みんなでなにかを決めなければならないとき、多数決になることが多いと思う。


 そうじゃないと、決め事なんて話が進まないし。


 効率的に考えれば、それが正解なのだろう。


 でも保育というものは、SNSが普及し、タイパやコスパを重視する。


 この令和のご時世でも効率的ではない。


 遠回りした先でも、そこに学びがあるのなら、べつにそれでいいのだ。


 たしかに賢く最短ルートを行って、正解を選びとる力もときには必要だ。


 だけど、そんなことができる要領のいい人ばかりじゃないし。


 ちょっと失敗をしたとしても、結果から遠回りをしてしまったとしても。


 そんな人生すら楽しめる力を、子どもたちには身につけていってほしい。


 あと、意見交換をしたとき。


 ちゃんと多数じゃなかったほうの意見にも耳を傾けてほしい。


 もし自分が少数派の意見になってしまったときでも。


 信頼できる仲間の中で、胸を張って自分の気持ちを伝えてほしい。


 誰かと意見が食いちがってしまっても。


 反対意見の人ともお互いに手を取り合って協力し、みんなでより良い方向に進んでいくふうに考えていく。


 保育園の子どもたちは、そういうことを本当に日常茶飯事にやっている。


 あーでもないこーでもないと言い合って、よくケンカもしちゃうけれど、それでも友達が好き。


 そんな子どもたちの姿を見ていると、大人は大切なことに気づかされる瞬間がある。


 これは、そんな話だ。






 保育園のイベントで、年に一回行われる夏祭りがもうすぐ近づいてきた。


 この夏祭りは、職員と保護者の父母会で協力し運営をしていて、保育園からいちばん近くにある金白公園を借りて、毎年開催されている。


 市内で開催されている大きなお祭りは、どこも混雑していて人だらけ。


 とても小さい子どもを連れて行って、楽しめるようなお祭りではない。


 地域の子どもたちのために、保育園が主催する小さいお祭りがあるといい。


 人の量が多すぎず、子どもたちが本当に楽しめて、親たちも安心して気軽に子どもを連れていけるようなお祭りにしよう。


 そんなみんなの声から始まったのが、こでまり保育園の夏祭りなのだ。


 しかし。


 夏祭りに向けて、職員と親たちで計画を立てる夏祭り実行委員会で、ある事件が起きてしまった。


 「今年はもう影絵は、さすがにやらなくていいですよね」


 そうきっぱりと言ったのは、実行委員会のリーダーである井口裕一郎さん。


 裕一郎さんは、スーツ姿でいかにもサラリーマンといった風貌のお父さん。


 お仕事は、誰でも名前を聞いたことのあるような大企業で働いている。


 ここ数年夏祭りでは、子どもたちから人気な絵本の影絵を職員と親たちで手作りし、夏祭り当日の日が沈んで空が薄暗くなった頃に、お祭りのフィナーレとして子どもたちに向けて披露をしていたのだ。


 しかし影絵作りに詳しくて、いつも実行委員会のリーダーとしてがんばってくれていた保護者の斉藤さんが、去年お子さんと一緒に卒園してしまった。


 つまり、ちゃんと影絵を作れる技術を持った人がいなくなってしまったのだ。


 本当はちゃんと斉藤さんから、引き継ぎをしておかなければならなかったのに。


 普段の忙しさでこういう引き継ぎすらおざなりになってしまうのも、本当に保育園あるあるだと思う。


 だから裕一郎さんは、無理をせず影絵をしない方向で話を進めようとした。


 しかし、それに真っ向から反対したのが水野玲子さんだ。


 「ちょっと待ってください!斉藤さんはもう卒園されてしまったけど、子どもたちに大人気な影絵ですよ!今年もやるべきだと思います!」


 玲子さんが少し怒り気味にそう言ってしまったので、裕一郎さんの眉間にしわが寄る。


 玲子さんは専業主婦で、わたしの担当する五歳児クラスに通う水野涼平くんのお母さん。


 ちなみに裕一郎さんも、同じクラスの井口翔真くんのお父さんなのだ。


 つまり、同じクラスに通う子どもを持つ親のふたりが、影絵を巡ってちょっぴり険悪な雰囲気になってしまったのだ。


 担任のわたしとしては、正直、板挟みには合いたくない。


 「あのねぇ〜、水野さん。まず作り方から斉藤さんに聞いて学ばなきゃならないんですよ。それに作るのにも時間がかかるし。披露するためには練習時間も必要なんですよ。あとね、どれだけがんばっても影絵はマージンにはならないんです。それだったら、影絵に使う時間や人員のすべてを、屋台に回したほうが効率いいんです!」


 「マージンや効率とかじゃなくて!子どもたちの見たいという気持ちを優先させるべきではないですか?だってこれは、子どもたちのために開いてる夏祭りでしょ!」


 裕一郎さんと玲子さんのやりとりは、さらに激化してしまう。


 「じゃあ、多数決をとりましょう!それならみんなの意見ですから、文句ないですよね!」


 言い争うこと自体が、時間も労力も勿体無いと言わんばかりの表情で裕一郎さんが話を切った。


 めんどくさいと言わんばかりの対応されてしまった玲子さんは、あきらかに不機嫌な顔をしている。


 そして、その場で手を挙げて多数決をとった結果。


 圧倒的に影絵をやりたくないと感じている親が大多数だった。


 正直なところ、影絵は手間なのだ。


 それでもやってもいいよという意見の親もちらほらいたが、少数すぎてその意見はなかったことのように掻き消されてしまった。


 ここで勘違いをしてはいけないことがある。


 影絵をやりたくない多数派の親たちが、子どもたちが楽しみにしている夏祭りをやる気がないわけではない。


 みんな仕事をしてる、子育てもしてる、だからその上で無理をせず、協力して開催しようねという夏祭りなのだ。


 みんな忙しい中、時間を割いて今も子どもたちのための実行委員会に参加をしてくれている。


 だから、わざわざ大変になってしまう影絵をやりたくないという意見が多くても当たり前なのだ。


 わたしは影絵をやりたいに手を挙げた。


 なんとなくそっちのほうが、子どもたちにとって楽しい夏祭りになると思っただけで、とくに深い理由やこだわりなどはない。


 まだ腑に落ちていない玲子さんが、「だったら影絵賛成派の人たちだけでやらせてください!」と食らいついたが。


 「それだと、なんのために多数決をとったんですか?それに、その影絵に割く人員が勿体無いんです!」


 裕一郎さんはそう言って、玲子さんをぴしゃりと一蹴した。


 ふたりの雰囲気が険悪なまま、その日の夏祭り実行委員会が終わった。


 次の日。


 わたしは廊下で保育園から帰る、裕一郎さんと翔真くんのあるやりとりをたまたま見た。


 裕一郎さんとふたりで手を繋いで歩く翔真くんが、壁に貼ってある夏祭りのポスターを見てすぐに影絵がないことに気がつく。


 「ね〜、パパ〜!なんで今年の夏祭りは影絵やらないの?」


 「あー。うん。大人たちみんなで話し合って、やらないことになったんだよ」


 「パパってたしか夏祭りの係だよね?ぼく、影絵楽しみにしてたんだけど。影絵やってよ〜!」


 「はぁ…。影絵はいろいろと勿体無いから無しだ!」


 裕一郎さんは、大きなため息をついたあとそう答えた。


 イライラした感情が態度か滲み出てしまっている。


 「なにが勿体無いの?」


 「子どもの翔真には説明するのが難しい!」


 「えー、なんでなんで?」


 「わがままを言わない!影絵影絵て、影絵のなにがそんなにいいのかさっぱりわからん!」


 裕一郎さんはそう言って、我が子である翔真くんの意見もぴしゃりと遮った。


 頭ごなしにされて、ぐっと気持ちを堪える表情をした翔真くんだった。


 わたしはたまたまその場面に鉢合わせたけれど、どちらの気持ちもわかるから難しくて、うまく声がかけられなかった。






 それから一週間が過ぎた。


 今日は保育参観の日。


 忙しい仕事の合間を縫って裕一郎さんは、翔真くんの保育園での姿を見たくて、保育参観に参加をしてくれた。


 朝の会で子どもたちが、今日の行きたい公園を話し合いで決める場面。


 「みんな、今日はどこの公園に行きたい?」


 子どもたちの前に立っているわたしがそう訊ねると、生き物が大好きな翔真くんが真っ先にこう答えた。


 「下茶池公園に行きたい!」


 しかし、すぐに亮平くんが反対意見を言った。


 「えー、おれは金白公園がいい!」


 他の子どもたちも、「わたしは下茶池公園じゃないとやだー!」


 「おれは金白公園が絶対いい!」と意見がわかれる。


 幼児期の、このような子ども同士の話し合いで、わたしが気をつけているポイントはふたつある。


 と、言ってもこれは師匠である理依奈さんの受け売りなのだけど。


 ポイント1、子どもたち一人ひとりがちゃんと自分の気持ちを、仲間の中で伝えることができているか。


 また自分のその気持ちに対し、なんでそうしたいのか理由が説明できること。


 ポイント2、友達の想いに耳を傾け、考えてみること。


 このふたつの重要なポイントができていれば、どこの公園になろうが、話し合いで折り合いがつかず公園に行く時間がなくなってしまってもいいと、わたしは思っている。


 子どもたちによるこういった話し合いの繰り返しが、子どもたちが将来、人と協力をして生きていくこと、たとえ人と意見がわかれて壁にぶつかっても、前向きに思考し良好な人間関係を作っていく力の土台になるはずなのだ。


 保育は結果より、その過程を重要視して考える。


 でも、そのほうが結局最後は良い結果に結びつきやすいのだと思う。


 どの仕事もきっとそうなのだろうけど、最初からうまくいく方法がわかっていて、らくで最短な道のりなど選び取れないということだ。


 子どもたちはおのおの自分の意見を言い合って、話し合いが加熱していく。


 「だから、おれは金白公園がいいって言ってるじゃん!」


 「勝手なこと言わないでよ!わたしは下茶池公園がいいんだから!」


 しばらく待ってみたけど、一向に公園が決まる気配はない。


 こうなってしまったら子どもだけで収集をつけることは難しい。


 だから話し合いの交通整理役として、保育士が必要になってくる。


 「じゃあ、なんで自分がその公園に行きたいかみんなの理由を教えて」


 わたしがそう訊ねると、「はいはい!」と翔真くんがいちばんに手をあげた。


 「はい。翔真くんどうぞ!」


 「ぼくは池でザリガニを見つけたいから、下茶池公園がいいです!」


 次に涼平くんも手をあげて、「おれは保育園から近いから、すぐ行けてたくさん遊べる金白公園がいい!」と答えた。


 下茶池公園は都心部には珍しく自然が豊かな公園。


 真ん中にある池ではザリガニ釣りができる。


 だけど遊具などはないし、保育園から少し離れた場所にあって子どもの足で徒歩二十分はかかってしまう。


 反対に金白公園は保育園からいちばん近い公園で、子どもたちが好きな遊具がある程度揃っている公園なのだ。


 子どもたちは話し合いをつづける。


 「わたしは鬼ごっこしたいから、下茶池公園がいい!」


 「おれはすべり台やブランコやりたい!だから金白公園だな」


 「ねぇ。美樹ちゃんはザリガニとか捕まえたいの?」と、訊ねる涼平くん。


 「んーん。わたしは鬼ごっこがやりたいだけ。だってわたし、ザリガニなんて触れないし」と、答える美樹ちゃん。


 「だったら、金白公園でいいじゃん!すぐに行けるから、たくさん鬼ごっこやれるよ!」


 「うーん、たしかにそうだね!わたし、やっぱ金白公園にするー!」


 美樹ちゃんのその言葉がきっかけで、わかれていたみんなの意見が金白公園に行く雰囲気に変わっていった。


 「広いところで鬼ごっこやろうと思ってたけど、下茶池公園ってよく考えたら虫が多いから、わたしも金白公園にする〜!」


 「おれはもう早く遊びたいから金白公園でいい!話し合いばっかは長くてつまらない!」


 今日は金白公園で決定かなと思ったそのとき。


 それをどうしても受け入れられない子がひとりだけいた。


 最初から下茶池公園がいいと言っていた翔真くんだ。


 どうしても納得できないといった表情のまま、黙り込んで目には涙を溜めている。


 きっと、最初は下茶池公園にするって言ってくれていた他の子たちが、心変わりして自分がひとりぼっちになったのも悲しかったのだろう。


 そこで裕一郎さんが、我慢できずに口を挟んでしまう。


 「翔真、そういうのってさぁ。自分ひとりで公園に行くわけじゃないんだから。他のみんなが言う通り金白公園でいいじゃんか。自分勝手はよくないよ」


 お父さんである裕一郎さんの言葉にも耳を貸さず、首を横に降って頑ななままの翔真くん。


 とうとう「翔真!」と怒鳴り気味に裕一郎さんが言ったので、さすがにわたしが間に割って入った。


 「裕一郎さん。保育はこれでいいんですよ。ちゃんと見守ってあげててください。大丈夫ですから!」


 「え、そういうものなんですか…」


 裕一郎さんはぐっと堪えて一歩下がる。


 裕一郎さんのその表情からは、自分の子はこんなんで小学校に行ってから、いや、その先もちゃんとやっていけるのだろうか。


 そう言わんばかりの不安が滲み出ていることを、わたしは悟った


 「翔真くん。どうしても下茶池公園じゃないとだめなの?」


 わたしがそう訊ねると、こくんとうなずく翔真くん。


 「じゃあ、みんなにお願いしなきゃね。自分でお願いできるかな?」


 「できない…」と、翔真くんはとても小さな声で呟いた。


 わたしは翔真くんの内面を分析してみる。


 自信がないのだ。


 みんなに言っても、どうせだめって言われる。


 だって、みんなは金白公園がいいのだから。


 ちゃんとそこまでわかっているから、みんなにお願いすることができない。


 だけど、自分が行きたいと思った下茶池公園じゃないのはいや。


 その気持ちに折り合いをつけることは、今は難しい。


 常に保育士は瞬間的に子どものこういう分析、そして答えを出して行動しなければならない。


 一日の中で数えきれないほど、こういうことを繰り返し。


 たしかな保育スキルが身についていく。


 「じゃあ朝陽先生が、翔真くんがみんなにお願いするの手伝ってあげるね!」


 わたしが味方でいるという安心感が、翔真くんの背中を押すように。


 そんな言葉がけを選んだ。


 そして、わたしは翔真くんの小さく震える手を握る。


 ひとりじゃないと、思えるように。


 翔真くんは勇気を振り絞って口を開いた。


 「みんな、ぼく、どうしても下茶池公園がいいんだ。みんなお願い!下茶池公園にしてくれないかな?」


 それでもやっぱり…。


 「えー、やだー!」


 「うーん…。どうしよっかなぁ」


 「翔真は、勝手だなぁ」


 「もうこんなに話したんだから、あそぶ時間なくなっちゃうよ!金白公園にしようよ〜!」


 みんなからは予想通りの答えが返ってきた。


 わたしは手を握りながら、もう一度翔真くんに訊いた。


 「どうする翔真くん?」


 それでも首を横に振って、目に涙を溜める翔真くん。


 みんなとの話し合いのすえ、あとには引けなくなってしまって譲れないし、自分でもどうすればいいのかわからない。


 子どもには、そういうときがある。


 でも、大人も同じだ。


 わたしも彼氏とは、そういうケンカを何回もしてきた。


 しかし、こういうとき子どもというのは驚くほど柔軟な一面を持っている。


 「しゃーねーな。明日の公園は金白公園にしてよ、翔真!おれは、今日はもう下茶池公園でいい!」


 頑なな翔真くんを見かねた、涼平くんがそう言ってくれた。


 「このままずっと話してたら公園で遊ぶ時間なくなるしね」


 「下茶池公園の森の中で鬼ごっこも楽しそうだしね。なんていうんだっけ、そういうの。この前YouTubeで見た」


 「サバイバルでしょ!」


 「そう、サバイバル!サバイバルしよ!」


 「いーねー!じゃあ、今日はサバイバル鬼ごっこだ!!」


 「面白そう!わたしもさんせーい!」


 他の子どもたちも下茶池公園でいいよと次々に言ってくれた。


 「ありがとう、みんな…」


 べそをかきながら感謝の言葉を言った翔真くんに。


 「いいよ。だっておれたち友達じゃん!」


 涼平くんは、それが当たり前のように言ってくれた。


 そう。


 こんな日常が、子どもたちにとっては、本当に当たり前なのだ。


 話し合いが終わって、みんなで下茶池公園に向かった。


 子どもたちは下茶池公園の森の中でサバイバル鬼ごっこをしたり、ザリガニ釣りを楽しんだ。


 その帰りの道。


 保育参観なので公園にも一緒に同行した裕一郎さんが、「今日はすみません。翔真のわがままでみんなを巻き込んでしまって。あんなに話し合いの時間が長くなってしまったから、結局公園で遊べる時間が少なくなってしまって…」と、となりでわたしに謝った。


 「たしかにそうなんですけど。でも見てください、裕一郎さん。子どもたちの顔、すっきりして満足してるでしょ!」


 友達と手を繋いで公園から帰る子どもたちの顔は、笑顔にあふれキラキラとしている。


 わたしはそんな子どもたちを見て目を細めた。


 「今日の鬼ごっこ楽しかったなぁ。おれ木の影で隠れるいいヒミツの場所見つけちゃった!」


 「え、次行ったとき教えてよ!」


 「いいよ!一緒に隠れような!」


 「でかいザリガニいたけど、あいつは釣れなかった。悔しい〜」


 「あのザリガニは池の主だから、きっと賢いんだよ!次は朝陽先生に釣ってもらおうよ!」


 「えー、朝陽先生はザリガニ触れないからいやだよ!」と、わたしはすぐにお断りした。


 本当にごめん。


 保育士だけどわたしは正直、生き物系はあまり得意じゃないのだ。


 悠さんは毎日子どもたちと虫とりに明け暮れているけど、自分には真似できない。


 保育士だって生き物系が苦手でもいいでしょ!


 人には得意不得意があるのだ。


 でも、子どもたちはにこにこして、わたしにこう言ってくる。


 「できるできる!」


 「そうそう。朝陽先生なんでもできるじゃん!ザリガニくらい余裕だよ!」


 だから、必死に断る。


 「ザリガニとセミだけは本当に苦手なの!せめてミミズとダンゴムシくらいにして!」


 「じゃあ、次に下茶池公園行ったときは、朝陽先生はザリガニに触る練習だね!」


 「えー、本当に勘弁してよ!もうゴム手ぶくろ持ってこ!ゴム手ぶくろしてザリガニに触るから!」


 わたしがそう言ったら、子どもたちからブーイングが飛んでくる。


 「わー、朝陽先生、それずるー!」


 「朝陽先生のずるー!」


 「ずるじゃないっ!」と、わたしは言い返す。


 そんなわたしと子どもたちのやりとりを見ていた、裕一郎さんが表情を緩めてぷっと吹き出して言った。


 「本当にみんなすっきりしてる」


 「たったひとりの意見をみんなで聞いたり。公園で遊べる時間が短くなっちゃっても、この仲間とだから面白い。そういうのが大切なんだって、きっと子どもたちはわかってるんだと思います」


 「朝陽先生。今日はありがとうございました。翔真は、こでまり保育園に通えて本当に良かったと思いました」


 「そう言っていただけて嬉しいです」


 「保育園という場所は、本当に自分が働いている仕事の世界とは大違いで面食らってしまいます。でも幼い頃から、大人のように人と比べられ、できるできないを気にして翔真には育ってほしくはないって思ってて。あらためて保育園って素敵なところだなって知ることができました。みんなであーだこーだ話し合ってやってくのって、なんだかいいですね」


 「非効率的ですけどね」


 わたしがそう呟くと、裕一郎さんはまたぷっと吹き出す。


 次に裕一郎さんは、少しあらたまって言った。


 「朝陽先生。やっぱり夏祭りの影絵やってみようかな。コスパもタイパも悪いから、やりたい親だけ募って、自分も入ってお手伝いさせていただきます」


 「わかりました。では玲子さんにその旨を伝えて、予定が大丈夫そうな保育士と親に、わたしから声をかけておきます」


 「ありがとうございます」


 わたしと裕一郎さんは微笑みあった。


 

 どちらの意見が良いとか悪いとかではない。


 少数派の意見のほうにも、それをいいと思っている人たちがいて、その想いをないがしろにせず大切にしてあげたいだけなのだ。


 とくに大したことじゃない。


 たったそれだけのこと。


 でも保育は、みんなのいろんな気持ちの、たったそれだけを大切にする。


 そんな仕事なのだ。




 ある週末の午後。


 なにげなく立ち寄ったショッピングモール内の服屋。


 店内はエアコンのおかげで、うちで過ごすよりもよっぽど涼しい。


 わたしはラックに並ぶワンピースを一枚一枚めくっていた。


 そもそも最近は夏祭りの準備が忙しくて、こんなふうにゆっくり服を見るのも久しぶりだった。


 そんなとき。


 「ん…?もしかして、朝陽?」


 聞き覚えのある声がした瞬間、わたしの心臓がどきどきと鳴った。


 ちなみにこれは、断じてときめいているわけではない。


 いやなやつと出くわしてしまった。


 振り返ると、金髪でセンターパートの髪型、肌は白く芸能人並みに整った顔立ちの男性が立っていた。


 彼の名前は蘇轍月。


 わたしの同級生で元カレだ。


 ワンピースのハンガーを握ったまま、わたしは言葉を失う。


 月も少し驚いた顔をしていたけれど、すぐに見覚えのある笑みを浮かべた。


 「もうすぐ朝陽のとこの保育園、夏祭りだよな…」


 突然そんな話題を振られて、わたしはしぶしぶ口を開く。


 「うん。今年は影絵を巡って一悶着あってさ。でも、やることになって今わたしもがんばって手伝ってるんだよね」


 「へー。今年の影絵は朝陽も作ってるんだ…。俺も見に行っていい?」


 「え、子ども用の影絵なんだけど…」


 「保育の参考になるかなって…」


 「普通に来なくていい」


 「なんですぐそういうこと言うんだよ」


 「いや、だってさ…」


 なんでうちの保育園の夏祭りに元カレが来るんだよ…。ありえないし。


 正直わたしは、保育士やってるところを彼に見られたくない。


 保育をしていると、誰でも自然と素の自分が出てしまうものだからだ。


 「ワンピース、見てたん?」


 「うん。夏っぽいのが欲しくて」


 「朝陽、ワンピース似合うもんな…」


 「…。」


 そういう言葉は彼女にでもかけてやってくれと思う。


 そのとき、気さくそうな若い女性店員がわたしたちに声をかけてきた。


 「おふたりはカップルですか?良かったらこのペアルックの服とかどうですか?」


 くすんだ水色のワンピース、男性用には同じカラーのペアルックのシャツを勧めてきた。


 「いや、俺たち友達なんですよ〜」


 月がにこにこ愛想笑いをしながらそう答える。


 こういうときの月は大学で鍛えられたのでけっこうノリがいい。


 「え、そうなんですか?おふたりってなんか距離が近い気がしちゃって〜。でも彼女さんは、もしかして彼さんのことが好きだったりして!」


 「いや、きらいです!」


 「わ〜!厳しい!!」


 わたしがきっぱりそう言ったので、店員さんがどっと笑う。


 「でも俺は好きなんですけどね!」


 「ひゅ〜!!」


 月の言葉に、店員さんは手を叩いて目をきらきらとさせた。


 たぶん陽キャってやつなのだろう。


 正直わたしはこういう大学生のようなノリがあまり好きじゃない。


 というか苦手だ。


 高校生のときは不良っぽくてトゲトゲしていた月だが、大学に入ってからは丸くなって周りの人たちとよく絡むようになった。


 仲の良い友達とスケボーサークルを作ったりもして楽しんでいた。


 それは、もともと人付き合いが苦手だった彼の成長なのだろう。


 反対にわたしは、高校生のときは誰にでも合わせてしまうようなタイプで、いつも周りの空気を読んで、みんなの邪魔にならないようにしていた。


 カラオケとか友達に誘われると断れなくて、でも歌う曲もなくて。


 いつも知ってる同じ曲ばかりを歌っていたなぁ。


 でも、そんな生き方が窮屈になって大学の途中からはけっこう好き放題やるようになった。


 良いか悪いかわからないけど、気づいたらむやみやたらと人に合わせない自分になっていた。


 飲み会は、本当に行きたいときしか行かなくなったし。


 仕事のことじゃなければラインの返信だって、前までは追われるようになるべく早く返していたのに、今じゃ自分のペースで返したいときにしか返信しない。


 だからわたしとまだ連絡を取り合っているのは、こんなわたしとでも一緒にいてくれる本当の友達だけになった。


 これも、わたしなりの成長なのだと思う。


 「じゃ、そろそろ行くね!」


 わたしはそう言って歩き出すと、月が一歩だけ近づいてきた。


 「元気でな。朝陽」


 「月もね」


 ショッピングモールを出ると、真夏の日差しがまぶしかった。


 信号待ちの間、さっき月が言った言葉が頭の中で再生されてしまう。


 なんでああいうことを言うかなぁ。


 はぁ…。帰りにスタバでも寄って帰ろ。