わたしは、海原(うなはら)くんの制服のシャツに。
 ゆっくりと、アイロンをかけている。

「あまり、こちらばかりを見ないでもらえないかしら?」
「す、すいません……」
「それに、まだ完全に許したわけではありません」
「は、はい……」

 でも、なぜわかったか気になるでしょうし。
 いいわよ、今後のために。
 少しだけ、話してあげる。


 ……夏休みに、放送室の機器を入れ替えたあと。
  マニュアルを読みながら、気がついた。
 無数に並ぶ、スイッチの中に。
 校内各所の屋外スピーカーの、通電状況を知らせる機能があって。
 ただ『あの屋上』のそれだけは、なぜかいつもランプがつかなくて。

 二学期に入って、一度ようすを確認しにきた業者の人に。
 その点をわたしは、聞いてみた。
「よく気がつきましたねぇ。調べておきますよ」
 その結果、判明したのは。
 非常階段の前にある、黒く大きな扉を開けないと。
 なぜか通電しないようになっていたと、教えてもらった。

「いつの工事かわからないけれど。ケーブルとか、まとめちゃったのかなぁ?」
 基本的には、なにかのミスで。
 工事して直すよう、学校に提案したほうがいいかと逆に質問されたので。
「使わないスピーカーですので、不要だとは思いますが……」
 わたしから相談して、どうしても必要ならこちらから連絡すると返事した。

 ……もちろん、直す必要なんてないと思った。
 なぜなら、あの場所は。
 海原くんと、わたしだけの場所だから。


 ……そうそう、そうやって反省した顔をしていなさい。
 すぐに、許すつもりなんて。
 ないわよ、わたし。


「そしてきょう、通電したんですね」
「気づいたのは、わたしだけよ。そもそも誰にも教えていないもの」
 すると、海原くんは。
「……誰にも、いいません」
 しおらしく、そういうけれど。

「どうだか、怪しいものよね……」
「ええっ……」
 当たり前よね?
 だって、わたしは。
 まだ海原くんを、許してはいないのだから……。



 美也(みや)ちゃんは、いつかもう一度。
 自分の気持ちを整理する必要があると、わかっていた。

 文化祭実行委員をやりたいと相談を受けたときに、色々と感じたの。
 もちろん海原くんには、その中身はいいません。
 だって、信用ないんだもの。

「えっ……」
「伝えたはずよ、わたしは当分許しませんから」
「なんだか、伸びてませんか?」
「ずっと、に訂正しましょうか?」
「い、いえ……ごめんなさい」


 少し、海原くんには申し訳ない気もするけれど。
 さすがに、仕方のないことだと思う。

 あのね、海原くん。
 お祭りの日の、美也ちゃんの『公開告白』。
 あの続き、まだ解決していないなんて。
 そんなこと、わたしから海原くんになんて。
 伝えるわけには、いかないでしょう……。


 いずれにせよ。
 あの場所が『通電』したのがわかれば、あとはわかる。
 美也ちゃんは自分の気持ちに、正直になって。
 それから絶対に、大泣きする。
 鼻水が出ようが、なんだろうが。
 気持ちいいくらい。
 まるで心の中を洗うように、泣くんだから……。



「……美也ちゃんを、屋上に案内しようとは思っていたのよ」
「えっ、そうなんですか?」

「屋上への鍵は、代々の部長が預かってきたそうよ」
「え? じゃぁ三藤(みふじ)先輩の先代、都木(とき)先輩じゃないですか?」
「でも美也ちゃんは、例外だそうよ」
「えっ? どうしてですか?」
「……佳織(かおり)先生が、『忘れていた』そうよ」


「……美也はさ。月子ちゃんが必要だと思ったら、連れていってあげて!」
 佳織先生は、そういってわたしに渡してきた。
 その真意は、まだ謎ではあるけれど。
 ただ、あの先生がなんの意図もなしに。
 そんなことを、するわけはないとわたしは考えている。

「……忘れてそうですもんねぇ、藤峰(ふじみね)先生」
 海原くん、たまにとっても素直よね。
「そうね、あの先生だものね……」
 佳織先生には、少し申しわけないけれど。
 いまはそのままに、しておこう。

「ところで、どうして部長なんでしょうかねぇ?」
「さぁ。部長だからじゃ、ないかしら?」


 ……ごめんなさい、海原くん。
 どうやらそれは、『恋愛禁止』の代償らしいけれど。
 なぜだかいいにくいので、パスするわね。
 おまけに……。

 「恋をしない代わりに、つらいときは空を見ればいいっ!』

 まぁ、なくもない話しでしょうけれど。
 なんといっても、佳織先生の言葉だから……。
 なんだか、怪しいのよね……。


 それにね、海原くん。
 見たい人と見る空は、かけがえのないものだと。
 わたしは、『割と最近』わかったの……。



「……だから、元部長の美也ちゃんも。見たらいいじゃないの」
「あの、三藤先輩。『だから』って、理由を聞いていませんけど?」
 あぁ……。
 わたしの話し、真剣に聞いてくれているのはわかるけれど。
 この手の話題はね、わたしには難しいのよ……。

「そこは、省略します」
「ええっ……」
「何度もいったはずよ、わたしまだ許していませんから」
 ……なんだかとっても便利な、いいわけね。
 少し、ズルいけれど。
 ちょっとした罰だと思って、もらえないかしら?



「……ねぇ、提案があるのだけれど」
 背筋を伸ばした、その姿に伝えよう。

「いまは海原くんが、部長でしょ」
「はい」
「だからこの先は、ひとりで鍵を管理して」
「えっ……?」

 ……なんなの、その顔は?
 どうしてそんな顔をするの、海原くん?

 あぁ、そうだった。
 『鈍感君』には、難しかったのね。

「美也ちゃんも、わたしも以前の部長です」
「はい」
「そしてわたしは、海原くんを案内した」
「はい」
「でも海原くんは、美也ちゃんを勝手に連れていった」
「えっ……さっきは、先輩が連れていこうとしたっていいませんでした?」
「あのね、海原くん」
「は、はい……」
「わざわざ連れていく必要、あったのかしら?」
「す、すいません……」
 意外と、わたしってしつこいのね。
 まぁ、海原くんだから。
 別にそれで、いいわよね?


「……ではもう一度聞くわ、海原くん。この先は、その鍵をどう扱うの?」
「えっと……」
 お願い。
 どうか、間違わないで……。
「た、大切に扱います」
 ま、まぁ当たり前よね。
「そしてあの場所に案内するのは、誰でもいいわけじゃなくて……」
 そう、頑張って!

「……部長だけ、ですねっ!」

「バカっ!!!」
「ええっ……」

 あぁ……。
 あと、あと少しだったのに!

 でもこれが、海原(うなはら)(すばる)だ。


 ……そして、これが。
 わたしの『限界』なのだろう。

 まだわたしは、美也ちゃんのようになれない。
 自分の気持ちを定めて、正直になって。
 それから……。
 それから、その先はどうなるの?


「……もう、戻りましょう」
 あぁ、頭の中が、こんがらがってきて。
 わたしは、もう。
 なにがなんだか、わけがわからない……。



 ……放送室に、戻ると。
 なんともいえない雰囲気が、わたしたちを待っていた。

 由衣(ゆい)玲香(れいか)が、ニヤニヤしながら顔を見合わせる。

「ね、姫妃(きき)ちゃん。いったとおりでしょ?」
「でしょ、姫妃?」
「ほ・ん・と・だー!」

「なんの話し、かしら?」
 わたしの問いかけには、誰も答えず。

 佳織先生と、響子(きょうこ)先生が。
「……部長、飲み物!」
「あとできれば、パンもね!」
 海原くんを、強引に部屋から追い出して。


「でさぁ、月子……」
「なんで涙の跡が、ついてるんですかー?」
「ちょっとき・か・せ・て!」
「気になるよねぇ〜」
「ま、暇だから教えてもらおっか!」
 五人が、目をまぶしいぐらいキラキラさせながら。

 わたしと、美也ちゃん。
 『ふたり』の涙を理由を解説しろと、迫ってきた。



 ……間違いない。
 美也ちゃんの涙は、恋する涙だ。
 では、わたしの涙は。
 いったい、どう説明すれば……。

「わかりませんし、いいませんから!」
 わたしは、そう声をあげると。

 腕章を掴んで、部室から飛び出した。

 文化祭の、終了まで。
 あと残り、一時間。

 あぁ……誰か。
 わたしの心が、落ち着く場所は。

 いったいどこにあるのか、教えてください!