「じゃぁ、ここで交代ね! 月子(つきこ)、お疲れー!」

 いうが早いか、波野(なみの)先輩が。
 僕の半袖シャツの裾を、引っ張り出す。

「ちょっと、まだちっとも回っていないわよ!」
 三藤(みふじ)先輩が珍しく、人前で大きな声を出す。
 まぁ、ようやく人並みのボリュームだけれど。

「え? だってわたし『視察中』だ・し・ー」
 片手しか自由に使えないのに、いったいどんな早技なのか。
 波野先輩が、三藤先輩が頑として巻かないまま。
 なぜか僕の手提げ袋に引っ掛けていた、委員会の腕章を。
 いつのまにか腕につけ、三藤先輩に見せつけている。

「あぁ! めんどくさいんで、わたしが連れてきますけど!」
「え〜、そこは先輩に譲ろうよぉ由衣(ゆい)。連れ回したいしぃ〜」
「ふたりとも、わたしがここに連れてきたの、わかっているかしら?」
 僕をそっちのけで、もめないでください。
 い、いちおう委員長です……。
 あとなんか。ポチとか、タマとか。
 散歩中の、ペットじゃないんですけど……。


 ……結局、四人で並木道の出店をもう少し回ることになり。
「買い食い、しないでもらえないかしら?」
「そこまで、食い意地張ってませんしー」
「でも、おいしそうなものは、買おうね!」
 全然守る気のないことを話しながら、僕たちは歩いている。

「お! 海原(うなはら)とみなさんじゃないか!」
 相当久しぶりに、刈り上げ頭の先輩の、低く大きな声が飛んできた。
「おかげで最高学年で、一番楽しい学園祭になったぞ!」
 柔道部部長の田京(たきょう)(はじめ)は、そういうと。
「お礼だ、うどんを食っていけ! おい、椅子出せ、椅子!」
「ウッす。椅子出せ、椅子っ!」
 遠慮する間もなく、仰々しく椅子が用意されてしまう。

「わたし、小盛りにしてもらえないかしら……」
 三藤先輩が、辞退せず食べるからそう伝えろと僕に訴える。
 そもそも、食べることそのものが奇跡みたいだ。
 もしかして、うどんが好きなのかな?
「違うわよ、食べないと帰れないでしょ……」

 ふと気がつくと、柔道衣の部員たちがずらりと並んでいて……。
 もしかして、僕たち取り囲まれています?
「わたし、大盛り!」
「わたし、お蕎麦がいいなぁ〜」
 ……え?
 僕たちの不安をよそに、高嶺がたかって、波野先輩がわがままをいい出す。

 すると、柔道衣の壁の向こうから。
「やったぞ〜!」
 そんな雄叫びがあがって・
「どけ! どけっ!」
 剣道着姿の集団が、なだれこんでくる。
「えっ……」
 波野先輩が、ちょっと恐怖で青ざめると。
「怪我をしてても輝いている波野さん、こちらの椅子どうぞっ!」
 剣道部と書かれた、パイプ椅子。
 どっちもパイプ椅子だから、変わらない気がするけれど……。
「波野さんに、柔道部の椅子なんか座らせられるかよ!」
 なんだか、剣道部の部長が熱くなっている。
「お前ら、特製蕎麦急げっ!」
「はいッ」
「声が小せぇ!波野さんに、特製蕎麦!」
「はいッ!」

「な、なにこれ……」 
 フリーズする、波野先輩の隣で。
 我に帰った高嶺が、そう口を開こうとすると。
「負けるな! 栗色の髪の毛の高嶺さんに、特盛出せ!」
 田京先輩の大きな声が、僕のまうしろで炸裂する。

「高嶺さんに、特盛! ウッす!」
 集団に復唱されて、珍しく高嶺が顔を赤くしている。
 それになんで、田京先輩まで? 刈り上げのうしろ、赤いですけど……。

「……ウチの部長、高嶺さん推しっス。ちなみにうどん屋っス」
「……剣道部長は、蕎麦が命で。当然波野さんファンです、はいッ」
 なるほど。
 両部のメンバーが、そっと僕に耳打ちしてくれる。
「あのふたりで、よかったわ……」
 三藤先輩が、心の底から安堵したような声を出し。
 先に帰るか、という顔で僕を見る。
 僕は、それは無理そうだと返事をすると。
 さりげなく、安全地帯に避難して。
 真っ赤な顔の、波野先輩と高嶺先輩のふたりをのんびり眺めながら。
 意外とおいしい、うどんを堪能することにした。

 この場所は、比較的校門に近いので。
 バスから降りた来場者たちも、この光景を面白そうに眺めている。
 うん、当事者じゃないと、なかなかいいですね。

「う、うまいですか? 高嶺さん!」
 田京先輩が、真っ赤な顔になりつつ。
 至近距離で、聞いている。
「は、はい……」
「よし! 栗色の髪の毛の高嶺さんに、特盛お代わり用意!」
「ウッす!」
「い、いりませんからぁーーーー!」

「怪我をしてても輝いている波野さんに、特製蕎麦大好評!」
 竹刀を握りしめながら。剣道部の部長が、負けじと叫ぶ。
「はいッ!」
「お願い、静かに食べさせてーーーー!」

「あの変な『枕詞』も、練習してきたのよね……」
 相当に、シュールな光景を見て。
 三藤先輩が、ため息をつく。


 ……ちなみにこの日を境に。
 あのふたりは、麺類を食べるのがトラウマになってしまったらしい。



「……栗色の髪の毛の、高嶺さん!」
「怪我をしてても輝いている、波野さん!」
「あと、三藤の(あね)さんと!」
「ついでに、委員長も!」
「……ご来店、ありがとうございました!!」

 柔道部と剣道部の大声が、校門付近に響き渡る。
 高嶺と、波野先輩はとことんまで顔が真っ赤で。
 三藤先輩は、その三歩うしろにいたのだけれど。
 それでもなんとか、返礼がてら。
 僕たちが揃って、一礼すると。
 どこからともなく、拍手が起こる。

「ありがとう!」
「楽しんでるぞ〜!」
 顔を上げると、最初の委員会では怖そうだった。
 他の運動部の部長や、上級生の顔も見える。
 田京先輩は、その中央で腕組みをしていて。
 剣道部の部長もその隣で、堂々と笑っている。

「ありがとうございました!」
 思わず僕も、大きな声を出す。
 合宿の効果か、はたまたたかぶった感情のおかげなのか。
 その声を聞いて、先輩たちは一瞬どよめいた。




「……随分と暑苦しい、視察になったわね」
「その割に、三藤先輩。なんだか、うれしそうですよ」

 ……それはね。
 海原くんが、ほめられたからに決まっているでしょ。

 もう。そんなことさえ、わからないの?


 少し、静かに戻ろうかと。
 並木道を見下ろす裏道を、四人で歩きながら。

 わたしは足取り軽く、海原くんの歩幅で進む。


「そんなに特盛特盛って、いわなくても……」
「輝いてるっていわれて、蕎麦ばっかり出されても……」
 いつもはうるさいふたりは、これでしばらくは静かになるかしら?

 でも、いいじゃない。
 あなたたちには、周りを笑顔にできる力があるわ。


 少しのあいだでも、海原くんが気分転換できたのならそれでいい。
 『視察』に送り出してくれた、玲香(れいか)に感謝しよう。


 わたしは、やや浮かれていた。
 少なくとも、このときは。


「文化祭、楽しく終われるといいわね」
「そ、そうですね」

 いきなり大声を出して、少し枯れたその声にも。
 悲しい響きは、まったくなくて。


 文化祭の午前中は、少なくともわたしの中では。


 ……穏やかなときとして、記憶に刻まれた。