本職のWebデザインの仕事を終えてバーに着くと、瑛里華がカウンター席に座っているのを見つけて驚いた。もう会うことはないと思っていたから。
瑛里華は俺を見るなり、口元に笑みを浮かべる。何か吹っ切れたかのような雰囲気を感じた。
「いらっしゃいませ。ご注文は伺っていますでしょうか」
「いえ、まだよ。あなたを待ってたから」
「私を?」
「ええ、アメリカン・レモネードをお願いしてもいいかしら?」
そう言いながら、瑛里華はカバンの中からクシャクシャになった煙草の箱を取り出す。それを見て俺はハッとした。それはあの日、胸ポケットからなくなっていた使いかけの煙草だった。
「返せって言うから、返しに来たわ」
「……まだ持ってたのか」
「ただ……もう一本しか残ってないの」
俺はカウンターに置かれた煙草の箱を手にして中身を確認する。確かに一本しか入っていなかった。
「あなたの真似をして吸ってみたんだけど、私には煙たくて無理だった」
「なんで真似なんかしたの?」
「……島崎くんに近付きたかったんだ……でも無理だった……」
アメリカン・レモネードのカクテル言葉は『忘れられない』。あの頃抱いた淡い想いは、俺だけじゃなかったのか。
「あなたの胸ポケットの煙草に気付いて、最初は呆れたの。まだ吸ってるのって……。でもあなたが煙草を咥える仕草を思い出して、あのキスを思い出して……胸が苦しくなった。私、島崎くんが好きだったんだって自覚したの」
瑛里華の話に耳を傾けながら、アメリカン・レモネードを作っていく。グラスに注ぎ、彼女の前にそっと差し出す。
「私ね、キスなんてしたことなかったのよ。でも衝動を抑えられなかった……。煙草の匂いを嗅いで、あなたにキスして……でも急に起きそうになったから慌てて逃げたの。今でもあの時のドキドキを思い出せるわ!」
瑛里華はカクテルを口に含み、それからグラスを愛おしそうに眺める。
「あなたの物を持っていたら、繋がっていられる気がした。でももうお終い。それを返したら、私はあなたを忘れるわ」
「……勝手なこと言うなよ」
「えっ……」
「俺はこの煙草の箱を吸い終わったら、禁煙するつもりだったんだ。でも永島さんが持って行ったから今もやめられずにいる」
「それなら良かった。この一本を最後にして、自分のためにも禁煙して」
どうしてこれを最後にしようとしたのか、煙草の箱とともにその理由が心に蘇ってくる。
満たされない心を埋めるかのように、やめたくてもやめられずに続けてしまった悪習慣。でも今ならそれを断ち切ることが出来るかもしれない。
「永島さんのせいで、禁煙出来なかったんだ。だから責任とってよ」
「責任……?」
「友達になろう。あの時はただの問題児と優等生だった。だから友達から始めないか? メッセージのやり取りをして、ご飯を食べたり」
「でも……私は結婚……」
「二ヶ月だけだろ? それならここに来てよ。店員とお客様、それなら問題はないはずだ」
「それは……友達……止まりなの?」
瑛里華のねだるような表情に、俺はゴクリと唾を飲んだ。あの日に心を置いてきたのは彼女も同じなのかもしれない。
「永島さん、今も俺の事が好きなの?」
「……わからない。今のあなたを知らないもの」
お互いに無言のまま見つめ合う。こんなに潤んだ瞳で見るのに、好きかわからないなんてよく言えるよ。
その時だった。
「島崎?」
声がした方を振り返ると、譲さんが不思議そうな顔で立っていた。気まずそうに俯く瑛里華の隣に譲さんは腰を下ろす。
「実はさっき入籍したんだ。二ヶ月だけの契約結婚だけどね」
その言葉が鋭い棘のように胸に突き刺さる。瑛里華を譲さんに奪われたような気持ちになって、怒りが込み上げてくる。
なんだよこれ……これが嫉妬ってやつなのか? 初めて抱く感情に、苛立ちを隠せなくなる。
「……二人は契約結婚なんですよね? それなら絶対に彼女に手を出さないでください」
譲さんは何故か楽しそうに笑っている。それが更に拍車をかける。
「……どうしてそんなことを島崎に言われるんだ?」
どうして? そんなの彼女を誰にも渡したくないからに決まってる。
あぁ、そうだよ。俺は瑛里華が好きなんだ。あの日キスをされてから、彼女に心を持って行かれた。だから今度は俺の番。
俺はカウンター越しに身を乗り出すと、瑛里華の顎をそっと引き寄せてキスをした。瑛里華は驚いたように目を見開く。
「……二ヶ月、譲さんの元に帰るのを我慢するから、代わりに心は俺のところに置いておいてよ」
「……それって、私のことが好きって言ってるように聞こえる」
「そうだよ、あの日からずっとね」
「嘘……」
「本当」
瑛里華の瞳からは涙が流れる涙を指で掬い、それから譲さんの方に向き直る。
「仕方ないから彼女は貸しますけど、二ヶ月後にはしっかり返してもらうんで」
「はいはい。それにしても、クールな島崎がそんなに熱くなるなんてな。しかもクールな永島さんが真っ赤になってるし。いいもの見させてもらったよ。でも一応二ヶ月は俺の妻だから、お前も手を出すなよ」
「それは大丈夫。その間に心の距離を縮めるから」
譲さんはニコニコしながら俺の肩を叩くと、
「仕事に戻る」
と言い残して店から出て行った。
瑛里華の方に向き直ると、確かに顔を真っ赤にしてジタバタしている。
「ということで友達開始な」
「……強引なのは変わらないのね。でもまだ煙草の匂いがした」
「一日で止めるのは無理がある」
「じゃあ絶対に二ヶ月でやめてね」
「……まぁ最後の一本が返ってきたわけだし、頑張ってみるよ。次はレモネード味のキスなんて良いかもね」
俺が言うと、瑛里華は恥ずかしそうに顔を背けたからつい笑ってしまう。
あの頃、瑛里華の化けの皮を剥ぎたいなんて言ってたけど、こんなに可愛い顔が隠れていたんだ。でもわかる、彼女がこんな顔をするのは俺の前だけだってこと。
「ねぇ、次はフロリダを作ってくれない?」
「フロリダを作ったら、終電は見送ってくれるの?」
「そうねぇ……そうしてあげてもいいけど」
瑛里華がクスクス笑う。その姿に心を奪われた。
二ヶ月後にどうなっているかなんてわからない。でも俺には二人の未来が明るく照らされているのが見えるんだ。
瑛里華は俺を見るなり、口元に笑みを浮かべる。何か吹っ切れたかのような雰囲気を感じた。
「いらっしゃいませ。ご注文は伺っていますでしょうか」
「いえ、まだよ。あなたを待ってたから」
「私を?」
「ええ、アメリカン・レモネードをお願いしてもいいかしら?」
そう言いながら、瑛里華はカバンの中からクシャクシャになった煙草の箱を取り出す。それを見て俺はハッとした。それはあの日、胸ポケットからなくなっていた使いかけの煙草だった。
「返せって言うから、返しに来たわ」
「……まだ持ってたのか」
「ただ……もう一本しか残ってないの」
俺はカウンターに置かれた煙草の箱を手にして中身を確認する。確かに一本しか入っていなかった。
「あなたの真似をして吸ってみたんだけど、私には煙たくて無理だった」
「なんで真似なんかしたの?」
「……島崎くんに近付きたかったんだ……でも無理だった……」
アメリカン・レモネードのカクテル言葉は『忘れられない』。あの頃抱いた淡い想いは、俺だけじゃなかったのか。
「あなたの胸ポケットの煙草に気付いて、最初は呆れたの。まだ吸ってるのって……。でもあなたが煙草を咥える仕草を思い出して、あのキスを思い出して……胸が苦しくなった。私、島崎くんが好きだったんだって自覚したの」
瑛里華の話に耳を傾けながら、アメリカン・レモネードを作っていく。グラスに注ぎ、彼女の前にそっと差し出す。
「私ね、キスなんてしたことなかったのよ。でも衝動を抑えられなかった……。煙草の匂いを嗅いで、あなたにキスして……でも急に起きそうになったから慌てて逃げたの。今でもあの時のドキドキを思い出せるわ!」
瑛里華はカクテルを口に含み、それからグラスを愛おしそうに眺める。
「あなたの物を持っていたら、繋がっていられる気がした。でももうお終い。それを返したら、私はあなたを忘れるわ」
「……勝手なこと言うなよ」
「えっ……」
「俺はこの煙草の箱を吸い終わったら、禁煙するつもりだったんだ。でも永島さんが持って行ったから今もやめられずにいる」
「それなら良かった。この一本を最後にして、自分のためにも禁煙して」
どうしてこれを最後にしようとしたのか、煙草の箱とともにその理由が心に蘇ってくる。
満たされない心を埋めるかのように、やめたくてもやめられずに続けてしまった悪習慣。でも今ならそれを断ち切ることが出来るかもしれない。
「永島さんのせいで、禁煙出来なかったんだ。だから責任とってよ」
「責任……?」
「友達になろう。あの時はただの問題児と優等生だった。だから友達から始めないか? メッセージのやり取りをして、ご飯を食べたり」
「でも……私は結婚……」
「二ヶ月だけだろ? それならここに来てよ。店員とお客様、それなら問題はないはずだ」
「それは……友達……止まりなの?」
瑛里華のねだるような表情に、俺はゴクリと唾を飲んだ。あの日に心を置いてきたのは彼女も同じなのかもしれない。
「永島さん、今も俺の事が好きなの?」
「……わからない。今のあなたを知らないもの」
お互いに無言のまま見つめ合う。こんなに潤んだ瞳で見るのに、好きかわからないなんてよく言えるよ。
その時だった。
「島崎?」
声がした方を振り返ると、譲さんが不思議そうな顔で立っていた。気まずそうに俯く瑛里華の隣に譲さんは腰を下ろす。
「実はさっき入籍したんだ。二ヶ月だけの契約結婚だけどね」
その言葉が鋭い棘のように胸に突き刺さる。瑛里華を譲さんに奪われたような気持ちになって、怒りが込み上げてくる。
なんだよこれ……これが嫉妬ってやつなのか? 初めて抱く感情に、苛立ちを隠せなくなる。
「……二人は契約結婚なんですよね? それなら絶対に彼女に手を出さないでください」
譲さんは何故か楽しそうに笑っている。それが更に拍車をかける。
「……どうしてそんなことを島崎に言われるんだ?」
どうして? そんなの彼女を誰にも渡したくないからに決まってる。
あぁ、そうだよ。俺は瑛里華が好きなんだ。あの日キスをされてから、彼女に心を持って行かれた。だから今度は俺の番。
俺はカウンター越しに身を乗り出すと、瑛里華の顎をそっと引き寄せてキスをした。瑛里華は驚いたように目を見開く。
「……二ヶ月、譲さんの元に帰るのを我慢するから、代わりに心は俺のところに置いておいてよ」
「……それって、私のことが好きって言ってるように聞こえる」
「そうだよ、あの日からずっとね」
「嘘……」
「本当」
瑛里華の瞳からは涙が流れる涙を指で掬い、それから譲さんの方に向き直る。
「仕方ないから彼女は貸しますけど、二ヶ月後にはしっかり返してもらうんで」
「はいはい。それにしても、クールな島崎がそんなに熱くなるなんてな。しかもクールな永島さんが真っ赤になってるし。いいもの見させてもらったよ。でも一応二ヶ月は俺の妻だから、お前も手を出すなよ」
「それは大丈夫。その間に心の距離を縮めるから」
譲さんはニコニコしながら俺の肩を叩くと、
「仕事に戻る」
と言い残して店から出て行った。
瑛里華の方に向き直ると、確かに顔を真っ赤にしてジタバタしている。
「ということで友達開始な」
「……強引なのは変わらないのね。でもまだ煙草の匂いがした」
「一日で止めるのは無理がある」
「じゃあ絶対に二ヶ月でやめてね」
「……まぁ最後の一本が返ってきたわけだし、頑張ってみるよ。次はレモネード味のキスなんて良いかもね」
俺が言うと、瑛里華は恥ずかしそうに顔を背けたからつい笑ってしまう。
あの頃、瑛里華の化けの皮を剥ぎたいなんて言ってたけど、こんなに可愛い顔が隠れていたんだ。でもわかる、彼女がこんな顔をするのは俺の前だけだってこと。
「ねぇ、次はフロリダを作ってくれない?」
「フロリダを作ったら、終電は見送ってくれるの?」
「そうねぇ……そうしてあげてもいいけど」
瑛里華がクスクス笑う。その姿に心を奪われた。
二ヶ月後にどうなっているかなんてわからない。でも俺には二人の未来が明るく照らされているのが見えるんだ。



