僕に説明するように、星野さんが切りながら言う。

「思ってたの。お札に効果があるなら、同じお札を持つ人間を恨むだろうなって。お前が何かしたのかって疑うよね。

 それで、このお札の効果が無くなったらどうすると思う?」

 ついに真っ二つに切られたお札を両手に持ち、星野さんは僕に笑いかけた。

 ガクガクと全身が震える。ようやく星野さんが言っていた『いい考え』がこれなんだと気がついた。

「相当怒ってるなら私にくっついてくるかも」

「何して……し、死にたいの?」

「私守護霊強いんでしょう? もし私に憑いたなら、あの子病院から離れるかも」

 星野さんはそう話しながら、切られたお札を近くのゴミ箱に捨てた。空き缶を捨てるかのような手つきだった。

 喉も唇もカラカラになる。目の前が真っ暗になったようになる。絶望って、こういうことを言うんだと思い知った。確かに住職は守護霊が強いと言ったが、それは普通の霊相手のことなのに。視えない星野さんに、この少女の異様さは分からないんだ。

 そして次の瞬間、星野さんの背後に何かがしがみついているのに気がつく。いつ来たのか気が付かなかった。小さな手が星野さんの首を絞めるように力強く回されていた。

「あ……あ」

 少女は笑っていた。ケラケラと大声で笑いながら星野さんの背後に張り付き、大きな口を開けている。頭が揺れるたびに髪の毛がバサバサと揺れた。それでも星野さんは何も気づかずにただ立っている。

 星野さんの思惑通り、お札を捨てたことで少女が星野さんに憑いてしまった。それもガッツリと。ともや君を遠ざけた恨みなのか。

「ほ、星野さ」

 どうしようもできない自分が声を漏らした時、少女は、その大きく開いた口で星野さんの首元に噛み付いた。

 いや、噛む、というより、喰べた、という表現が正しい気がした。

 美味しそうに貪るように、白い首に食らいつく。そしてその口元からブシュっと音を出して血が吹き出した。赤黒いそれが滴り落ちていく。ガリガリ、っと音がするのはもしかして骨を食っている音なのだろうか。

 僕は叫んだ。それはお腹から自然と漏れた叫びだった。自分の喉から出たとは信じられないほどの声で、耳が痛いとすら思った。恐怖と混乱でパニックになりながらも、こんな状況の中思い出した水谷さんの名前を呼んだ。

 少女は嬉しそうに無我夢中で星野さんの首を喰べ続けている。それでも痛がる素振りすらなく、不思議そうな顔で僕をみている星野さんがいる。これは本当に、彼女が死んでしまうと思った。どうにかしなくてはと思い、とにかく少女を離そうとその小さな頭を両手で挟んだ。

 ぬるりと気持ち悪い感触が手のひらに伝わる。腐った皮膚のようだった。離れろ、離れろ!

 力の限り引いても少女はびくともしない。ぬめりで手が滑り、勢い余って後ろに倒れ込んだ。それでももう一度立ち上がりその白いパジャマを必死に引っ張る。でも石のように少女は動かない。

 再び後ろに倒れ込んでしまう。床にお尻を打ちつけ痛みに顔を歪めた時、自分の視界に白い布が映った。

 少女が着ているパジャマではなかった。皺のないピンとした綺麗な布で、同時にシャキッと伸びた背筋が見えた。

 ナースキャップをかぶっている水谷さんだった。

「……み、ず、…さ」

 水谷さんは一瞬だけ僕の方を見下ろした。目が合った瞬間、彼女は優しく口角をあげ微笑んだ。もう大丈夫よ、と言っているように思え、僕はただ拝む気持ちで彼女を見上げる。

 すると驚きの行動に出た。星野さんに喰らい付く少女の首に、水谷さんがすごい勢いで喰らい付いたのだ。

「!? な、なにを!」

 少女がぎゃああっと悲鳴を上げた。水谷さんは少女を強い力で両手で抱きしめ、決して離してなるものかという意思を感じた。

 痛みで悲鳴をあげる少女は力が抜けたのか、星野さんから引き剥がされる。じたばたと四肢を暴れさせるが、それでも水谷さんは喰らい付いて離さなかった。彼女の目は血走り、咀嚼するように顎を動かしながらどんどん少女の首を喰べていく。血生臭い、それでいて腐敗したような匂いが鼻についた。

「水谷さん!!」

 僕の呼びかけに、彼女は少しだけ目を細めた。だがその瞬間、二人の姿が少しずつ変化する。黒い影のようなものが出現し包み込んでいくのだ。

 少女は最後の力とばかりに暴れ水谷さんのナースキャップを吹き飛ばし髪を掴むが無駄な抵抗だった。二人とも次第に真っ黒な影に完全に覆われ、足元からゆっくりと溺れていくように沈んだ。最後の最後まで、水谷さんは決して離さない。

『地獄に送る』

 そんな言葉が耳に蘇る。まさか、と思い僕は慌てて水谷さんの方へ手を伸ばした。

「水谷さん!」

 彼女は僕の腕を掴まなかった。ただ少女を離さないように力を込めているだけ。必死に伸ばす腕が虚しい。このままでは水谷さんも少女と一緒に堕ちてしまう。

 だが、水谷さんの顔からはその覚悟を感じ取れた。少女の首を食べながら、彼女は最後に少しだけ笑った気がした。

 少女の叫び声が小さくなっていく。徐々に堕ちていく二人はついに見えなくなった。黒い影がなくなり病院の白い床が見えたとき、ついに僕はその場で意識を手放した。







 目が覚めた時、僕は病院のベッドに寝かされていた。

 隣には星野さんがパイプ椅子に座っていた。目を覚ました僕を見るや否や、『突然一人で発狂したように叫んで失神してびっくりした』と文句を言われた。

 病棟にいる看護師さんたちが慌てて介抱してくれ、今とりあえず近くのベッドに寝かされている、というわけだ。

 呆然としながら星野さんの説明を聞く。そして先ほど見た光景を思い出していた。

「びっくりしたのよほんと、周りの人たちも集まってきて。すっごい声で叫んでたから」

「…………」

「何かあったんだと思うけど、なんで私じゃなくて大山くんなの?」

「星野さん、首は?」

 不服そうに言う彼女に尋ねた。少女に喰われて血が出ていた首は、今はなんともなく真っ白だ。星野さんは不思議そうに首を傾げる。

「首? 何が? そういえばこっち側ちょっと痛いかも」

「……痛いぐらいならいいや」

「どういう意味? ねえ、女の子ってどうなったの、私今憑かれてる?」

 早口で尋ねてくる星野さんに、今は何も説明する気は起きなかった。