憑かれたい彼女

 とにかくハンバーグを褒め称えた。何かを話していないと女の声が聞こえてしまいそうだったからだ。

「うん、美味しいね! ドリアはどう?」

「美味しいよ。食べる?」

「そんな真っ赤なの食べられない」

「ええ、美味しいのに」

 星野さんはこの上なく楽しそうにゆっくりと食事をした。女の子はこんなに食べるのが遅いのだろうか、それとも彼女が極端に遅いのか。僕はもうほぼハンバーグを食べ終えそうなのに、彼女は三分の一ぐらいで苛立ちすら覚える。
 
 スプーンを持ったまま、星野さんが言った。

「ねえ、大山くん」

「ん? なに?」

「私すっごく面白いことに気づいちゃった」

「え?」

「水、減ってるね」

 ピタリと食べる手が止まる。なんのことを言っているのはすぐに理解した。

 星野さんの隣に座る女のグラス。氷が溶けてかさが増してもよさそうなのに、それは明らかに中身が減っていた。グラス周りについている水滴がやけに不気味に思える。



「て…………に…………なん……て……り…………す……る……」



 女の体がゆっくりと揺れ出した。ほんの少しだが、上半身がゆらゆらと動き髪が動く。唖然としていると、その動きはどんどん大きくなっていった。頭は垂れたまま、体と一緒にグラグラ揺れる。異様なその光景から僕は慌てて俯き視界から排除するように努める。だめだ、これ以上見てはだめだ。

「どうしたの大山くん」

「い、いやなんかお腹痛くなってきちゃって……」

「え、そうなの大丈夫?」

「うん、その、急いでくれたら嬉しいかなあって」

 僕の言葉を星野さんは信じたのだろうか。表情は見えないのでよくわからなかったが、意外と素直に急いで食べてくれる様子が伝わった。僕はもう顔を上げることなくただ鉄板の上に残っているコーンをじっと見つめている。

 少しして星野さんは完食したようだった。ごちそうさまでした、という丁寧な挨拶の声が聞こえてきたのだ。僕はほっとしてようやく顔を上げる。

「ごめんねお待たせ、じゃあ帰ろうか」

 そう笑う彼女の隣には、何もいなかった。

「…………あ」

「大丈夫? 胃薬とか、誰か持ってないか聞いてみようか?」

 僕の顔を覗き込む星野さん、目の前には空になったグラタン皿。隣には、もう氷が溶け切ったお冷やが半分ほど量を残してひっそりとおいてあった。

 いない。消えた。

 突然だけど、女はいなくなった。

「あ、う、ううん、そんなひどくないから大丈夫かな……」

 ほっとしながらそう答える。彼女は頷いた。

「ならよかった、帰ろっか」

「あ、うん」

 伝票を持って立ち上がる。店内は夕飯の時刻ともありざわついていた。ぐるりと見回してみるも、女の姿はどこにもない。

 出て行ったのか。誰かについて行ったのか分からないが、店内からいなくなったのならよかった。

 胸を撫で下ろしながら会計に進んだ。隣に並ぶ星野さんは小声で言ってくる。

「ね、私なんかついてない?」

「え? 別に何も」

「言っとくけどゴミとかじゃなくて。憑いてない?」

 ワクワクしたように言った彼女を見て呆れる。やっぱり確信犯だよな、そうだと分かっていたけどさ。鈍感な彼女は知らないんだ、となりに女がずっと座っていただなんてさ。

「何も憑いてない」

「なんだ、残念……」

「あのね、お供えとは違うんだから、得体の知れないものがいそうなところに軽い気持ちで水とかおいちゃだめだから。もうほんとやめて」

「ふうん、やっぱりいたんだ。得体の知れないものが」

「…………」

 二人で会計を済ませる。今度は絶対にこの美少女顔に釣られて食事をオッケーしたりしない。心の中で固く決意する。

 会計をしてくれたノックがニヤニヤこっちを見てきたが無視した。全然そんなんじゃないんだ。

 でも、ようやく帰れる。無意識に顔が緩んだ。出口に向かって進むとちょうど来店した人とすれ違う。ああ夕飯か、僕ももっとゆっくり食べたかった、だなんて思って外へ足を踏み出そうとした時だ。

 耳のすぐそばで、低い低い声がした。




「みえてるくせに なんでみえてない ふりするの」




 恨みのこもった抑揚のない声と吐息を耳に感じた。

 はっとして振り返る。

 そこには誰もいなかった。

 ガヤガヤと賑やかな店内、明るい照明、忙しそうな仲間たち。どこにもおかしいところはない。

…………バレてた。

 ずっとバレてた。みえないフリしてたこと。

「大山くん? どうしたの?」

 不思議そうに声かけてくる星野さんに何も返事をせず、黙って静かに外に出た。すっかり暗くなってきている景色を眺め、車が通っていく音と排気ガスをぼんやり感じる。そして大きなため息を漏らした。

「大丈夫、お腹痛い?」

「…………大丈夫」

 全然大丈夫じゃないけどそう答えるしかなかった。ぞくぞくとした寒気が止まらない。どっと冷や汗をかいた。

 何も感じない星野美琴が羨ましい。心の底からそう思う。僕は手で顔を覆って項垂れる。

 先ほど決意した事項を再び強く心に誓った。星野美琴の誘いにはもうのらない。ろくなことにならない。



 
 幸い女の霊が僕についてくるなんてことはなかったのでよかった。どっかに行ってしまったのか、女はそれ以降このファミレスで見ることはなかった。

 ただ、あれだけ強く思った心の誓いを、僕は案外すぐに自分で破ることになる。

 それはやっぱり普段の星野美琴という美少女パワーに負けたからなのか、意外と自分が世話好きだったからなのか。

 僕はいまだに分からない。