僕と星野さんは言葉を失くした。ただ黙って、目の前で首を傾げている男性を見つめ続けた。
誰、とは。
しばらくして僕は戸惑いながら尋ねた。
「え、えええ? か、彼女なんだって僕たちに相談しに来たんですよ……? 彼氏が悩んでるんですって、あなたの写真と名前を教えられて」
「いや、知らない名前なんだけど……僕今彼女いないし……」
「………………」
「え、待ってどういうこと? 混乱してきたんだけど」
困ったようにいう彼に、僕たちも混乱のため何も言えなかった。
彼氏じゃなかった。知り合いですらなかった。
ただ恋焦がれる人の彼女だと名乗り、写真や悩みも仕入れ、自分は生き霊と化して彼のそばにいる。
顔色の悪い小柄な土屋さんの顔を思い出す。普通に可愛らしい女性に見えたのに、一気に全身に悪寒が走った。
そして。目の前に立つ彼氏さんの肩から、その顔がそっと現れる。
血色の悪い色、乱れたボブの髪、近づくな、と敵意剥き出しの目で僕たちを強く強く睨むその顔は、まさに鬼の形相といえた。
自分の額に汗が流れる。あまり近づいていては引きずられる、とすら思った。
隣の星野さんが何かを言いかけたのに気づき、すぐに止める。
「土屋さんってあな」
「星野さん!! あの、ここは一旦帰ろう、ね?」
「え、でも」
「突然現れて変なことを言ってすみませんでした!」
僕は勢いよく頭を下げる。
「いや、全然それはいいけど……」
訳がわからない、という顔をしている彼に、僕は顔を上げて早口で言った。彼の肩から見える土屋さんの視線から早く逃れたくて。
「これだけはハッキリ言わせてください、生き霊がついてるのは間違いないんです。信じられないかもしれないけど、嘘じゃないんです。一日も早くお祓い行った方がいいと思います!」
一息にそれだけ告げると、僕は星野さんを連れてその場から逃げ出した。星野さんはまだ何かいいたげだったが、無理矢理手を引いた。
僕たちをぽかんとして見送る彼氏さんの後ろから、土屋さんが睨んでいる。どうか僕の話を信じて、彼がお祓いに行ってくれることを祈った。
「面白い展開だった。生き霊だったっていうのも予想外だったし、それが土屋さんだったっていうのも」
僕は全身にぐっしょり汗をかき、足までもがブルブル震えているというのに、隣の星野さんはまるで表情を変えず感心するように言った。
とりあえず大学を飛び出して人気のない道まで進んできた僕たちはようやく足を止めた。あれ以上敵意に満ちた生き霊の近くにいるのはごめんだと思った。こっちもどう影響が出てくるかわからない。
「しかも本当は付き合ってなかったなんて。嘘ついてたのか、思い込んでたのか? どちらにせよ彼女普通じゃないわね」
「よく……冷静に……いられるね」
「私は視えないもの」
そうか、やっぱり鈍感は羨ましい。あの様子じゃ彼氏さん……実際は彼氏じゃなかった、伊藤さんも全然気づいてなさそうだった。
僕ははあーっと大きなため息をついて呟く。
「生まれて初めて、モテない人間でよかったって思ったよ」
「さっきの彼は確かにモテそうな子よね。不憫だな、生き霊に憑かれるなんて。私でもいや。やっぱりそこは普通の幽霊じゃないと」
「そういう問題じゃないんだよだから。
ちゃんとお祓い行ってくれるといいんだけど……大丈夫かなあ」
「しばらく私も様子見てみる。土屋さんにも会いたいんだけどな」
「余計なこと本人に言わない方がいいよ、生き霊の方かなり力ありそうだった。星野さんにも危害が及ぶかも」
「私は滅多に死なないってお墨付きだから」
けろりとしてそういう彼女に呆れた。怖いもの知らずもいいところ。やっぱり取り憑かれたいだなんて思う人間は神経が違う。
でも星野さんは置いといて、人間の愛情とは形が変わるとこんなに恐ろしいものに変化する。漫画でも小説でも、一途な想いは尊いみたいにかいてあるのに、こんな形の愛なら僕はごめんだ。
今現在、土屋さんは何を思ってるんだろう……そう想像せずにはいられない。
ちなみに星野さん曰く、土屋さんはそれ以降ずっと会うことができず、噂によるといつのまにか大学を辞めたらしかった。
心配していた伊藤さんの方は、普通に大学に通ってるとのこと。元気そうな様子で、特に変わりないらしい。
それは僕たちの助言通り彼がちゃんと祓いに行ったのか。
それとも、いつのまにかいなくなった土屋さんの身に何か変化が起きたのか。
今でも確かめる術はない。


