数日後、星野さんが運転する車に乗せられて訪れたアパートは、よくあるタイプの小さなアパートだった。築年数は経っているだろうがリフォームされてぱっと見そこそこ綺麗にみえるタイプだ。

 下に四部屋、上に四部屋ある。茶色の外壁に外階段。洗濯物が干してあるのを見るに、住民はそこそこいるらしい。

「あそこね」

 駐車場に車を停めて星野さんが見上げた。大変幸せそうな顔だ。僕はゆっくりシートベルトを外しながらきく。

「それで、前の住民はなんで死んだんだろう」

 そう尋ねてみると、星野さんがゆっくりこちらをみる。どこか艶っぽいとさえ思える顔で言った。

「知らない方がいいと思う」

「…………」

 ポケットに入っているスマホを取り出して検索すれば簡単だ。でも僕は迷った末それをしなかった。彼女がそんな言い方をするに多分かなり嫌な出来事だ。知ってしまえばここで大きく気分が落ちる。一番いいパターンは、「事故物件らしいけど霊なんて何もいませんでした〜はい帰宅」だ。何も知らずにことを終えたい。

 僕たちは車から降りた。星野さんはよく見る白いワンピースを着ていて、風がその裾を泳がせた。

「二階の角部屋なんですって」

 外階段を星野さんが先頭で登っていく。今のところ変な感じもしない、ごくごく普通のアパートだ。

 事故物件、と言っても正直その厄介さはピンキリだ。

 例えばよくある老人の孤独死。こういうのは正直そこまであとに引かない。もし霊が部屋に残っていたとしても、死んだことに気づかなくて、とかそういうパターンで無害そのもの。

 次に厄介なのは自殺だ。自殺とはやっぱり生前生きることに散々疲れてしまった人がなす事で、この世に恨みを持っている人が多い。結構黒い存在だと思う。

 そして一番厄介なのが……言わなくても誰でもわかる。殺人事件だ。殺されるっていうのはこの世で最も強く恐ろしい恨みになる。僕だって突然殺されれば化けたくもなる。果たしてここの部屋はどれなのか。

「このお部屋ね、原田、って」

 星野さんが一番奥にある部屋の前で立ち止まり言った。そしてワクワクしながらインターホンを鳴らす。その音が響いてからほんのわずか経ったところで、待ってましたとばかりに玄関の扉が勢いよく開かれた。

「は〜いはい、いらっしゃいーー!」

 明るい声とともに現れたのは原田さんだ。ニコニコした顔、セットされた茶髪。僕とは正反対のタイプの彼は嬉しそうに星野さんを見ていた。

「こんにちは原田さん。お邪魔しますね」

「いやあ、まさか美琴ちゃんがこういうのに興味あるなんて思ってなかったよ。どうぞどうぞ!」

 そう笑顔で招き入れる原田さんと、次の瞬間ばちっと目が合った。僕は慌てて頭を下げる。

「お邪魔します……」

 その途端、彼の表情は面白いくらいに変貌した。なんでお前が来たんだ、空気読めねえなこの地味眼鏡が。言葉に出さなくてもそう罵倒されたのが聞こえた。

「あ、大山くんはどうしてもって私がお願いしたんです」

「あーうんうんいいよ。さ、大山くんも入って」

 すかさずフォローしてくれた星野さんの言葉に原田さんが笑顔を出す。原田さんに大山くん、なんて呼ばれたの初めてだ。こういう時幽霊より人間のが怖いかも、と思う。

「し、失礼します」

 中へゆっくり入るとよくある小さな玄関があった。星野さんが来るためだろうか、それとも元々綺麗好きなのか、ぱっと見とても清潔感のある玄関だった。今のところ嫌なものは感じない。

 星野さんとともに靴を揃えて上がった。以前から思っていたが、彼女はとんでもない趣味を持ってるくせにこういう時の所作は中々優雅でお嬢様っぽい。いいマンションに住んでたし車持ってるし、実家は金持ちかもしれないなと思った。

「狭いけど」

 短い廊下を進んでいく。途中、トイレや浴室と思われる扉を通り抜けた。小さなキッチンがある。そして一枚の扉を開けると、ワンルームが目に入った。

 広さは十畳ほどだろうか。僕が住んでるアパートよりは広い。意外と物も少ないせいか広々と見える。隅にある大きなクローゼットのおかげだろうか。

 なんてことないよくある部屋だ。テレビにローテーブル、洒落た間接照明(原田さんが間接照明って、と思ったのは内緒だ)端にはベッド。

 特に嫌なものも感じない、極々普通の部屋。

「わあ、原田さんのお部屋おしゃれなんですね」

 星野さんがにっこり言う。褒められて気分良くした原田さんはヘラヘラと笑った。

「そうかな、いつもこんな感じなんだけど」

 僕はといえば褒めることすら忘れ、ただひたすら安心した。よかった、これは全然大丈夫そうだ。嫌な気なんて全然感じない。ここには何もいなさそうだ。

「お茶入れるから二人とも座って。てゆうか、飯食べた?」

「いいえ、私はまだですけど……」

「あ、僕も」

「なんか作るよ」

 狙ってる女にいいところを見せたいのかそれとも本当に親切心なのか。原田さんの提案に僕たちは素直に乗った。原田さんはキッチンで働いてるんだしそりゃ料理の腕前はあるはずだからな。

 星野さんと二人でローテーブルの前に座った。ガラスのテーブルだった。

 座った途端星野さんが小声で尋ねてくる。

「ね。大山くん、どう?」

 大変期待している顔だ。期待を裏切って申し訳ないが、僕は正直に答えた。

「いいお部屋だと思うよ」

「……なあんだ」

 つまらなそうに目を座らせた。僕にとってのいいお部屋と星野さんにとってのいいお部屋はだいぶ違いがある。

 改めて周りを見渡す。ここで人が死んだと言うことか。もしかして老人の老衰や病死とかなのかもしれないな。よかったよかった。

 目の前に冷たいお茶が入ったグラスが置かれる。僕が頭を下げると、星野さんがすかさず原田さんに言った。

「原田さん、部屋の写真って撮ってもいいですか?」

「え? あはは、別にいいよ。何か撮れたら心霊番組とかに送れちゃうかもね」

 笑って答えた原田さん。もし万が一心霊写真何か撮れたとしても、この女は番組に送ったりしませんよ。多分自分の部屋に額縁に入れて飾るに違いない。

 原田さんは再びキッチンへ戻っていく。星野さんはスマホを取り出した。

「一応、ね。大山くんには分からない何かが写るかもだし」

 彼女はさまざまなところにカメラを向けて撮り始めた。まずはテレビ前、ベッド。僕は呆れながらただぼんやりそれを眺めていた。早く帰りたい、とすら思っている。

 念入りに写真を撮り続ける星野さんはさまざまな角度で部屋を撮り続けながら、すぐに画像を確認している。特に気になる点はないらしくガッカリしていた。

 くるりと向きを変えて今度はクローゼットの方に向かって写真を撮る。僕は冷えたお茶を飲みながら何も言わずに見守っていた。シャッターを切ったピロン、という高い音だけが響く。

 だが。

 その次の瞬間、突然足から頭の先まで冷たい何かが駆け巡った。自分の髪の毛は逆立っているのではないのかと思うほどのもので、この悪寒が決して風邪を引いただとかそういうものではないことはわかっていた。

「ううん、特に何もないかなあ」

 スマホを覗き込みながらそう呟く星野さんの手首をすかさず握った。そして強く引き寄せ、クローゼットを写した画像を急いで覗き込んだ。

 よくある白い両開きのクローゼットだ。画像自体は決して変なものは写っておらず、ひっそりと扉が写っている。

「大山くん?」

 不思議そうに僕の顔を覗き込む彼女を無視して、僕はじっと目の前のクローゼットを見つめた。適温に調整されているはずの部屋で汗が頬を伝った。

 何だろう。

 何かがいる。

 視線を感じる。