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 彼女と俺は住む世界が違った。お互い違う意味で有名だったから、名前は知っていたけど関わることのない存在のはずだった。

 だって俺は学年一の問題児。校内での喫煙がバレて停学。授業なんて寝てるかサボるか。テストで赤点なんて当たり前。

 それに比べて彼女は学年上位の優等生。決して校則は破らないクールビューティーというやつだった。

 その二人の糸が繋がったのは、高校三年の秋の放課後の空き教室でのこと。

 お互い遊びと確認し合っていた女教師と、空き教室で待ち合わせてこれからという時だった。誰も来ないと踏んでいた教室のドアが突然開かれたのだ。

 教室に入ってきた永島(ながしま)瑛里華(えりか)は、抱き合ってキスをしている俺たちを見るなり、すぐに視線を逸らす。

「忘れ物をしただけなので気にしないでください」

 硬直したまま動けなくなっている俺らには目もくれず、一番前の机の中からノートらしきものを取り出す。

「誰も来ないだろうという安易な考えは身を滅ぼしますよ。もう少し危機感を持たれた方が良いのでは?」

 瑛里華はそう言い残すと、颯爽と教室を後にした。

「今のって永島さん……? やだっ、見られちゃった⁈」
「んー……でも口は固そうじゃない?」
「だといいんだけど……なんかちょっと興醒めしちゃった。今日はもういいや。じゃあ早く帰るのよ!」
「えっ、マジで⁉︎」
「変な噂が流れたら嫌だし。そろそろ潮時かもねぇ」

 そして教室にただ一人残された俺は、悶々とした気持ちを吐き出すように机を蹴ってから外に出ると、勢い良く扉を閉めた。

* * * *

 次の日、図書館で勉強をしていた瑛里華を見つけ、隣の席にどさっと座った。瑛里華は俺を一瞥してから、再びノートに視線を戻す。そのことがカチンときて、どこかの棚から持ってきた意味のわからない本を広げると、肘をついて瑛里華の方を見た。

「みんなびっくりしてるわ。あなたが図書館にやって来たから」

 俺はイラッとして、周りを牽制するように睨みつける。するとそこにいた全員が視線を逸らすのがわかった。

「あら怖い。用がないなら出ていけば?」

 囁くように話す彼女に合わせ、俺も極力声のトーンを落とす。

「俺が本を読んだらおかしいわけ?」
「……心配しなくても、昨日のことは誰にも言わないから安心して」

 瑛里華の横顔を見ながら、クールビューティーと言われる理由がわかったような気がした。切長の瞳、色白の肌、艶やかな長い黒髪。確かに綺麗だった。

「お陰でやり損ねたんだけど」
「そんなこと、二人の事情でしょう。私には関係ないもの」
「……なぁ、いつもそんな感じなわけ?」
「そうよ。いつもこんな感じ。面白くもなんともないの。だから早く消えてくれる?」

 俺は言葉を失った。そんなこと、今まで言われたことなんてない。しかもこちらを見ようとしないし。

 まぁ住む世界が違うってことだよな。関わらない方がお互いのためだ。

 俺は立ち上がると、本を近くの棚に置いて図書館を後にした。

* * * *

 関わらないと決めたはずなのに、俺は毎日のように昼休みの図書館に通うようになっていた。

 ああいうあしらい方をされたのが初めてだったから、悔しかったというのもあるけど、不思議と興味が湧いた。

 あんな一ミリも表情を変えない瑛里華を、どうにかして壊したくなったんだ。

 隣に座った俺に、瑛里華は今日も冷たい視線を送る。それがたまらなく俺をワクワクさせた。

「いい加減にしてくれる? 勉強の邪魔なんだけど」
「じゃあ今度教えてよ。俺赤点しか取ったことないし」
「どうして私が教えないといけないの? 時間の無駄ね」

 暖簾に腕押しとはこのことを言うんだろうな。全く変わらない態度に怯みそうになるが、なんとか気持ちを立て直す。

「ねぇ、島崎(しまざき)くんはどうして私に声をかけるの?」
「……さぁ。でも永島さんの化けの皮を剥いでみたいってのが一番かな」
「……化けの皮?」
「そう。クールビューティーの別の顔が見てみたいって思ったんだ」
「それなら無理ね。私には感情らしいものは見当たらないから。ただ……一つ気になってることはあるわ」
「へぇ。どんなこと?」
「島崎くん、タバコは体に良くないからやめた方がいいわよ」
「……やめたら何かしてくれる?」
「……自分の健康でしょ。私には関係ない」
「と言いつつ、心配はしてくれるんだ」

 攻めたんだけどな。今日も無表情か。本当に手強いな。でも意外と楽しんでる俺もいるんだ。

* * * *

 三学期に入ると、瑛里華は学校に来なくなった。受験組は自由登校期間に入ったためだ。

 俺は運良く受かった大学に進むことが決まっていたので、特に楽しみのない学校生活を送っていた。

 先生ともあれっきりだし、瑛里華との時間が増えたからか、他の奴らといても張り合いがなくなっていた。

 早く来ないかな……そう思っていたが、国立受験組は卒業式まで登校しないと聞いてがっかりした。

 卒業が近くなり、なんとなく瑛里華と初めて会った空き教室に行きたくなった。机に座って、ついうたた寝をしてしまう。

「島崎くん……?」

 夢か現実かわからないような囁き声がし、唇に柔らかいものが触れる。それから頬にくすぐったい何かが掠める。

 なんだろう……いい匂いもする……。

「んっ……」

 ようやく伸びをして覚醒しかけたところで、誰かが教室から出て行くのが見えた。

 誰かいた? まぁ財布もちゃんとあるし、別に誰でもいいか。

 そして俺は瑛里華に会うことがないまま卒業することになった。