「私はいま、どこにいるでしょう!?」
そう言った瞬間に私の口はふわりと白い靄が舞い上がった。
白い靄を目で追っていると、あっと言う間に消えて見えなくなる。その次に起きたのはどっどっと音を立てはじめる胸。
電話の向こう側に届くはずがないとわかっていても、私は聞こえないように胸を強く押さえこんでしまう。忙しない心臓を落ち着かせるように冷たく澄んだ空気をゆっくり吸い込んで、言葉を待つ。
『菜乃花。ひさしぶりに電話してきたと思ったら、なにやってんだ…』
電話のスピーカー越しに、はぁと息を吐き出す音が聞こえた。
わかっていた反応なのに私の心臓はずくりと鈍い痛みが走る。
「ひどい…。佑にぃちゃんの意地悪ぅ…」
自分が思っていたより弱々しい声が出てしまった。気づいた時にはもう遅い。息をのむ音が聞こえたような気がした。でも。
あぁ、だめだ。
鼻がつんとする。だって、こんな声を出してしまったら佑にぃちゃんはきっとーー。
『おい。菜乃花、泣くなよ。どうしたんだよ?』
困りながらも、私を助けてくれる。手を差し伸べてくれる。
「佑にいちゃん……」
私の思いとは反対にますますか細く弱くなった声が出てしまった。
知っている。佑にぃちゃんはそういう人だ。
困っている人を見かけたら「どうしました?」って聞けてしまう人。
たとえ、それが年の離れた近所の幼馴染で、真夜中に前触れなく電話する迷惑な酔っ払い女だとしても。突き放したりはしない。
『それで、なにがあったんだ? 菜乃花?』
だから私はその優しさに縋ってしまうのだ。聞きたくなってしまうのだ。
「…えっと。飲み会に行って、二次会で行って、カラオケ行って、たくさん歌って、それで解散して電車に乗った」
なんとか言葉をひねり出してぽつぽつと落としていく。
ベンチに座っているのに私の足は左へ右へと動いて落ち着きがない。落ち着くことができない。佑にぃちゃんが優しいとわかっていても、きちんと言葉が返ってくるまで不安になってしまうんだ。
『うん、うん、それで?』
「それで…それで、眠くて寝ちゃって…」
小さな子供みたいだなと思う冷静な自分と、呆れずに聞いてくれて嬉しいと高揚する自分。
「気づいたら終点にいて、びっくりした…」
そんな狭間に揺れる私の要領をえない言葉の羅列でも、佑にいちゃんは優しく温かい相槌を返してくれる。ほっと安心させてくれる。呼吸がしやすくなる。
『はぁ。まったく、菜乃花は大きくなっても世話がかかるな』
ただのため息じゃない。クスクスと笑いを含んだ佑にぃちゃん声に単純な私の心は急上昇する。
ほんのすこし残っていた理性なんて簡単に消えてしまう。
いつかのように佑にぃちゃんへ説明しようとする私の口は勝手に動き出す。
「ちゃんと、終電前には帰ろうって、ちゃんと思ってたんだよ? それなのに…なのになんで私はここにいるの…?」
頭の隅では理解しているけれど不思議なことが自分の身にも起きていると、どこかで思っている部分も残っていた。
『わかったわかった』
鼓膜を揺らす佑にぃちゃんの笑う声が心地がいい。
もっと聞いていたい。話したい。聞いてほしい。
奥底にしまっていたはずの感情が溢れ出す。流れ出すと止まらない。長い付き合いになっているのに、私は私のこの感情を止める方法がいまだにわからない。
「だって、だってね…」
コントロールが効かなくなった私の口からポロポロと言葉がこぼれていく。

