それから1週間後…
今日は新年も明けた1月2日
絶賛冬休みということで、クリスマスイブからは全く会っていない。
五木はバイト、私は会えない分、寝落ち通話なんてのもしてみたいけど、五木は嫌いだろうなと思って誘ったことは無い。
なにより、忙しいだろうしと私自身彼氏となだた五木に遠慮してしまう節があるからだ。
LINEを見返してみれば、つい昨日の
【あけおめ。今年もよろしくな】
【あけおめー!こちらこそ】
という、やりとりで会話は終了している。
このそっけないやり取りを最後に、五木からのメッセージはない。
十中八九、バイトで忙しいのだろう。
「はぁ……」
ベッドの上でスマホを持ちながら、思わずため息をついてしまう。
付き合う前はあんなにバチバチやり合ってたのに、いざ付き合ったらこんなに静かになるなんて。
いや、それはそれで悪くないんだけど。
結局、この一週間、私は五木に会いたいと思っているのに、それを素直に言えないでいる。
向こうから誘われるのを、ただひたすら待っている自分が情けない。
「……」
(…確か五木って駅前の飲食店で働いてたよね…?昼食がてら、行ってみてもいいのでは…?!)
(でも、そういうのって重いって思われるかな?)
そう考えると、スマホを持つ手が止まる。
けれど、何もしないまま、このまま時間だけが過ぎるのは嫌だった。
「……うん、別にいいよね。お昼ご飯を食べに行くついでだし!」
自分に言い聞かせるように声に出してみる。
よし、と勢いよく布団を跳ねのけ、着替えを始めた。今日はちょっと気合を入れて、でも「たまたま来た」感を出せるような服を選ぶべきだ。
黒のタートルネックに、白いロングスカート。上に薄手のグレーのコートを羽織る。自然体だけど、ほんの少しだけ「可愛い」を意識したつもり。
「これなら、重いとは思われないよね……多分」
髪を軽くまとめて鏡を確認し、肩掛けバックに最低限の荷物を詰めて家を出た。
駅前に着いたのは昼の少し前。
五木が働いている店の名前は「キッチン八木」。
和食がメインの、アットホームな雰囲気の店だ。
外から店内をチラリと覗くと、店の制服姿の五木がレジ横で忙しそうに動いているのが見えた。
髪をすっきりまとめた姿が、なんだか新鮮でかっこよく見える。
「……やっぱり帰ろうかな」
急に怖気づいてしまう。せっかく来たのに、急に恥ずかしくなってしまったのだ。
(いやいや、何しに来たのよ私!)
自分に喝を入れ、意を決してドアを開ける。
「いらっしゃいませ!」
店員の一人が元気よく声をかけるが、五木は気づいていない様子だ。
私は空いているカウンター席に座り、そっとメニューを広げた。
しばらくして、五木がようやくこちらに気づいたらしい。
目が合った瞬間、彼の表情がほんの一瞬だけ驚いたように動き、すぐに普段の無愛想な顔に戻る。
そして、こちらに近づいてきて小声で言った。
「お前、なんでここにいんだよ」
その言葉に、私は思わずムッとしてしまう。
「別にいいでしょ?お昼ご飯食べに来ただけだし」
「……まあ、せっかくだから、ゆっくりしてけよ」
少しだけ照れくさそうに言うその表情が、なんだか新鮮だった。
「うん、ありがとう」
メニューを選びながら、心の中でほんの少しだけ笑った。
やっぱり来てよかったかもしれない。
普段の五木とは違う、接客モードの五木。お客様に対して愛想よく笑っているその姿を見て
あんな表情もするんだ、と少し新鮮に思う反面、妙に胸がざわつく。
しばらくして、ふと五木の隣に立つ女の子に目が止まった。
少し背が低く、柔らかそうな雰囲気の可愛らしい子。その子が五木に何かを耳打ちすると、五木が小さく笑って「わかった、任せろ」なんて言っている。
(え……何あの距離感)
その瞬間、胸の中がもやもやで埋め尽くされた。
普通に考えれば、ただの仕事の会話だろうし、チームとして協力しているだけなのかもしれない。でも、あの自然なやりとりや親しげな雰囲気が、どうしても引っかかる。
(……別に、私が彼女なんだから、気にする必要なんてないよね)
そう自分に言い聞かせるけれど、目の端に映る二人の姿が気になって仕方ない。女の子が五木の袖を軽く引っ張って
「これ、どうすればいいですか?」と頼るような仕草をしているのを見て、つい箸を握る手に力が入ってしまった。
(なんであんなに親しそうなのよ……)
頭では分かっている。
バイト仲間だからだ。
仕事なんだ、職場なんだって。
でも心の中では、「私にはあんな明らかに優しくしてくれたことないのに」なんて、拗ねたような思いが湧いてくる。
五木がちらっとこちらを見た瞬間、私は慌てて目をそらした。
(……あー、私、なんでこんなに子供みたいなこと考えてるんだろ)
小さくため息をついて、冷めかけたお味噌汁を一口飲む。
すると、再び五木が私の席に近づいてきた。
「おい、どした。」
「え?五木…?どしたってなに……?」
「お前がわざわざここまで来るって、珍しいからな」
「た、たまにはね、こーいうところで食べるのもいいかなって思ったのよ」
慌てて取り繕おうとするけれど、五木はじっと私の顔を見つめてくる。
「…なんか用でもあるんか思ったが、本当に何でもないんだな?」
その低い声に、思わず言葉に詰まる。
(……こういうとこ、ズルいんだよな)
どう答えればいいか迷っていると、さっきの女の子が五木の肩をポンポンと叩きながら、「五木さーん、次のテーブルお願いします」と声をかけてきた。
五木は軽く私に「後で話す」とだけ言い残し、その子と一緒に行ってしまう。
私はそんな二人の後ろ姿をぼんやりと見つめながら、また胸の中がもやもやしてくるのを感じていた。
(……あとで話すって、ちゃんと時間作ってくれるのかな。バイト後じゃ疲れてるだろうに、迷惑、かけたかな)
不安と期待が入り混じった複雑な気持ちで、残りの食事を少しずつ食べ進めることしかできなかった。
帰宅後…
家を出て帰り道、なんだか胸が重たい。
五木は「あとで話す」と言ったけれど、あの女の子との親しげな様子を見てしまったせいで、自分からその話を持ち出す勇気もない。
家に着くと、すぐにベッドに倒れ込む。
「はあ……」
無意識にため息が漏れる。
頭ではわかっているのに、心がついていかない。
五木のことが好きだからこそ、こういう気持ちになるんだと自分に言い聞かせるけれど、それでも苦しかった。
スマホを手に取ると、LINEに新着メッセージが1件入っており、確認するとそれは五木からで。
【今どこだ、家か?】
そんなメッセージに、今すぐ来て欲しいという本音を隠して
【やっぱり大丈夫!ちょっと勉強で行き詰まってただけだから、ありがとね】
なんて気丈振った定型文を打って終わらせた。
こんなの、自分じゃないみたいだ。
そしてまた、ため息を吐いてから目を閉じた。
数日後……
アラーム音で目を覚まして
少し気分転換に外に出ようと、街中を歩いていると、ふと前方に見覚えのある後ろ姿が目に入った。
「え……五木?」
五木たちと私の間は小又10歩ぐらいの距離か
立ち止まって目を凝らすがわやっぱり五木だった。
ただ五木の次に私の目に飛び込んできたのは、前バイトのときに五木の近くにいた女の子だった。
二人ともカジュアルな私服姿で、横並びに歩いている。
女の子の方はまるで好きな人にアピールでもするかのように可愛く、五木の服の袖を引っ張ってかまってほしいみたいな雰囲気があって
その反面、五木の方は何だか他人行儀な距離感、というか接し方だ…。
(……嘘でしょ?)
その瞬間、心臓がギュッと締め付けられるような感覚に襲われる。
(だって、バイト先の子と私服で?一緒に歩いてるなんて……普通に考えておかしくない?)
頭の中で勝手に最悪のシナリオが駆け巡る。
(もしかして……浮気?)
足がその場に貼り付いたみたいに動かない。視線は二人に釘付けのまま、手は震えていた。
彼女が五木の袖を軽く引っ張り、何か楽しそうに話しかけると、五木がはいはいと満更でもない感じに雑に受け流している。
そのやりとりがあまりに自然で、私には入り込む余地がないように見えた。
気づけば、胸がじんと痛む。
「……帰ろう」
もうこれ以上見ていられなくて、その場を去ろうとした、そのとき
五木がこっちに振り向いて、しっかり目が合ってしまった。
私はまずいと思って、その場から逃げるように走り去って家に戻った。
帰宅後───…
家に戻ると、玄関で靴も脱がずに立ち尽くしてしまう。
(……五木が浮気なんてするはずない)
頭ではそう思うけれど、どうしても目の前で見た光景が頭から離れない。
片手で頭を抑えては、もう片方の手でスマホを取り出し、LINEを開き五木の名前を見つめる。
(……聞くべき?でも、もし本当に浮気だったら私振られるの?)
そんな弱気な思考に囚われた瞬間、逆に怒りがふつふつと湧いてきた。
私と会う時間はないけど、バイトの子と遊ぶ時間はあるってこと?
ただのバイト仲間と仲良くする暇はあるんだね。
そんな思考がぐるぐる回るうちに、だんだん悔しくなってきた。
五木の馬鹿
心の中でそう悪態をついてから、LINEを開いた。
連絡先から五木をタップして、怒りに任せて文字を打つけど、なかなか送信できない。
文字を打っては消し、また打ち直すを繰り返すうちに、だんだん頭の中がぐちゃぐちゃになってきた。
(五木なんてもう知らない)
イライラする気持ちを抑えられなくなり、勢いに任せてスマホをベッドに放り投げた。
そのとき、LINEの通知が鳴った。
画面を覗けば、それは五木からだ。
私はトーク画面を長押しして内容を確認した。
こういうとき、LINEのトーク画面で相手のメッセを長押しすると既読にならないで拝見できるのだから、iPhoneというのは便利なものだ。
五木からは【さっき、俺と目合って逃げたよな】と来ていて、思わずドキッとする。
(ば、バレてる……!)
するとさらに文章が送られてくる
【絶対誤解してんだろお前】
そんな言葉に、返信する労力すら無くなった私はもう一度スマホを手放し
しばらく天井をぼーっと見つめてから、ゆっくりと目を閉じた。
それから3日後
私は五木にメッセージを送ることもせず、鬼のようにかかってくる電話も無視し、ただ悶々としていた。
あの日から、五木とのトーク画面は未読のまま放置しているし、バイト先の女の子と親しそうにする姿も目に焼き付いて離れない。
(五木がそんな軽薄なことするような男じゃないってのは分かってる……それでもなお、真実を知りたくない自分がいる)
そんな考えが頭をよぎっては消え、また浮かんでくる。
そんなことを繰り返しながら、ただ時間だけが過ぎていった。
夕方……
窓の外は今にも雨が降り出しそうだ。
私はベッドに横になり、五木とのトーク画面をぼーっと眺めていたが、突然スマホが振動しだした。
慌てて画面を見ると、五木からの電話だった。
(なんでこのタイミングで)
思わず出ようか躊躇してしまう。
でも、ここで無視したら余計に気まずくなるだけだと思い直し、通話ボタンを押した。
するとすぐに五木の声が聞こえてきた。
その声はいつもより少し低く、少し焦っているような感じがした。
私は恐る恐る口を開く。
「ご、五木…?」
すると五木は間髪入れずに言った。
「…っ、!やっと出たな」
その声には、安堵の色が含まれていた
私は少し躊躇ってから、沈黙を破った。
「な、なんなの、さっきから」
「……お前が連絡つかねぇからだろ」
「そ、それは五木が…っ」
五木は小さくため息をついた後、静かな声で言った。
「……なぁお前さ、あの日俺が他の女子と歩いてるとこ見たんだろ」
五木の声は、いつもより優しい気がした。
私はその声に促されるように、ゆっくりと話し出す。
「私…五木が浮気したりするような奴じゃないってわかってるんだよ。でも私と会えないのにあんな場面見たら、腹立つし自信もなくしちゃって…っ」
「大体五木が悪いんだよ…?!」
少し強めに言うと五木は珍しいくらいどこか切なげで、寂しそうな声で言った。
「悪かった…あいつはバイト仲間で、でもプライベートでも付きまとってきやがって、昨日も道端でたまたま遭遇して引っ付かれてただけだ。」
「そこをお前に見られちまうし、絶ってぇ誤解させたと思ったんだ。結局お前に嫌な思いさせちまったし………ごめん」
その声はとても冷静で、淡々としていたけれど
どこか切羽詰まった様子が伝わってくる。
(なんだ…よかった、ていうかそれも、そうだよね。だってあの五木なんだから、そんな薄情な男じゃないし…!)
その独白に安堵している自分がいる。
五木が嘘をついているようにも見えないし
五木がこんなに素直に謝ってくるなんて珍しくて
「そう、だったんだ」
私が思わずそう呟くと、五木はホッとしたように息を吐いた。
そして少し間を置いてから五木に聞いた。
「じゃあ…私に飽きたとか、遊びってわけじゃないのね?」
「あったりめぇだわ」
強い語気でそう言われると、私は余程安堵したのか
電話越しにクスッと笑みを零した。
「何笑ってんだよ」という五木のバツが悪そうな声を無視して
「ねえ五木、罰としてさ?今日は私と寝落ち通話してよ」と軽く言ってみせる。
絶対に誘うことはないし
五木に言っても断られるだろうと思っていたこと
罰を口実に誘ってやった。
「あ?寝落ち通話?」
「そう!罰として、私が寝るまで通話してってこと」
嫌そうな声で拒否するのかななんて思ってたら
「…わーったわ」
存外、満更でもない感じ?
一言で了承してきて拍子抜けしてしまった。
「あれ、もっと嫌がるかと思った…意外」
「別に。罰だろ、大人しく受けるわ」
五木は淡々と答えながら「で?寝落ち通話ってずっと通話繋げときゃいいんかよ?」と聞いてきた。
私はえっと、と少し口籠もりながら「うん、それだけ」と、照れくさくなりながら言った。
すると五木は、ふーんとだけ言ってから 少し間を置いたあと、私に言った。
「───大お前となら通話ぐらいずっとしてられるわ。」
その声があまりに爽やかで、私はその言葉を聞くと、思わず顔が熱くなるのを感じた。
(……っ!)
不意打ちでそんなことを言われてしまい動揺するけれど
それを悟られないように必死に平静を装う。
「な、なにそれ……っ」
「元幼馴染だしな」
五木は淡々と言うけれど、私はなんだか気恥ずかしくて何も言えなくなってしまう。
(元って……急に彼女扱いしないでよ、なんか恥ずかしいじゃん…!)
すると五木が思い出したように言った。
「あ、そうだ。お前さ、14日の始業式の後ってヒマか?」
「え……?うん、特に予定ないけど……」
「じゃあちょっと付き合えや」
「いいけど…」
私は訝しげな顔でスマホをベッドサイドに置いた。
そうして、私たちはいつもの調子で他愛もない話を繰り広げる。
「ていうか五木、夏休みの課題やってる?」
「あ?当たり前ぇだろ、つーかもう終わったわ」
「ええ!うそ、五木って私と同じでギリギリにするタイプかと思ってたんだけど?」
「バカにしとんのかアホが、お前とはちげぇんだわ。」
「はあ?私だってもう終わりそうだし!」
「重要なのは休み明けのテストで赤点とるか取らねぇかだろ」
「う…っ、そういう五木はどうなのよ?」
「満点以外ありえねえな」
「……お、教えてくれない?私マジで今回赤点とったら進級できないし…っ!!」
「だろうな。俺に教わりてえなら、なんかアイス奢れや」
「か、彼女からお金取る気?!」
そうして、私たちはいつも通りの会話をして笑い合う。
(……うん、やっぱり五木と話してるときが一番楽しいな)
私は心の中でそんなことを思いながら時を過ごす。
数時間後…
いつの間にか夜も更けてきていた。
私は欠伸をしながら携帯の左上に表示される02:17を見て言う。
「時間経つの早いね…眠っ」
すると五木がそれに反応して言った。
「俺より先に寝んな」
「えー眠い」
「したいって言ったんお前だろーが」
「でも言っとくけどこれは罰だから、私のこと不安にさせたの重罪だし」
「へいへい…」
結局私は3時頃には寝落ちてしまった。
翌朝目覚めると、携帯の画面には通話終了画面が出ており
「10:07:15」と書かれていて、10時間もしていたことに驚くと同時になんだか嬉しくなる。
なんだかんだ言いつつも、私が寝た後にずっと繋げててくれたんだなって思うと、頬の緩みを抑えられなかった。
(本当に素直じゃないんだから…私のこと大好きじゃん…)
今日は新年も明けた1月2日
絶賛冬休みということで、クリスマスイブからは全く会っていない。
五木はバイト、私は会えない分、寝落ち通話なんてのもしてみたいけど、五木は嫌いだろうなと思って誘ったことは無い。
なにより、忙しいだろうしと私自身彼氏となだた五木に遠慮してしまう節があるからだ。
LINEを見返してみれば、つい昨日の
【あけおめ。今年もよろしくな】
【あけおめー!こちらこそ】
という、やりとりで会話は終了している。
このそっけないやり取りを最後に、五木からのメッセージはない。
十中八九、バイトで忙しいのだろう。
「はぁ……」
ベッドの上でスマホを持ちながら、思わずため息をついてしまう。
付き合う前はあんなにバチバチやり合ってたのに、いざ付き合ったらこんなに静かになるなんて。
いや、それはそれで悪くないんだけど。
結局、この一週間、私は五木に会いたいと思っているのに、それを素直に言えないでいる。
向こうから誘われるのを、ただひたすら待っている自分が情けない。
「……」
(…確か五木って駅前の飲食店で働いてたよね…?昼食がてら、行ってみてもいいのでは…?!)
(でも、そういうのって重いって思われるかな?)
そう考えると、スマホを持つ手が止まる。
けれど、何もしないまま、このまま時間だけが過ぎるのは嫌だった。
「……うん、別にいいよね。お昼ご飯を食べに行くついでだし!」
自分に言い聞かせるように声に出してみる。
よし、と勢いよく布団を跳ねのけ、着替えを始めた。今日はちょっと気合を入れて、でも「たまたま来た」感を出せるような服を選ぶべきだ。
黒のタートルネックに、白いロングスカート。上に薄手のグレーのコートを羽織る。自然体だけど、ほんの少しだけ「可愛い」を意識したつもり。
「これなら、重いとは思われないよね……多分」
髪を軽くまとめて鏡を確認し、肩掛けバックに最低限の荷物を詰めて家を出た。
駅前に着いたのは昼の少し前。
五木が働いている店の名前は「キッチン八木」。
和食がメインの、アットホームな雰囲気の店だ。
外から店内をチラリと覗くと、店の制服姿の五木がレジ横で忙しそうに動いているのが見えた。
髪をすっきりまとめた姿が、なんだか新鮮でかっこよく見える。
「……やっぱり帰ろうかな」
急に怖気づいてしまう。せっかく来たのに、急に恥ずかしくなってしまったのだ。
(いやいや、何しに来たのよ私!)
自分に喝を入れ、意を決してドアを開ける。
「いらっしゃいませ!」
店員の一人が元気よく声をかけるが、五木は気づいていない様子だ。
私は空いているカウンター席に座り、そっとメニューを広げた。
しばらくして、五木がようやくこちらに気づいたらしい。
目が合った瞬間、彼の表情がほんの一瞬だけ驚いたように動き、すぐに普段の無愛想な顔に戻る。
そして、こちらに近づいてきて小声で言った。
「お前、なんでここにいんだよ」
その言葉に、私は思わずムッとしてしまう。
「別にいいでしょ?お昼ご飯食べに来ただけだし」
「……まあ、せっかくだから、ゆっくりしてけよ」
少しだけ照れくさそうに言うその表情が、なんだか新鮮だった。
「うん、ありがとう」
メニューを選びながら、心の中でほんの少しだけ笑った。
やっぱり来てよかったかもしれない。
普段の五木とは違う、接客モードの五木。お客様に対して愛想よく笑っているその姿を見て
あんな表情もするんだ、と少し新鮮に思う反面、妙に胸がざわつく。
しばらくして、ふと五木の隣に立つ女の子に目が止まった。
少し背が低く、柔らかそうな雰囲気の可愛らしい子。その子が五木に何かを耳打ちすると、五木が小さく笑って「わかった、任せろ」なんて言っている。
(え……何あの距離感)
その瞬間、胸の中がもやもやで埋め尽くされた。
普通に考えれば、ただの仕事の会話だろうし、チームとして協力しているだけなのかもしれない。でも、あの自然なやりとりや親しげな雰囲気が、どうしても引っかかる。
(……別に、私が彼女なんだから、気にする必要なんてないよね)
そう自分に言い聞かせるけれど、目の端に映る二人の姿が気になって仕方ない。女の子が五木の袖を軽く引っ張って
「これ、どうすればいいですか?」と頼るような仕草をしているのを見て、つい箸を握る手に力が入ってしまった。
(なんであんなに親しそうなのよ……)
頭では分かっている。
バイト仲間だからだ。
仕事なんだ、職場なんだって。
でも心の中では、「私にはあんな明らかに優しくしてくれたことないのに」なんて、拗ねたような思いが湧いてくる。
五木がちらっとこちらを見た瞬間、私は慌てて目をそらした。
(……あー、私、なんでこんなに子供みたいなこと考えてるんだろ)
小さくため息をついて、冷めかけたお味噌汁を一口飲む。
すると、再び五木が私の席に近づいてきた。
「おい、どした。」
「え?五木…?どしたってなに……?」
「お前がわざわざここまで来るって、珍しいからな」
「た、たまにはね、こーいうところで食べるのもいいかなって思ったのよ」
慌てて取り繕おうとするけれど、五木はじっと私の顔を見つめてくる。
「…なんか用でもあるんか思ったが、本当に何でもないんだな?」
その低い声に、思わず言葉に詰まる。
(……こういうとこ、ズルいんだよな)
どう答えればいいか迷っていると、さっきの女の子が五木の肩をポンポンと叩きながら、「五木さーん、次のテーブルお願いします」と声をかけてきた。
五木は軽く私に「後で話す」とだけ言い残し、その子と一緒に行ってしまう。
私はそんな二人の後ろ姿をぼんやりと見つめながら、また胸の中がもやもやしてくるのを感じていた。
(……あとで話すって、ちゃんと時間作ってくれるのかな。バイト後じゃ疲れてるだろうに、迷惑、かけたかな)
不安と期待が入り混じった複雑な気持ちで、残りの食事を少しずつ食べ進めることしかできなかった。
帰宅後…
家を出て帰り道、なんだか胸が重たい。
五木は「あとで話す」と言ったけれど、あの女の子との親しげな様子を見てしまったせいで、自分からその話を持ち出す勇気もない。
家に着くと、すぐにベッドに倒れ込む。
「はあ……」
無意識にため息が漏れる。
頭ではわかっているのに、心がついていかない。
五木のことが好きだからこそ、こういう気持ちになるんだと自分に言い聞かせるけれど、それでも苦しかった。
スマホを手に取ると、LINEに新着メッセージが1件入っており、確認するとそれは五木からで。
【今どこだ、家か?】
そんなメッセージに、今すぐ来て欲しいという本音を隠して
【やっぱり大丈夫!ちょっと勉強で行き詰まってただけだから、ありがとね】
なんて気丈振った定型文を打って終わらせた。
こんなの、自分じゃないみたいだ。
そしてまた、ため息を吐いてから目を閉じた。
数日後……
アラーム音で目を覚まして
少し気分転換に外に出ようと、街中を歩いていると、ふと前方に見覚えのある後ろ姿が目に入った。
「え……五木?」
五木たちと私の間は小又10歩ぐらいの距離か
立ち止まって目を凝らすがわやっぱり五木だった。
ただ五木の次に私の目に飛び込んできたのは、前バイトのときに五木の近くにいた女の子だった。
二人ともカジュアルな私服姿で、横並びに歩いている。
女の子の方はまるで好きな人にアピールでもするかのように可愛く、五木の服の袖を引っ張ってかまってほしいみたいな雰囲気があって
その反面、五木の方は何だか他人行儀な距離感、というか接し方だ…。
(……嘘でしょ?)
その瞬間、心臓がギュッと締め付けられるような感覚に襲われる。
(だって、バイト先の子と私服で?一緒に歩いてるなんて……普通に考えておかしくない?)
頭の中で勝手に最悪のシナリオが駆け巡る。
(もしかして……浮気?)
足がその場に貼り付いたみたいに動かない。視線は二人に釘付けのまま、手は震えていた。
彼女が五木の袖を軽く引っ張り、何か楽しそうに話しかけると、五木がはいはいと満更でもない感じに雑に受け流している。
そのやりとりがあまりに自然で、私には入り込む余地がないように見えた。
気づけば、胸がじんと痛む。
「……帰ろう」
もうこれ以上見ていられなくて、その場を去ろうとした、そのとき
五木がこっちに振り向いて、しっかり目が合ってしまった。
私はまずいと思って、その場から逃げるように走り去って家に戻った。
帰宅後───…
家に戻ると、玄関で靴も脱がずに立ち尽くしてしまう。
(……五木が浮気なんてするはずない)
頭ではそう思うけれど、どうしても目の前で見た光景が頭から離れない。
片手で頭を抑えては、もう片方の手でスマホを取り出し、LINEを開き五木の名前を見つめる。
(……聞くべき?でも、もし本当に浮気だったら私振られるの?)
そんな弱気な思考に囚われた瞬間、逆に怒りがふつふつと湧いてきた。
私と会う時間はないけど、バイトの子と遊ぶ時間はあるってこと?
ただのバイト仲間と仲良くする暇はあるんだね。
そんな思考がぐるぐる回るうちに、だんだん悔しくなってきた。
五木の馬鹿
心の中でそう悪態をついてから、LINEを開いた。
連絡先から五木をタップして、怒りに任せて文字を打つけど、なかなか送信できない。
文字を打っては消し、また打ち直すを繰り返すうちに、だんだん頭の中がぐちゃぐちゃになってきた。
(五木なんてもう知らない)
イライラする気持ちを抑えられなくなり、勢いに任せてスマホをベッドに放り投げた。
そのとき、LINEの通知が鳴った。
画面を覗けば、それは五木からだ。
私はトーク画面を長押しして内容を確認した。
こういうとき、LINEのトーク画面で相手のメッセを長押しすると既読にならないで拝見できるのだから、iPhoneというのは便利なものだ。
五木からは【さっき、俺と目合って逃げたよな】と来ていて、思わずドキッとする。
(ば、バレてる……!)
するとさらに文章が送られてくる
【絶対誤解してんだろお前】
そんな言葉に、返信する労力すら無くなった私はもう一度スマホを手放し
しばらく天井をぼーっと見つめてから、ゆっくりと目を閉じた。
それから3日後
私は五木にメッセージを送ることもせず、鬼のようにかかってくる電話も無視し、ただ悶々としていた。
あの日から、五木とのトーク画面は未読のまま放置しているし、バイト先の女の子と親しそうにする姿も目に焼き付いて離れない。
(五木がそんな軽薄なことするような男じゃないってのは分かってる……それでもなお、真実を知りたくない自分がいる)
そんな考えが頭をよぎっては消え、また浮かんでくる。
そんなことを繰り返しながら、ただ時間だけが過ぎていった。
夕方……
窓の外は今にも雨が降り出しそうだ。
私はベッドに横になり、五木とのトーク画面をぼーっと眺めていたが、突然スマホが振動しだした。
慌てて画面を見ると、五木からの電話だった。
(なんでこのタイミングで)
思わず出ようか躊躇してしまう。
でも、ここで無視したら余計に気まずくなるだけだと思い直し、通話ボタンを押した。
するとすぐに五木の声が聞こえてきた。
その声はいつもより少し低く、少し焦っているような感じがした。
私は恐る恐る口を開く。
「ご、五木…?」
すると五木は間髪入れずに言った。
「…っ、!やっと出たな」
その声には、安堵の色が含まれていた
私は少し躊躇ってから、沈黙を破った。
「な、なんなの、さっきから」
「……お前が連絡つかねぇからだろ」
「そ、それは五木が…っ」
五木は小さくため息をついた後、静かな声で言った。
「……なぁお前さ、あの日俺が他の女子と歩いてるとこ見たんだろ」
五木の声は、いつもより優しい気がした。
私はその声に促されるように、ゆっくりと話し出す。
「私…五木が浮気したりするような奴じゃないってわかってるんだよ。でも私と会えないのにあんな場面見たら、腹立つし自信もなくしちゃって…っ」
「大体五木が悪いんだよ…?!」
少し強めに言うと五木は珍しいくらいどこか切なげで、寂しそうな声で言った。
「悪かった…あいつはバイト仲間で、でもプライベートでも付きまとってきやがって、昨日も道端でたまたま遭遇して引っ付かれてただけだ。」
「そこをお前に見られちまうし、絶ってぇ誤解させたと思ったんだ。結局お前に嫌な思いさせちまったし………ごめん」
その声はとても冷静で、淡々としていたけれど
どこか切羽詰まった様子が伝わってくる。
(なんだ…よかった、ていうかそれも、そうだよね。だってあの五木なんだから、そんな薄情な男じゃないし…!)
その独白に安堵している自分がいる。
五木が嘘をついているようにも見えないし
五木がこんなに素直に謝ってくるなんて珍しくて
「そう、だったんだ」
私が思わずそう呟くと、五木はホッとしたように息を吐いた。
そして少し間を置いてから五木に聞いた。
「じゃあ…私に飽きたとか、遊びってわけじゃないのね?」
「あったりめぇだわ」
強い語気でそう言われると、私は余程安堵したのか
電話越しにクスッと笑みを零した。
「何笑ってんだよ」という五木のバツが悪そうな声を無視して
「ねえ五木、罰としてさ?今日は私と寝落ち通話してよ」と軽く言ってみせる。
絶対に誘うことはないし
五木に言っても断られるだろうと思っていたこと
罰を口実に誘ってやった。
「あ?寝落ち通話?」
「そう!罰として、私が寝るまで通話してってこと」
嫌そうな声で拒否するのかななんて思ってたら
「…わーったわ」
存外、満更でもない感じ?
一言で了承してきて拍子抜けしてしまった。
「あれ、もっと嫌がるかと思った…意外」
「別に。罰だろ、大人しく受けるわ」
五木は淡々と答えながら「で?寝落ち通話ってずっと通話繋げときゃいいんかよ?」と聞いてきた。
私はえっと、と少し口籠もりながら「うん、それだけ」と、照れくさくなりながら言った。
すると五木は、ふーんとだけ言ってから 少し間を置いたあと、私に言った。
「───大お前となら通話ぐらいずっとしてられるわ。」
その声があまりに爽やかで、私はその言葉を聞くと、思わず顔が熱くなるのを感じた。
(……っ!)
不意打ちでそんなことを言われてしまい動揺するけれど
それを悟られないように必死に平静を装う。
「な、なにそれ……っ」
「元幼馴染だしな」
五木は淡々と言うけれど、私はなんだか気恥ずかしくて何も言えなくなってしまう。
(元って……急に彼女扱いしないでよ、なんか恥ずかしいじゃん…!)
すると五木が思い出したように言った。
「あ、そうだ。お前さ、14日の始業式の後ってヒマか?」
「え……?うん、特に予定ないけど……」
「じゃあちょっと付き合えや」
「いいけど…」
私は訝しげな顔でスマホをベッドサイドに置いた。
そうして、私たちはいつもの調子で他愛もない話を繰り広げる。
「ていうか五木、夏休みの課題やってる?」
「あ?当たり前ぇだろ、つーかもう終わったわ」
「ええ!うそ、五木って私と同じでギリギリにするタイプかと思ってたんだけど?」
「バカにしとんのかアホが、お前とはちげぇんだわ。」
「はあ?私だってもう終わりそうだし!」
「重要なのは休み明けのテストで赤点とるか取らねぇかだろ」
「う…っ、そういう五木はどうなのよ?」
「満点以外ありえねえな」
「……お、教えてくれない?私マジで今回赤点とったら進級できないし…っ!!」
「だろうな。俺に教わりてえなら、なんかアイス奢れや」
「か、彼女からお金取る気?!」
そうして、私たちはいつも通りの会話をして笑い合う。
(……うん、やっぱり五木と話してるときが一番楽しいな)
私は心の中でそんなことを思いながら時を過ごす。
数時間後…
いつの間にか夜も更けてきていた。
私は欠伸をしながら携帯の左上に表示される02:17を見て言う。
「時間経つの早いね…眠っ」
すると五木がそれに反応して言った。
「俺より先に寝んな」
「えー眠い」
「したいって言ったんお前だろーが」
「でも言っとくけどこれは罰だから、私のこと不安にさせたの重罪だし」
「へいへい…」
結局私は3時頃には寝落ちてしまった。
翌朝目覚めると、携帯の画面には通話終了画面が出ており
「10:07:15」と書かれていて、10時間もしていたことに驚くと同時になんだか嬉しくなる。
なんだかんだ言いつつも、私が寝た後にずっと繋げててくれたんだなって思うと、頬の緩みを抑えられなかった。
(本当に素直じゃないんだから…私のこと大好きじゃん…)
