それから少し経った頃、本当に僕は星野さんの大学にいくことになってしまった。
星野さんの通う大学は僕が逆立ちしても入れないようなところで、頭がいい人ばかりいる。
とりあえず恐る恐る中へ入ってみると、自分の大学とは違う大きくて綺麗なキャンパスにうっとり憧れた。場違い感も凄いが、そこは隣に立つ星野さんになんとか補ってもらおうと思う。
「……で、土屋さんは知らないんだよね? 僕たちが彼氏さん見にいくこと」
恐る恐る尋ねてみる。ロングヘアを揺らして星野さんは言う。
「ええ、だってあれ以降話してないし」
「ほ、本当に仲良い友達ってわけじゃないんだね……」
「私別に仲良い友達とか特にいなくて」
(想像通り)
「でもそういうことじゃないの。土屋さん最近大学で会わなくて。あれ以降調子はどうか確かめるタイミングがないの」
「そうなんだ……」
勝手にきて大丈夫だろうか、と心配になるも別に接触するつもりはないしいいか。遠目から変なものが憑いてないかみるだけだ。
キャンパスは多くの人たちが歩いて賑わっている。まるで知らない場所で戸惑う僕を星野さんが誘導してくれる。食堂に向かっているらしかった。
「よくお昼時間食堂にいるらしいの、何回か見たから」
「下調べってやつだね」
「今日もいてくれるといいんだけど……」
星野さんが不安げに言いながら食堂へ近づいていく。その間、すれ違う学生たちがチラチラと星野さんを見ていた。いつものごとく隣の眼鏡は誰だ、という視線も感じる。慣れた。
「あ、あれ。大山くん、すごいタイミング! あの人でしょ?」
突然星野さんが嬉しそうに声を張り上げた。僕は彼女が指さした方向に視線を向ける。ここからはやや離れたところに、青年が歩いていた。多くの友達と思われる人々に囲まれていて、人気者、というオーラがここまで伝わってくる。
スラッとした人で、やっぱりどこか可愛らしさもある笑顔だ。犬っぽい感じ。写真よりずっとモテそうな感じが伝わってくる。
……って、ちょっと待て!
僕は自分の目を疑った。
てっきり、「はい彼氏さん何もいませんね。やっぱりストレスとかですかね、撤収」というパターンだと思い込んでいた。なのに笑いながら歩いているその人を見て、そのパターンではないことを思い知らされる。
彼の背後にピッタリくっつくように、女がいた。もちろん実体があるものではない。下半身が透けて見える女がいるのだ。
その女から離れるもんか、という強い意志が見えた。ごくりと唾を飲み込んで、一体どんな表情をしているんだと目を凝らして見つめてみる。
背中に張り付いているためよく見えなかった表情だが、ちょうど彼氏さんが友達と話しながら少し体の向きを変えたところで、チラリとだが女の顔が見えた。
「……う、わ」
僕がそう声を漏らしたのを星野さんは聞き逃さない。嬉しそうに僕の袖を握った。
「え、いるの? やっぱり憑いてるんだ? 肩が重いのもうなされてるのも霊のせいだったのね」
不謹慎に喜ぶ彼女に突っ込む余裕もない。瞬きもせず僕は見つめた。そして無意識につい少しずつ後退する。
厄介だ。これは、厄介なやつだぞ。
できれば関わりたくないやつ。
「大山くん?」
僕はただ、その女から目が離せずにいた。ボブの髪が男性の背後に隠れるように存在しているのを。
「……土屋さんだ」
「え?」
「憑いてるの、土屋さんなんだよ」
「……え?」
不思議そうに首を傾げる星野さんに、僕は慌てて説明した。
「だから……あの人に取り憑いてるの! 彼女の土屋さんなんだよ、生き霊ってわけ!」
そう。彼氏さんの背後にべったり憑いているのは紛れもなく土屋さんなのだ。見間違えるはずがない。恨めしそうに、愛おしそうに、彼氏にくっついている。
生き霊——死者ではなく生きている者の霊魂が恨みとかを持つ相手に取り憑くことだ。時には死霊より厄介だとも言われる。
実の所、生き霊を目の当たりにしたのは初めてだった。いや、見たことあるのかもしれないけど、普通の霊体と違いがわからないから気付けなかったのか。
とにかく厄介なものであるのは間違いない。彼氏さんが言っていた不調はまさかの彼女である土屋さんのせいだったとは。
星野さんは特に怯える様子もなく、感心しながら言った。
「へえ、そういう展開は想像してなかった」
「れ、冷静だね……」
「私憑かれたいけど生き霊は嫌。やっぱり普通の霊がいいな、わかるよね?」
「わかる……って言いそうになったけどまず第一に憑かれたくないから普通」
「でもまさか心配してた本人が憑いてたなんてね。生き霊って本人は無自覚であることが多いんでしょう? モテる彼氏って連呼してたし、心配な気持ちでそうなっちゃったのかな」
この前会った土屋さんはどこか顔色が悪かった。もしかして知らぬ間に生き霊を飛ばしていてそれによる疲れだったんだろうか。確かに、彼氏との交際に不安げな様子だったな。もしかして最近大学を休んでいるっていうのも……体調が悪化してるんだろうか?
僕は頭をかいて顔をゆがめた。
「ど、どうしようかな、見ちゃったからにはなんとかしないと……このままじゃ二人ともよくないし」
「え? 彼氏さんに言ってお祓いしてもらうのが一番なんじゃない。土屋さんは最近会えてないし連絡先も知らないし、何より本人に言ったからといっても無意識にやってるんじゃ解決出来るのかもわからないし、祓うのが一番確実で楽じゃない」
「そう簡単に言わないでよ」
あっけらかんとして言う星野さんを恨めしく見た。
「初対面の僕が、あなたに生き霊がついてるからお祓い行ってください、なんて言って信じてもらえると思う?」
「まあそれもそうだけど、言うだけならいいじゃない。信じないなら向こうが悪いのよ。私が言ってあげる」
そう言い切った星野さんは、僕が止める間もなくさっさと歩き出していた。ぎょっとして止める余裕もない。堂々と進む星野さんを慌てて追った。
「ちょ、ちょっと星野さん……!」
「あ、みて。ちょうど彼、友達と別れたよ、忘れ物かな? このタイミングのよさは言えってことね」
見れば確かに、彼氏さんは友達から離れてどこかへ歩き出している。星野さんは足早にそれを追った。僕はもうどうしていいか分からず戸惑っているだけだ。星野さんの強さが羨ましい。
ついに彼氏さんのところまで追いついた星野さんは、まるで迷うそぶりもなく声をかけた。
「すみません」
くるりと振り返る。写真で見るよりずっとモテそうな感じが伝わってくる。先輩、とのことだが同い年か年下にも見えてしまいそうな可愛らしい顔立ち。アイドルとかにこういう人いるよな。
「ええっと、伊藤さん、ですよね?」
「はい?」
彼氏さんはにこやかに首を傾げて僕たちを見る。僕はおずおずと星野さんの隣に立っているしかできない。
「どこかで会いましたっけ?」
「いえ、初めましてです。星野美琴といいます」
「あ、大山研一です……」
「あーそうですか! 何か?」
優しい笑顔でそう言ってくれる彼に、星野さんはズバッと言った。
「最近肩が重いとか夜中うなされるとかあるみたいですけど」
「え。う、うんそうだけどどこでそれ……まあ、僕前からよくあることなんだけど」
「生き霊ついてますよ」
結論、そのままストレートに。もちろん彼氏さんは目を丸くして驚いている。それでも星野さんは淡々と続けた。
「信じられないかもですけど、土屋るみさんなんです。本人に自覚はないですから、とにかく祓った方がいいかと」
「え」
「あなたの彼女の。交際うまく行ってないんでしょうか? 彼女が悪いとかじゃないとは思います、あなたがモテる彼氏だって心配するがゆえかと。まあそこは私に首突っ込めることじゃありませんけど」
「ちょ、ちょっと待ってくれる!」
彼氏さんは慌てて口を挟んだ。そして未だぽかんとした顔で続けたのだ。
「土屋るみって、誰?」


