……火曜日、水曜日、木曜日と。
 忙しさが増す中、それでも準備は順調に進んでいた。
 そして、体育祭前日の朝。

海原(うなはら)。印刷室いってくる!」
「あ、由衣(ゆい)。それならこれもお願い!」
 アイツが返事するより早く、陽子(ようこ)先輩がわたしにプリントを渡してくる。
「ん? どうかした?」
「いえ、なんでもありません」
 わたしが、そう答えると同時に。
 アイツの左隣の、月子(つきこ)先輩がチラリとわたしを見て。
「こっちは、いまは特にないわ」
 また無駄に、わたしにからんでくる。

「わかりました。いってきます」
 誰にとはいわないけれど、声の方向で気づいてよね。
 今度はアイツの右隣に座る、美也(みや)先輩がちょっとやさしくわたしを見て。
「……ねぇ、由衣が印刷室いくってよ」
 小さな声で、鈍感男にヒントを与えている。
 それはそれで、ちょっと複雑だけれど。
 少なくとも、アイツは顔をあげてわたしを見た。

「……プログラム、重いから無理するなよ」
 なにそれ。
 聞こえてたんなら、早く声かけてよ!
「わかった、いってくる!」
 いいよ、すっごく忙しいんだろうから。
 それで今朝は、許してあげるけどさぁ!


 ……アイツの両脇に控える、ふたりの先輩。
 最近ちょっと、アイツに近いから!
 事務処理能力では、かなわない。
 だからこうやって機動力で補ってるんだよ、わたし。

「重いからとか、運ばすつもりしかないくせに!」
 なぜだか、わたしはそんなことをつぶやきながら。
 ひとり、印刷室に歩いていく。
 陽子先輩に頼まれたプリントを、機械にセットして。
 必要部数を入力し、紙サイズも確認してボタンを押す。
 ガチャガチャと機械が動き出すと、さぁ次の仕事だ。

 わたしは、昨日刷り終えた箱をまずひとつ持つ。
「うーん。ついでだからもう一箱、運んどこうかなぁ……」
 明日の体育祭で、来場者に渡すプログラムの入った箱は三つある。
 わたしの力では、一度で全部を運ぶのは不可能だ。
「二往復、だよねー」
 あぁ、玲香(れいか)ちゃんが前いってたみたいに。
 台車、持ってきておいたらよかった……。


「あ、あの……」
「?」
 突然、男の子の声がして。驚いて、振り向くと。

 ……なんだ、声色を変えた海原じゃないじゃん。

「あ、あのさ、高嶺(たかね)さん……」
 えっと……。
 とりあえず愛想よくしないと、またアイツにからかわれてしまう。
 なんといっても、『黙っていたら、かわいい』。
 それが、中学以来のわたしの『評判』らしいから。
 まぁ、ただそれは。
 実は『不名誉な評判』な気も、するんだけどね……。

 で、この男子って……?
「体育祭実行委員の、一年六組の……」
「あぁ、ごめんね! ちょっと考えごとしてたから。反応が遅くなっちゃった!」
 とりあえず、話しの途中だろうけれどここは笑顔だ。
 そういえば、体育祭実行員の部屋にいくと。
 やたらと手伝おうとしてくれる人が、いた気がする。
 で、そんな人が。なんでここにいるの?
「プログラムを運ぶって聞いて、手伝おうと思って……」
 あ、親切な人ってことか。
 じゃ、よろしく頼もう。


 わたしは、その子がまとめて三箱運んでくれるのかと思ったけれど。
 ……なんだ、二箱だけなの?

 そこ、アイツならきっと。
 無理してでも、三箱持つところだよ……。
 まぁ、一回で済むんだから。
 誰もいないよりは、マシだと思おう。

 わたしたちは、無言のまま。
 人けのない廊下を、並んで歩く。
 えっと、これと陽子先輩のプリントが終わったらその次は……。
「た、高嶺さんって、すっごく働き者だよね!」
「えっ?」
 最初を、聞きそびれたかもしれないけれど。
 ほめてくれている、とかなのかな?

「ううん。『そっち』がプログラムの準備とかに、集中できるようにしただけ」
 アイツが、みんなが仕事しやすいように決めただけ。
 それを、わたしは手伝っているだけだから。
「いやいや。同じ一年生として、尊敬するよ」
 ……ごめんね。
 身近にもっとすごい一年がいるんだ、わたし。
 それに、ソイツは。
 誰かに『尊敬』されるために、働いているわけじゃない。

 委員会室が近づいてきて、人の気配を感じはじめる。
 そうだね、こうやってみんながにぎやかに。
 体育祭とかが楽しめるようにって、アイツは……。

「あ、あのさぁ……。よかったら……」
 ちょっと。立ちどまって、話さないで。
 わたしこれでも、忙しいんだけど?

「……文化祭一緒に、回ってくれませんか?」

 なんだか、嫌な予感がする前に。
 いきなり言葉に、されてしまった。
 あぁ、出たよ……。
 美也先輩の、いったとおりだ……。



 ……あれは、昨日の帰り際。
 放送室で、書類を片付けていたときだ。
姫妃(きき)、大人気だよね!」
 突然、玲香ちゃんが話し出した。

「あぁ、あれかぁ……」
「あれねぇ……」
 美也先輩、陽子先輩も加わって。
「わたし、ちゃんと断ってるか・ら・ね!」
 なんだか、四人の中では理解し合えているらしい。
「いったい、なんの話しですか?」
「もう。由衣らしくないなぁ。ほら、この時期になるとさ……」
 陽子先輩が、そこまでいいかけて。
 玲香ちゃんを、チラリと見る。
「わ、わたしも。ちゃんと断った!」
「ふーん。それで隣の姫妃が『きょうも』誘われてたんだねぇ〜」
「ちょっと陽子! なんで奥にいるのに聞いてるの?」
「だって、聞こえるもんねぇ〜」
 え? だから、なんの話しなの?

「……で、由衣は誰かに誘われた?」
「えっ?」
 美也先輩が、一呼吸おいて。
「『文化祭デート』の、お誘いのこと」
 い、いきなり変なこというもんだから……。
「うをっ!」
 あ、ごめん。
 書類とにらめっこしていた、海原の頭の上に。
 手に持っていた書類を、全部落としちゃった。

「け、結構いっぱいあったね、書類……」
 陽子先輩が苦笑いしながら、わたしと急いで拾って集める。
 月子先輩が、さりげなく。
 アイツを目線で確認しながら、お茶のお代わりを淹れている。

「この時期になると、増えるんだよねぇ〜」
「文化祭、一緒回るんだよ?」
 そ、それくらわたしでも知ってますし!
 で、でも。まだ……。

「だ、誰からも。誘われてませんけど!」
「えっ、そうなの?」
「陽子先輩! だいたい、部室漬けで男子と会話することなんてないですし!」
「でも、由衣だったら……」

「月子とか、下駄箱に入ってたけど!」
 話していた陽子先輩の上に、玲香ちゃんの爆弾発言が飛んできて。
 ガタン!
 そんな大きな音がして。月子先輩が思わず立ち上がって。
「な、なんであなたが知っているの!」
 めちゃくちゃ慌てている。
「だって、気づかず落とすから。拾ってあげたでしょ?」
「そ、そんなの。お、覚えていないわ……」
「嘘だぁ〜。三回もあったのに?」

 ゴトン!
 今度は、美也先輩と。あと、そういえば男子がいた。
 海原とふたりが揃って、ファイルを落としている。
「美也ちゃん?」
「な、ないない。わたしは『下駄箱は』ないよ月子……」
「えっ?」
「海原君、じゃなくてす、(すばる)! な、なんでもないから! ちょっと出てくる!」

 そういうと、美也先輩があわてて部室から出て。
 なぜかアイツも、トイレとかいって消えていって。
 あと月子先輩と姫妃先輩も、あのあと……。



 ……あれ?
 せっかく思い出していたのに。
 なんだか、声が聞こえてくる。
「聞いてくれてた? 高嶺さん?」
「……あ、はい?」
「……あ、ありがとう!」
「えっ?」
「お、俺ぜんぶ運んどくから! じゃ、またね!」

 三箱運べるんなら、最初からいってよ!
 アイツになら、すぐにいい返せるけれど。

 ……わたしはこのとき、自分の答えた意味がわからず。
 なにもいえずに、その場にしばし。

 ……立ち尽くしてしまった。