幼い頃から人には見えないものが視えてしまう僕、大山研一だが、普段はそういうやつらにはなるべく関わらないように、見えないフリをして過ごしている。
そんな僕が心霊スポットなんかに足を踏み入れてしまった原因の星野美琴は、同じファミレスでバイトをする大学一年生だ。
鈍感で本人は霊がちっともみえないらしいのだが「取り憑かれるのが夢」らしく、どうやらかなりのオカルトマニアと見た。
おやつに鷹の爪を齧るほどの辛党でもある彼女は、外見だけはすれ違えば二度見してしまうほどの美少女だからめちゃくちゃ勿体無いと思っている。
僕は手に持っているクリームパスタを慌ててキッチンへと持ち帰った。先ほどオーダーを取ったパスタが、どうやらオーダーミスをしてしまったらしい。まだバイトを始めてあまり時間が経っておらず、オーダー一つ取るだけでど緊張してしまうくらいなのだ。普段からのコミュ障が祟っている。
キッチンに周り、中に声をかけた。
「す、すみません……! オーダーミスでした、至急キノコのクリームパスタをお願いします……」
頭を下げてお願いすると、近くで作業していた男性がチッと舌打ちした。原田さん、という人だった。年は(多分)三十くらい、いつもイライラしながら鍋を振っている茶髪の男性だ。
「オーダーくらいちゃんと取れノロマ」
小声だが確実に僕に聞こえるようにそう言った。びくっと体が反応する。勿論ミスした自分が悪いのだが、こうした言われ方をするとやっぱり落ち込む。ずれてきたメガネを直した。
「原田さん、すみません。とり間違えたの私なんです。お願いします」
途端隣から声が聞こえてきた。凛とした、それでいて優しい声色だった。はっとして横を見ると、あのオカルトマニアがこちらを見て微笑んでいた。
いつ見ても人形のように整った顔立ちをしていた。
「あれー? なんだ美琴ちゃん? そっかなんだあ、気をつけてなー」
途端、原田さんはころっと態度を変えた。あまりの変貌ぶりに言葉を失くす。そりゃ野郎と美少女じゃ扱いが違うのは当たり前だが、それにしてもあんまりじゃないか。
原田さんが奥に入っていったのを見て、こそっと星野さんが小声で言った。
「入ってすぐじゃオーダーミスぐらい誰でもするよ。気にしないで」
それだけ言うと彼女はまたホールへと戻っていった。ポニーテールにされている長い髪を見ながら、決して悪い子じゃないのにな、とボンヤリ思った。
それどころか、少し一緒に働いてみればすぐわかる。みんなはあの子をかなり慕っているし、お客さんだって星野さん目当ての人も多い。気遣いもできるし優しいところもある。のだが……
……憑かれるのが夢、なんて言わなけりゃなあ。
「大山、大丈夫?」
背後から声が聞こえた。同い年のノックだった。フレンドリーな彼は僕ともすぐに打ち解けてくれた。色々僕に仕事を教えてくれたのも彼なのだ。ノックはキッチンの方を見ながら警戒しつつ言う。
「原田さんは明らか星野狙いだから。この前星野と飯行った大山を目の敵にしてるのかも」
「ええっ。だってあれは本当ちょっと連絡事項があったというか……」
「星野は誘っても全然乗ってこないタイプだから、大山どんな手使ったんだよ! うらやましー」
教えてやりたい。心霊スポット、とか呪われる、とかの単語を使えば彼女はすぐ食いついてくるぞと。僕は冷めた目でノックを見る。みんな騙されてるんだなあ、あの外見に。
だがまあ、見た目だけ考えれば確かに僕の人生ではあんな子と二人きりでご飯にいくなんて考えられないレベルだよなあ、なんて思ったり。
その時、高い音が響いた。それは来客を知らせる音で、誰か新規の客が来たのだとすぐに気づける。僕は失敗を挽回しようと、急いで外へ出た。
入り口には男の人が立っていた。若いその人を見て、最近覚えた営業スマイルを浮かべる。
「いらっしゃいませ! お客様は」
こちらが言い終える前に、彼は人差し指を一本立てた。僕は空いている席をちらりと確認し、そこへ案内した。
「こちらへどうぞ!」
時刻は夕方だった。外は日が落ちてきている。ファミリーレストランとは、名前の通りファミリーも多いが学生、サラリーマン、老人たちなど色々な層の客がやってくる。大人数だったり少人数だったり様々だ。まだ空いている店内で、一番奥の座席に彼を案内した。
「こちらへおかけください」
男性と女性がそれぞれ腰掛ける。その足で今度はお冷ややおしぼりをとりに向かった。トレイに必要な分を乗せ、颯爽と再びあの席へ戻っていく。まだメニューを決めきれていない様子が伺えた。迷うようにページをめくっているのだ。
僕は彼らの前に水などを置くとにこやかに言ってみせた。
「ご注文がお決まりになりましたらボタンでお知らせください」
そう踵を返して戻ろうとした時だ。背後から低い声がきこえた。
「あの」
「! はい!」
「一人なんですけど」
男性は怪訝そうにそう言って、向かいに置かれたお冷をゆびさした。
……しまった!
僕は彼の向かいに座り込む女性を見る。
首をだらりと垂らし、セミロングの髪の毛は顔にかかっていてその表情はよくみえない。黒いTシャツとジーンズを履いていた。ひっそりと椅子に座っている彼女は何を言うこともなくただそこに座っていた。それが生きてる人間じゃないことは明らかだった。
やってしまった。
一人青ざめる。今までも、こういうやつらは見えないフリを徹底してきたのに、初歩的なミスだ。店に入ってきた時、何人かという質問に男の人は人差し指を一本出していたじゃないか。
僕は慌てて女性の前の水を取り下げる。
「あ、す、すみません、ちょっとぼーっとしてました……はは」
その女の人を見ないように、そしてなるべく平然を装って言う。男の人は特に気にする様子もなくメニューに視線を戻した。バクバクと鳴る心臓を必死に抑えながら、早くその場から離れるために踵を返す。
すると少し離れたとこに、星野美琴がいたことに気がついた。
彼女はじっと僕を見ていた。その目はキラキラしており、大変楽しそうだった。本日二度目のしまった、という感情がわき出た。
星野さんには視えるとか追い払う力があることは言ってない。ちょっとオーラを感じる、と説明してある。だが彼女は恐らく、僕が視えてしまうということを感じ取っている。まあ一緒に心霊スポットに行き、その時の僕の言動を見ればそう考えるのは仕方がない。
それでも僕は最後まで視えるということは認めていなかった。それを彼女に知られれば、また変なことに巻き込まれるのが目に見えていたからだ。
僕は素知らぬ顔をして彼女の横を通り過ぎた。だがしかし、小走りで追いかけてきた星野さんはどこかウキウキしたように小声で尋ねた。
「大山くん? ねえ、なんかいた? なんかいるの?」
「え? 何が」
「あの席の男のひとの前。なんかいるの?」
「別に。最初人数を聞いた時見間違えただけ」
そっけなくそう答えてみせた。だが心の中はバクバクだ。女にも視えるって気づかれたくないし、星野さんにも気づかれたくない。僕の敵は二人いる。とりあえずそのままあの席が見えないように移動する。完成した料理が出てやしないかと裏へ入ってみるが、残念ながら特に何もなかった。
ついてきた星野さんがまとわりつくように言ってくる。
「だって大山くん随分慌ててた」
「ははは、そうかな、失敗すると慌てちゃうのなんとかしなきゃねははは」
あくまでしらばっくれる僕に、彼女は少し頬を膨らませて睨みつけた。馬鹿野郎、取り憑かれるのが夢だなんて言うオカルトマニアに霊がいるって教えてたまるか。
それから仕事に意識を逸らせてあの女のことを忘れるように努めた。幸い注文を取るのも食事の提供も他のメンバーがやってくれたので、僕は近寄らずに済んだ。
一人での来店だったせいか、客は食事を済ませるとさっさと伝票を手にした。遠目でそれを見てほっと息をつく。そのままどうぞお帰りください、なぜあの男の人に憑いてるかは分からないが、僕が首を突っ込めることじゃないし……
さて皿を下げに行こうかとあの席を振り返った瞬間、出かけた自分の足がピタリと停止した。
空になったグラタン皿の前に一人の女が座っている。相変わらず俯いて髪が垂れいるので顔が見えない。ピクリとも動かず、異様な空気を醸し出しながらそこにひっそり座っていた。
(……置いていった……! あの女、居座ってしまった……!)
絶望で頭が真っ白になる。男についてきた女、きっと一緒に帰って行ったのだろうと思い込んでいた。まさかここに居座ることになってしまうなど思ってもみなかった。
呆然としている僕の顔を、星野さんがチラチラと遠目から見ているのに気がついた。はっとして平然を装う。僕は女の方は見ないようにして、トレイを片手に一番奥の座席へと移動した。
近くまで行って空の皿たちを無言で下げていく。もちろん目線は女の方は絶対に見ない。それでも、視界の端で彼女が俯いたまま動かないのを確認できた。動く気配はまるでない。
もしかしたら無害なものかも。僕は心の中で呟く。霊とは有害なものからそこに存在するだけの無害なものまで幅広く存在する。後者だとしたら、放っておけば多分いなくなるし悪影響はない。
そう思い込んでテーブルの上を拭く。そこへノックがやってきて小声で話しかけてきた。
「大山、もう上りの時間だろ。変わるよ、お疲れ」
優しい彼の気遣いに喜びながら時計を見上げた。確かに、今日午後からずっと働いている自分はもう上がらせてもらう時刻になっている。心の中でガッツポーズをとった。
「あ、ありがとう。じゃあ上がらせてもらう」
「ん、お疲れ」
とりあえず持っている食器だけ洗い場へ持っていこうと軽い足取りで歩んだ。ささっとそれを片付けると、帰宅しようと更衣室へ向かっていった。
「大山くん」
背後から綺麗な声色が聞こえる。振り返ると、まるで作り物かと思うほど可愛らしいその人が微笑んで立っていた。
「あ、星野さんお疲れ」
「ねえ、帰りご飯食べて行かない?」
「へ」
「親睦を深めるってことで。この前迷惑かけちゃったお礼も兼ねて」
首を少し傾けて言ってくる星野さんを見て、不覚にも心臓がどきりと鳴ってしまった。オカルトマニアのとんでもない子だけど、普通に見ればぶっ飛んでしまいそうに可愛いし優しいところもある。一人の男として、こんな可愛い子からのお誘いは心弾まずにはいられないのだ。しかも自分は地味な眼鏡野郎で、女子と二人の食事すらほぼ経験がない。
「え、いいいいいいいけど」
「よかった。着替えてくるね」
優しく微笑んだ星野さんの後ろ姿を見送る。はねるポニーテールの髪がなんだかやけに尊く見える。自分も慌てて更衣室で着替え、安っぽい適当な服であることを残念に思った。いや、元々こういう服しか持ってないのだが。
外に出てみると、すでに星野さんは着替え終えていた。結んでいた髪はおろしている。僕はずり落ちた眼鏡を直しながら駆け寄った。
「ごめん待たせたかな!」
「ううん」
「えっと、どこに行」
「バイトに入ったばっかりの時って、一度そこで食事した方がいいと思うの。客目線になれるしメニューも覚えられるし。だからうちの店で食べていこ」
僕の言葉を被せるように彼女は一息にいった。そしてやたら幸せそうにうっとりしながら外ではなく店内へ戻っていくその姿を見て、僕はただ一言「やられた」と思った。固まったまま動けずにいる。
外見につられてしまった。やっぱりこの子はとんでもないオカルトマニア、取り憑かれるのが夢の変人なんだ。初めからファミレス内に戻るのが目的で僕を誘ったんだ。
慌てて振り返る。すでに大分先まで進んでしまっている星野さんに話しかけた。
「星野さん! いや、外に食べに行きた」
「これも勉強だよ。早くバイトに慣れるといいね」
完全にこちらのセリフを聞いていない彼女はそう答えると、さっさと店内へと向かっていってしまった。


