える。
「……俺いつもどんな顔してましたっけ」
「ゆるふやーって笑ってたと思う、けど……」
俺のことで、こんなに表情が崩れるのか。
崩して、くれるのか。
俺、なんでこんなに嬉しいんだろう。なんで暖かい気持ちになってんだろう。
「あー……あの、昼休みに無闇矢鱈に優しさ振り撒くなーとか言ったけど、俺が思ってるだけなんで、先輩はいつも通りで全然大丈夫ですから」
話題を変えてきた。しかも不自然に。いつもは余裕のある志摩くんだけど、さすがに今はそうもいかないらしい。
今までは、自分がそうしたいから、喜んでもらいたいから、人に親切に振る舞っていたけれど。志摩くんが嫌がることは、あんまり、したくないかもしれない。
心配もかけたくない。
「……これからは、誰にでも、は無しにする……ちゃんと考える。衝動で動いちゃうこともあるかもしれないし、いつもの癖で、みたいなのもあるかもしれないけど……」
そう言ったら、志摩くんは「期待はしないでおく」とようやく笑ってくれた。



