昔から、男の人が苦手だった。
「ねえねえ、お姉さん。今一人?暇なら俺と遊びに行かない?」
“着いたよ”と送信すると同時に、いきなり知らない男の人から話しかけられ、思わずびくりと反応してしまう。
「…一人じゃないです。友達と待ち合わせてるので」
「えー?そうなの?じゃあお友達さんも一緒に遊びにいく?俺は全然いいけど」
するりと肩に腕を回され、ぞぞっと鳥肌が立つ。
母子家庭で育ったこともあってか、昔から男の人にはあまりいい印象がなく、態度がでかいところとか気に入らないことがあるとすぐに声を荒げてくるところとか、そういうところが全部怖くて苦手だ。
だから小学校は共学であったけど、中、高、大学は女子校に通っている。
できることならあまり関わりたくない。
「あの、本当に大丈夫ですから、離して…っ」
「おい、あんた、何気安く美雨に触ってんの」
「い、いたたたた!」
涙目になっていると、後ろから来た黒髪ロングの女の子が、私の腕を掴んでいた男の人の手をギリギリと締め付けていた。
「な、なんだおま…」
男の人はキッと女の子を睨みつけるが、あまりの美しさに見惚れて言葉が途切れていた。
「美雨、走るよ」
「え」
ギュッと手を握ってきたルカが耳打ちをしてくると、突然走り出した。
後ろでは男の人が呼び止めてくる声が聞こえてきたけど、ルカは迷わず私を引っ張って走っていく。
「はあはあ…っ」
「美雨、大丈夫!?あいつに変なことされてない?」
私と同じくらい走ったはずなのに、全く息切れをしていないルカが焦ったように私の両肩を掴んできた。
「うん…っ、ルカが助けてくれたから」
ニコッと笑顔を返すと、はあーと深いため息をついたルカが私を抱きしめてきた。
「よかった…。遅くなってごめんね」
「ううん!私が早く着きすぎちゃっただけだよ」
ルカは体を離すと、私の頭をよしよしと撫でてくれた。
ルカは、私の高校時代の親友、彩綾の大学の友達。
三ヶ月前に彩綾の紹介で初めて会ってから、今では二人でも遊ぶくらい仲良くなった女の子。
170センチくらいあるすらりとしたモデル体型、一つ一つのパーツがしっかりとしている整った顔立ち、サラサラの黒髪ストレートが似合うとても美人なルカに、私も最初は緊張した。
「あ、そうだ。今日のお店、たしかこの近くで…」
今日はルカが調べてくれたレストランに連れて行ってくれるということで、スマホを取り出して地図を確認していたルカがなぜかぴしっと固まってしまった。
「ルカ?どうかしたの?」
「ごめん、美雨…。営業日勘違いしてて、今日定休日だ…」
ルカが見せてくれた画面には赤い文字で“本日定休日”と書かれていた。
しゅんと落ち込んだようにうなだれてしまったルカに、思わずクスッと笑ってしまう。
ルカは美人で基本的になんでも完璧にできるけど、少し抜けているところがありそこがルカの可愛い部分でもある。
だから私も最初は緊張していたけど、ルカの意外な一面も知ったことでもっと仲良くなりたいと思い、今では大好きで大切な友達でもある。
「ルカが行きたかったお店は、また今度行こう。この近くに美味しいって有名な居酒屋があるんだけど今日はそこに行かない?」
「…え?」
ゆっくりと顔を上げたルカの手をギュッと握り、笑顔を浮かべる。
「私のために調べてくれた気持ちだけでも嬉しいよ。私はルカのちょっと抜けてるところも大好きなんだから。だからそんなに落ち込まないで?今日はパーっと飲もうよ!」
ルカがパッと笑顔になる。
「うん」
はーこの笑顔を見られれば私はなんだっていいんだ。
美人って最高。持つべきものは美人で可愛い女の子の友達だよね!
ルカと居酒屋に行くと、ちょうど一席空いていた二人掛けの席に案内してもらえ、並ぶこともなくすんなりと中に入ることができた。
「ルカとサシで飲むのは初めてじゃない?彩綾がいた時に三人で飲んだことはあったけど、あの時は次の日にテストがあって私も全然お酒飲めなかったし」
「たしかに、そうだね。美雨と初めて会った日だよね」
今でもルカと初めて会った日は鮮明に覚えている。
こんな美人が私のことを気になったからと彩綾にセッティングするよう必死に頼んできたのだと教えてもらったから。
*
「やっほー、美雨。先週ぶり」
「あ、彩綾!遅かったね」
高校の時に一番仲が良かった彩綾とは、大学生になってからも頻繁に連絡を取り合ったり会ったりしていた。
先週に会ったばかりなのに、なぜか今日会えないかと急に誘われ、最寄駅の居酒屋で彩綾を待つこと十分。
少し遅れて彩綾がやっと到着した。
「…あれ?その人…だれ?」
彩綾の後ろに隠れるようにして立っているけど、身長が高いせいで全く隠れられていない女の子がびくっと反応すると、恐る恐る前に出てきた。
まず最初に驚いたのは、ナチュラルなメイクのはずなのに顔のパーツ一つ一つが引き立っていて、目が離せなくなるほどの美人だった。
サラサラの長い黒髪からは、爽やかで少し甘いシャンプーの香りが漂ってきて、思わずどきりとしてしまう。
ふと、顎の右下にある色っぽいほくろに目がいき、じっと見つめていると桜色の唇が薄く開かれた。
「…あの、初めまして。お…わ、私、ルカ、ルカって言います」
「ルカ…ちゃん?」
少しハスキー声のルカちゃんはぱっと嬉しそうに笑うと、コクコクと何度も頷いていた。
「同じ大学のルカ。二年になってから仲良くなったんだけどね、この前SNSで上げた美雨とのツーショ見て、美雨に一目惚れしたんだって〜」
「ちょ、それは言わない約束…でしょ!」
ルカちゃんはニヤニヤと笑う彩綾に、赤くなった顔であたふたとしていた。
「私に?」
「仲良くなりたいんだって。だから、今日美雨のこと呼んだの」
「あの、急でキモいって思うかもしれないけど、美雨ちゃんと友達になりたくて。ダメ…かな?」
こんな美人にじっと見つめられてお願いなんてされたら、断れるわけがないじゃないか。
「彩綾の友達ならきっといい子に違いないね。私でよかったらぜひ」
「ほ、ほんと!?って、わわ!」
一歩私に近づこうとしたルカちゃんが、段差につまずき盛大に転んだ。
「ふっ、あはは!美人な顔してるのに、もしかしてドジっ子?」
「そうなんだよ。ルカって、基本的になんでもできる完璧人だけど、抜けてるところがあって残念なやつなの」
「ちょ、やめてよ!」
恥ずかしそうなルカちゃんにもっと面白くなって、笑ってしまう。
後から彩綾に仲良くなりたいからって必死に頼み込まれたんだと聞き、もっとルカのことが好きになったし仲良くなりたいって思ったんだ。
*
「本当、ルカと仲良くなれて私は幸せだよ〜。こーんな美人の友達だったら、いくら見てても飽きないし、優しくて気遣いもできる完璧な女の子なのに、実は抜けてるところもあるギャップも持ってて…もうほんっと最高!」
「ちょっと、美雨。飲み過ぎだよ」
ぽわぽわする頭でルカの肩をぺしぺしと軽く叩く。
「大丈夫大丈夫。まだまだいけるもん〜」
「そんな真っ赤な顔して何言ってるの。あ、もうすぐ終電の時間じゃない?」
スマホの時計を見せてきたルカにへらっと笑顔を返す。
「まだ大丈夫〜」
「いやいや、あと十分だよ。ほら、帰る支度して」
「…ルカ」
「え?」
「気持ち悪いかも…」
「…はあ!?」
ぎょっと目を見開いたルカは、慌てて私を立たせるとトイレに駆け込んでいった。
「うー…頭痛い…」
「そりゃあんだけ飲んでたらね。ほら、水」
ルカのおかげでなんとか店内にぶちまけることはしなくて済んだが、まだ頭がぼんやりとするしズキズキと痛んで何も考えられない。
「もう美雨の終電ないじゃん…。ちょっとここで待ってて。あっちの大通りでタクシー拾ってくるから」
「んー…動きたくない…。…あ、そうだ。たしかルカの家、この辺じゃなかったっけ?」
「え?たしかに、すぐそこ、だけど…」
「じゃあお願い!今日だけでいいから泊めてよー」
「え、そ、それは、ちょっと…」
「なんでよー。友達なんだからいいでしょ?」
ルカは困ったように考えてから、ふぅと小さくため息をついた。
「…わかった。このまま美雨のこと帰らせるのも心配だし。今日だけだからね?」
「わーい!やったぁ…」
「あ、美雨!」
ルカの返事を聞いた途端、スイッチが切れたかのように眠さが限界まで達した私はその場に崩れ落ちて意識を失った。
「ん…」
ふと目を覚ますと、見知らぬ天井が入ってきてズキズキと痛む頭をおさえる。
「い…った…。ここ、どこ…?」
白を基調とした綺麗に片づけられているリビングらしき場所で、ベッドになるソファに寝かされていたようだった。
時計を確認すると、時刻は午前二時。
そうだ、たしか飲み過ぎて終電を逃した挙句、無理矢理ルカの家に来てしまったんだ。
しかも途中で気を失ってしまったし、もしかして家まで私のことを運んでくれたのかな?
華奢なルカの腕を痛めてしまっただろうな。申し訳ないことをしてしまった。
「ルカー?」
キョロキョロと辺りを見渡すが、ルカの姿が見当たらない。
自室にでも行っているのだろうか。
「うー…トイレ行きたい」
勝手に人様の家の中を徘徊するのはどうかと思ったが、さすがに我慢ができなくてリビングを出てトイレを探す。
ふと、ザーという水の音が聞こえてきて、気になって扉を開けると、中はお風呂と洗面台が一緒になっているようだった。
右側のドアを開けるとトイレになっていて、左側の曇りガラスの向こうでは人影が揺れ動いていた。
どうやらルカはお風呂に入っているようだ。
そういえば私もメイクを落としていないし体がベタベタしていて気持ち悪い。
後でルカにお風呂を貸してもらおうかな…。
「…ん?何これ」
ふと、洗濯機の上に綺麗に畳まれて置かれている服の上に、黒髪ロングのカツラが置かれていることに気づく。
…え?これ、もしかして、ルカの髪の毛…?
い、いやいやいや。あの髪の毛カツラだっていうの?
いや、でも…。
混乱する頭で、とりあえず手に取って確認しようとすると、お風呂場の扉が開けられ中から人が出てきた。
「…え?美雨?」
「あ、る…」
か、と続くはずだった言葉はどこかへ消えてしまい、代わりに目を見開く。
目の前にいるのは、私の知る可愛いルカなんかじゃなくて、がっしりとした体つきをした男の人だった。
それも、超絶イケメンの。
「きゃ、きゃー!」
「え、なに」
「あなた、誰!?ルカの家族ですか!?」
慌ててこの場から出て行こうとするが、足を滑らせてしまいコケそうになる。
「あ、あぶな…っ」
咄嗟に手を伸ばしてきた男の人が私の体を支えてくれて、その拍子にルカと同じ爽やかで少し甘い匂いが鼻をかすめた。
髪の毛から滴り落ちる水滴が頬を濡らしてきて、私の頭の中は爆発寸前だ。
「大丈夫?って、そうだ、男の人苦手なんだよね…」
「…え?な、なんでそのことを知って…」
彩綾とルカにしか教えていないことを、なんでこの人が知っているのだろう。
やっぱりこの人はルカのお兄さん…とか?うんうん、やっぱりそうに決まってるよね。
「…あ、えっと」
男の人が慌てて私から離れると、気まずそうに目を逸らしてきた。
ふと、彼の顎下に目がいく。
ルカと全く同じ位置、大きさで色っぽいホクロがそこにはあった。
「…ルカ?」
「…え?」
いつもの声より少し低めだし、何よりも男だし、目の前にいる人がルカのはずがないのに、なぜか気づいたら私はそう口にしていた。
「もしかして、ルカ、なの…?」
「…うん、ごめん。俺、実は男なんだ」
スッと一瞬で残っていた酔いが冷め、頭を強く殴られた感覚に陥る。手先が冷えていくのを感じる。
「…なんで?ずっと、私のこと騙してたの?」
女の子だと思っていたのに。
大好きな友達だと思っていたのに。
ルカは最初から、私が男の人を苦手だと知っていて、私のことを騙していたんだ。
女装なんかして、ずっと私に嘘をついて隣にいたんだ。
「ごめん。ずっと言わなきゃと思ってたんだけど、タイミングがなくて…あ、美雨!」
ルカに背を向けて、家を飛び出す。
スマホで彩綾に電話をかけながら、ここがどこかもわからないのに闇雲に走る。
「…もしもし、美雨?どうしたの、こんな時間に…」
「ルカが男だって知ってたの!?知ってて二人して、私のこと騙してたの!?」
彩綾が息を呑むのが電話越しでもわかった。
「ちゃんとルカから聞いた?」
「何を!?」
「どうして女装までして美雨に近づいたか。言ったでしょ?美雨に一目惚れしたんだって。男の人が苦手だって何回も説明したのに、しつこいくらい仲を取り持ってくれってお願いされて、男が苦手なら最初は女の子として美雨と仲良くなりたいって。私も馬鹿だと思ったよ。そんな美雨を騙すような真似、本当はしたくなかったけど、ちゃんと自分から美雨に打ち明けるからって言うから黙ってあげてたの。騙してたんじゃなくて、言えなかっただけだよ。ルカだって苦しんでたんだよ?」
「…え?」
ピタッと走っていた足を止める。
そういえば私、騙されていたことがショックすぎて、ルカの話も何も聞かずに飛び出してきてしまった。
ルカにどんな事情があったのかなんて考えもせずに。
「美雨、ごめんね。ずっと黙ってて。でもあいつも不器用なだけで、悪い奴じゃないから。だから美雨に紹介したんだよ。美雨もこの三ヶ月間一緒にいて、それはよくわかってるでしょ?」
私のために一生懸命探してくれたお店が定休日で、とても落ち込んでいたルカを思い出す。
ルカは、本当に女の子として、私のそばにずっといてくれていた。
私の好きは友達に対する好きで、ルカの好きは異性に対する下心のある好きだったかもしれないけど、それでもそれを感じさせないくらいルカはいい友達でいてくれた。
私が男の人が苦手だからという理由で。
「美雨!騙す真似して悪かった。だけどこんな夜遅くに女の子が一人で出歩かないで。タクシー探してくるから、ここで待って…」
「行かないで…っ」
せっかくお風呂に入ったのに汗だくになって追いかけてきたルカが私のためにタクシーを呼びに行こうとしていたのを、慌てて手を掴んで引き止める。
「ちゃんと教えて。ルカは、私を騙そうと思って近づいてきたの?」
「な…っ、違う!女の子のフリをしていたこと以外、俺は美雨に嘘なんてついたことないよ。…最初は不純な動機だったんだ。彩綾の隣にうつる美雨から目が離せなくなって、本当に一目惚れだった。だけど、仲良くなろうにも美雨は男の人が苦手だっていうから、きっと俺のまま近づいてもダメだと思ったんだ。だから、思いついたのがこの方法しかなくて…。いつかは打ち明けなきゃって思ってたけど、仲良くなっていくにつれてだんだんと怖くなってきて、せっかく縮まった距離が一瞬で遠のいてしまうんじゃないかって思った。そう考えたら、この気持ちを押し殺してでもそばにいたいと思ったんだ」
ルカが苦しそうに顔を歪めながら、それでも必死に笑顔を浮かべていた。
隣にいたのに、どうして私はルカが苦しんでいたことに気づけなかったんだろう。
ルカが女の子でも男の子でも、一緒に過ごした時間は、気持ちは何一つ変わらない。
「…あ、ご、ごめん!手、ずっと握ってた」
ふと、ルカが慌てたように繋がれていた手を離した。
ルカに言われるまで手を握っていたことすら気づかなかった。
いつもだったら、男の人が近づいてきただけで気持ちが悪くて避けていたというのに。
「…私、ルカに触られるのは嫌じゃないよ」
「…え?」
「ルカが男の人だってもうわかったけど、それでも嫌だなんて思わない。男の子のルカのこともっとこれから知りたい」
そっとルカの手を握ると、ルカは目を見開きいつもと変わらない私の大好きな笑顔で笑ってくれた。
この笑顔を隣で見たいって思う気持ちは、初めて会った時から何も変わらない。
ルカだから、私は隣にいたいんだ。
「流川浩太。これが俺の本当の名前。名前で呼ぶ人もいるけど、ルカって呼ばれることも多いから、美雨にも男だってバレたくなくて咄嗟に女の子っぽい名前でもあるルカって名乗ったんだ」
「流川浩太…」
ほらね。ルカのことを一つ知れただけでこんなにも嬉しい気持ちになるんだ。
だからいつかきっと、本当のルカとこんな私でも恋をする日が来るのかな…なんて。
少し期待しちゃってもいいのかな。
「ねえ、ルカ」
「ん?」
「大好き!」
ルカは少し目を見開くとふわっと優しく微笑んだ。
「俺も、大好きだよ」
まだ私とルカの“好き”は種類が違うものかもしれないけど、好きと好きが交錯する終着点は一つだけだから。
だから今は、少しずつルカとこの何気ない日常を二人で歩いていこう。
真夜中のほんのりと輝く月が、手を繋いで歩く私たち二人を優しく見下ろしていた。
「ねえねえ、お姉さん。今一人?暇なら俺と遊びに行かない?」
“着いたよ”と送信すると同時に、いきなり知らない男の人から話しかけられ、思わずびくりと反応してしまう。
「…一人じゃないです。友達と待ち合わせてるので」
「えー?そうなの?じゃあお友達さんも一緒に遊びにいく?俺は全然いいけど」
するりと肩に腕を回され、ぞぞっと鳥肌が立つ。
母子家庭で育ったこともあってか、昔から男の人にはあまりいい印象がなく、態度がでかいところとか気に入らないことがあるとすぐに声を荒げてくるところとか、そういうところが全部怖くて苦手だ。
だから小学校は共学であったけど、中、高、大学は女子校に通っている。
できることならあまり関わりたくない。
「あの、本当に大丈夫ですから、離して…っ」
「おい、あんた、何気安く美雨に触ってんの」
「い、いたたたた!」
涙目になっていると、後ろから来た黒髪ロングの女の子が、私の腕を掴んでいた男の人の手をギリギリと締め付けていた。
「な、なんだおま…」
男の人はキッと女の子を睨みつけるが、あまりの美しさに見惚れて言葉が途切れていた。
「美雨、走るよ」
「え」
ギュッと手を握ってきたルカが耳打ちをしてくると、突然走り出した。
後ろでは男の人が呼び止めてくる声が聞こえてきたけど、ルカは迷わず私を引っ張って走っていく。
「はあはあ…っ」
「美雨、大丈夫!?あいつに変なことされてない?」
私と同じくらい走ったはずなのに、全く息切れをしていないルカが焦ったように私の両肩を掴んできた。
「うん…っ、ルカが助けてくれたから」
ニコッと笑顔を返すと、はあーと深いため息をついたルカが私を抱きしめてきた。
「よかった…。遅くなってごめんね」
「ううん!私が早く着きすぎちゃっただけだよ」
ルカは体を離すと、私の頭をよしよしと撫でてくれた。
ルカは、私の高校時代の親友、彩綾の大学の友達。
三ヶ月前に彩綾の紹介で初めて会ってから、今では二人でも遊ぶくらい仲良くなった女の子。
170センチくらいあるすらりとしたモデル体型、一つ一つのパーツがしっかりとしている整った顔立ち、サラサラの黒髪ストレートが似合うとても美人なルカに、私も最初は緊張した。
「あ、そうだ。今日のお店、たしかこの近くで…」
今日はルカが調べてくれたレストランに連れて行ってくれるということで、スマホを取り出して地図を確認していたルカがなぜかぴしっと固まってしまった。
「ルカ?どうかしたの?」
「ごめん、美雨…。営業日勘違いしてて、今日定休日だ…」
ルカが見せてくれた画面には赤い文字で“本日定休日”と書かれていた。
しゅんと落ち込んだようにうなだれてしまったルカに、思わずクスッと笑ってしまう。
ルカは美人で基本的になんでも完璧にできるけど、少し抜けているところがありそこがルカの可愛い部分でもある。
だから私も最初は緊張していたけど、ルカの意外な一面も知ったことでもっと仲良くなりたいと思い、今では大好きで大切な友達でもある。
「ルカが行きたかったお店は、また今度行こう。この近くに美味しいって有名な居酒屋があるんだけど今日はそこに行かない?」
「…え?」
ゆっくりと顔を上げたルカの手をギュッと握り、笑顔を浮かべる。
「私のために調べてくれた気持ちだけでも嬉しいよ。私はルカのちょっと抜けてるところも大好きなんだから。だからそんなに落ち込まないで?今日はパーっと飲もうよ!」
ルカがパッと笑顔になる。
「うん」
はーこの笑顔を見られれば私はなんだっていいんだ。
美人って最高。持つべきものは美人で可愛い女の子の友達だよね!
ルカと居酒屋に行くと、ちょうど一席空いていた二人掛けの席に案内してもらえ、並ぶこともなくすんなりと中に入ることができた。
「ルカとサシで飲むのは初めてじゃない?彩綾がいた時に三人で飲んだことはあったけど、あの時は次の日にテストがあって私も全然お酒飲めなかったし」
「たしかに、そうだね。美雨と初めて会った日だよね」
今でもルカと初めて会った日は鮮明に覚えている。
こんな美人が私のことを気になったからと彩綾にセッティングするよう必死に頼んできたのだと教えてもらったから。
*
「やっほー、美雨。先週ぶり」
「あ、彩綾!遅かったね」
高校の時に一番仲が良かった彩綾とは、大学生になってからも頻繁に連絡を取り合ったり会ったりしていた。
先週に会ったばかりなのに、なぜか今日会えないかと急に誘われ、最寄駅の居酒屋で彩綾を待つこと十分。
少し遅れて彩綾がやっと到着した。
「…あれ?その人…だれ?」
彩綾の後ろに隠れるようにして立っているけど、身長が高いせいで全く隠れられていない女の子がびくっと反応すると、恐る恐る前に出てきた。
まず最初に驚いたのは、ナチュラルなメイクのはずなのに顔のパーツ一つ一つが引き立っていて、目が離せなくなるほどの美人だった。
サラサラの長い黒髪からは、爽やかで少し甘いシャンプーの香りが漂ってきて、思わずどきりとしてしまう。
ふと、顎の右下にある色っぽいほくろに目がいき、じっと見つめていると桜色の唇が薄く開かれた。
「…あの、初めまして。お…わ、私、ルカ、ルカって言います」
「ルカ…ちゃん?」
少しハスキー声のルカちゃんはぱっと嬉しそうに笑うと、コクコクと何度も頷いていた。
「同じ大学のルカ。二年になってから仲良くなったんだけどね、この前SNSで上げた美雨とのツーショ見て、美雨に一目惚れしたんだって〜」
「ちょ、それは言わない約束…でしょ!」
ルカちゃんはニヤニヤと笑う彩綾に、赤くなった顔であたふたとしていた。
「私に?」
「仲良くなりたいんだって。だから、今日美雨のこと呼んだの」
「あの、急でキモいって思うかもしれないけど、美雨ちゃんと友達になりたくて。ダメ…かな?」
こんな美人にじっと見つめられてお願いなんてされたら、断れるわけがないじゃないか。
「彩綾の友達ならきっといい子に違いないね。私でよかったらぜひ」
「ほ、ほんと!?って、わわ!」
一歩私に近づこうとしたルカちゃんが、段差につまずき盛大に転んだ。
「ふっ、あはは!美人な顔してるのに、もしかしてドジっ子?」
「そうなんだよ。ルカって、基本的になんでもできる完璧人だけど、抜けてるところがあって残念なやつなの」
「ちょ、やめてよ!」
恥ずかしそうなルカちゃんにもっと面白くなって、笑ってしまう。
後から彩綾に仲良くなりたいからって必死に頼み込まれたんだと聞き、もっとルカのことが好きになったし仲良くなりたいって思ったんだ。
*
「本当、ルカと仲良くなれて私は幸せだよ〜。こーんな美人の友達だったら、いくら見てても飽きないし、優しくて気遣いもできる完璧な女の子なのに、実は抜けてるところもあるギャップも持ってて…もうほんっと最高!」
「ちょっと、美雨。飲み過ぎだよ」
ぽわぽわする頭でルカの肩をぺしぺしと軽く叩く。
「大丈夫大丈夫。まだまだいけるもん〜」
「そんな真っ赤な顔して何言ってるの。あ、もうすぐ終電の時間じゃない?」
スマホの時計を見せてきたルカにへらっと笑顔を返す。
「まだ大丈夫〜」
「いやいや、あと十分だよ。ほら、帰る支度して」
「…ルカ」
「え?」
「気持ち悪いかも…」
「…はあ!?」
ぎょっと目を見開いたルカは、慌てて私を立たせるとトイレに駆け込んでいった。
「うー…頭痛い…」
「そりゃあんだけ飲んでたらね。ほら、水」
ルカのおかげでなんとか店内にぶちまけることはしなくて済んだが、まだ頭がぼんやりとするしズキズキと痛んで何も考えられない。
「もう美雨の終電ないじゃん…。ちょっとここで待ってて。あっちの大通りでタクシー拾ってくるから」
「んー…動きたくない…。…あ、そうだ。たしかルカの家、この辺じゃなかったっけ?」
「え?たしかに、すぐそこ、だけど…」
「じゃあお願い!今日だけでいいから泊めてよー」
「え、そ、それは、ちょっと…」
「なんでよー。友達なんだからいいでしょ?」
ルカは困ったように考えてから、ふぅと小さくため息をついた。
「…わかった。このまま美雨のこと帰らせるのも心配だし。今日だけだからね?」
「わーい!やったぁ…」
「あ、美雨!」
ルカの返事を聞いた途端、スイッチが切れたかのように眠さが限界まで達した私はその場に崩れ落ちて意識を失った。
「ん…」
ふと目を覚ますと、見知らぬ天井が入ってきてズキズキと痛む頭をおさえる。
「い…った…。ここ、どこ…?」
白を基調とした綺麗に片づけられているリビングらしき場所で、ベッドになるソファに寝かされていたようだった。
時計を確認すると、時刻は午前二時。
そうだ、たしか飲み過ぎて終電を逃した挙句、無理矢理ルカの家に来てしまったんだ。
しかも途中で気を失ってしまったし、もしかして家まで私のことを運んでくれたのかな?
華奢なルカの腕を痛めてしまっただろうな。申し訳ないことをしてしまった。
「ルカー?」
キョロキョロと辺りを見渡すが、ルカの姿が見当たらない。
自室にでも行っているのだろうか。
「うー…トイレ行きたい」
勝手に人様の家の中を徘徊するのはどうかと思ったが、さすがに我慢ができなくてリビングを出てトイレを探す。
ふと、ザーという水の音が聞こえてきて、気になって扉を開けると、中はお風呂と洗面台が一緒になっているようだった。
右側のドアを開けるとトイレになっていて、左側の曇りガラスの向こうでは人影が揺れ動いていた。
どうやらルカはお風呂に入っているようだ。
そういえば私もメイクを落としていないし体がベタベタしていて気持ち悪い。
後でルカにお風呂を貸してもらおうかな…。
「…ん?何これ」
ふと、洗濯機の上に綺麗に畳まれて置かれている服の上に、黒髪ロングのカツラが置かれていることに気づく。
…え?これ、もしかして、ルカの髪の毛…?
い、いやいやいや。あの髪の毛カツラだっていうの?
いや、でも…。
混乱する頭で、とりあえず手に取って確認しようとすると、お風呂場の扉が開けられ中から人が出てきた。
「…え?美雨?」
「あ、る…」
か、と続くはずだった言葉はどこかへ消えてしまい、代わりに目を見開く。
目の前にいるのは、私の知る可愛いルカなんかじゃなくて、がっしりとした体つきをした男の人だった。
それも、超絶イケメンの。
「きゃ、きゃー!」
「え、なに」
「あなた、誰!?ルカの家族ですか!?」
慌ててこの場から出て行こうとするが、足を滑らせてしまいコケそうになる。
「あ、あぶな…っ」
咄嗟に手を伸ばしてきた男の人が私の体を支えてくれて、その拍子にルカと同じ爽やかで少し甘い匂いが鼻をかすめた。
髪の毛から滴り落ちる水滴が頬を濡らしてきて、私の頭の中は爆発寸前だ。
「大丈夫?って、そうだ、男の人苦手なんだよね…」
「…え?な、なんでそのことを知って…」
彩綾とルカにしか教えていないことを、なんでこの人が知っているのだろう。
やっぱりこの人はルカのお兄さん…とか?うんうん、やっぱりそうに決まってるよね。
「…あ、えっと」
男の人が慌てて私から離れると、気まずそうに目を逸らしてきた。
ふと、彼の顎下に目がいく。
ルカと全く同じ位置、大きさで色っぽいホクロがそこにはあった。
「…ルカ?」
「…え?」
いつもの声より少し低めだし、何よりも男だし、目の前にいる人がルカのはずがないのに、なぜか気づいたら私はそう口にしていた。
「もしかして、ルカ、なの…?」
「…うん、ごめん。俺、実は男なんだ」
スッと一瞬で残っていた酔いが冷め、頭を強く殴られた感覚に陥る。手先が冷えていくのを感じる。
「…なんで?ずっと、私のこと騙してたの?」
女の子だと思っていたのに。
大好きな友達だと思っていたのに。
ルカは最初から、私が男の人を苦手だと知っていて、私のことを騙していたんだ。
女装なんかして、ずっと私に嘘をついて隣にいたんだ。
「ごめん。ずっと言わなきゃと思ってたんだけど、タイミングがなくて…あ、美雨!」
ルカに背を向けて、家を飛び出す。
スマホで彩綾に電話をかけながら、ここがどこかもわからないのに闇雲に走る。
「…もしもし、美雨?どうしたの、こんな時間に…」
「ルカが男だって知ってたの!?知ってて二人して、私のこと騙してたの!?」
彩綾が息を呑むのが電話越しでもわかった。
「ちゃんとルカから聞いた?」
「何を!?」
「どうして女装までして美雨に近づいたか。言ったでしょ?美雨に一目惚れしたんだって。男の人が苦手だって何回も説明したのに、しつこいくらい仲を取り持ってくれってお願いされて、男が苦手なら最初は女の子として美雨と仲良くなりたいって。私も馬鹿だと思ったよ。そんな美雨を騙すような真似、本当はしたくなかったけど、ちゃんと自分から美雨に打ち明けるからって言うから黙ってあげてたの。騙してたんじゃなくて、言えなかっただけだよ。ルカだって苦しんでたんだよ?」
「…え?」
ピタッと走っていた足を止める。
そういえば私、騙されていたことがショックすぎて、ルカの話も何も聞かずに飛び出してきてしまった。
ルカにどんな事情があったのかなんて考えもせずに。
「美雨、ごめんね。ずっと黙ってて。でもあいつも不器用なだけで、悪い奴じゃないから。だから美雨に紹介したんだよ。美雨もこの三ヶ月間一緒にいて、それはよくわかってるでしょ?」
私のために一生懸命探してくれたお店が定休日で、とても落ち込んでいたルカを思い出す。
ルカは、本当に女の子として、私のそばにずっといてくれていた。
私の好きは友達に対する好きで、ルカの好きは異性に対する下心のある好きだったかもしれないけど、それでもそれを感じさせないくらいルカはいい友達でいてくれた。
私が男の人が苦手だからという理由で。
「美雨!騙す真似して悪かった。だけどこんな夜遅くに女の子が一人で出歩かないで。タクシー探してくるから、ここで待って…」
「行かないで…っ」
せっかくお風呂に入ったのに汗だくになって追いかけてきたルカが私のためにタクシーを呼びに行こうとしていたのを、慌てて手を掴んで引き止める。
「ちゃんと教えて。ルカは、私を騙そうと思って近づいてきたの?」
「な…っ、違う!女の子のフリをしていたこと以外、俺は美雨に嘘なんてついたことないよ。…最初は不純な動機だったんだ。彩綾の隣にうつる美雨から目が離せなくなって、本当に一目惚れだった。だけど、仲良くなろうにも美雨は男の人が苦手だっていうから、きっと俺のまま近づいてもダメだと思ったんだ。だから、思いついたのがこの方法しかなくて…。いつかは打ち明けなきゃって思ってたけど、仲良くなっていくにつれてだんだんと怖くなってきて、せっかく縮まった距離が一瞬で遠のいてしまうんじゃないかって思った。そう考えたら、この気持ちを押し殺してでもそばにいたいと思ったんだ」
ルカが苦しそうに顔を歪めながら、それでも必死に笑顔を浮かべていた。
隣にいたのに、どうして私はルカが苦しんでいたことに気づけなかったんだろう。
ルカが女の子でも男の子でも、一緒に過ごした時間は、気持ちは何一つ変わらない。
「…あ、ご、ごめん!手、ずっと握ってた」
ふと、ルカが慌てたように繋がれていた手を離した。
ルカに言われるまで手を握っていたことすら気づかなかった。
いつもだったら、男の人が近づいてきただけで気持ちが悪くて避けていたというのに。
「…私、ルカに触られるのは嫌じゃないよ」
「…え?」
「ルカが男の人だってもうわかったけど、それでも嫌だなんて思わない。男の子のルカのこともっとこれから知りたい」
そっとルカの手を握ると、ルカは目を見開きいつもと変わらない私の大好きな笑顔で笑ってくれた。
この笑顔を隣で見たいって思う気持ちは、初めて会った時から何も変わらない。
ルカだから、私は隣にいたいんだ。
「流川浩太。これが俺の本当の名前。名前で呼ぶ人もいるけど、ルカって呼ばれることも多いから、美雨にも男だってバレたくなくて咄嗟に女の子っぽい名前でもあるルカって名乗ったんだ」
「流川浩太…」
ほらね。ルカのことを一つ知れただけでこんなにも嬉しい気持ちになるんだ。
だからいつかきっと、本当のルカとこんな私でも恋をする日が来るのかな…なんて。
少し期待しちゃってもいいのかな。
「ねえ、ルカ」
「ん?」
「大好き!」
ルカは少し目を見開くとふわっと優しく微笑んだ。
「俺も、大好きだよ」
まだ私とルカの“好き”は種類が違うものかもしれないけど、好きと好きが交錯する終着点は一つだけだから。
だから今は、少しずつルカとこの何気ない日常を二人で歩いていこう。
真夜中のほんのりと輝く月が、手を繋いで歩く私たち二人を優しく見下ろしていた。



