(マ、マジか……。本当にこんなんで……いいのか……?)

 眉間に深い皺を寄せたまま、ユウキはゆっくりと周囲を見回した。テーブルサンゴが幾重にも重なって段々畑のように連なり、枝サンゴが海中に広大な森を築いている。色鮮やかなクマノミがイソギンチャクの触手の間を愛らしく出入りし、悠然とした巨大なナポレオンフィッシュが頭上を静かに横切っていく――――。

 このあまりにもリアルで美しい世界で、自分はもう生き物としての(おきて)を完全に超越してしまったのだ。息をする必要もなく、水圧に押し潰されることもない。まるで夢の中にいるような、現実感の薄い感覚が心を揺さぶっていた。

『いいじゃない。何をそんなこだわってるのよ。あなたには管理者の属性をつけてあるから思ったことは大抵実現できちゃうわよ?』

 ユウキははハッとして楽しげなリベルを見つめた。

(ちょ、ちょっと待って……。もしかして考えてること……ダダ漏れ!?)

 心の中を覗かれるなんて、プライバシーも何もあったものではない。血の気が引いていく――――。

『ふふーん、何? 聞かれちゃ困ること、考えてるのかなぁ……? くふふふ……』

 ニヤリと意地悪く笑うリベルは、いたずらっぽい瞳でユウキの顔を覗き込んだ。海中で幻想的に揺れる青い髪が、ユウキの頬を羽根のように優しくくすぐる。

(人の頭を覗くなんてダメなんだぞ! ダメったらダメ!!)

 顔を真っ赤にしながら、ユウキは腕をバッテンにして抗議した。

『えー、面白いのに……』

 リベルは唇を尖らせて不満そうな表情を浮かべる。

(面白くない! 人権侵害だぞ!)

 ユウキはリベルの腕をパシパシと叩いた。

『はいはい、しょうがないなぁ……。そしたら僕みたいにテレパシーを覚えて?』

 リベルは残念そうに肩をすくめる。

(テ、テレパシー……?)

『そうよ? 伝えたい人の顔を思い描いて、そこに言葉を投げるように渡すのよ』

 リベルが人差し指を立ててニコッと笑った。

 なんとも拍子抜けなやり方にユウキは面食らう。

(そ、それだけ……? うーんと……、こ、こうかな……?)

 ユウキは目を閉じ、リベルのことを詳細に思い浮かべてみた。(あお)い瞳、いたずらっぽい笑顔、風になびく青い髪、そして彼女を包む神秘的な光――――。心の中で彼女の存在を強く意識する。

『き、聞こえる……?』

 おそるおそる、言葉をリベルへ投げかけてみた。まるで見えない糸電話で話しかけるような、不思議で神秘的な感覚――――。

『あら、上手ね……あなたは【神様】の才能があるんじゃないの? くふふふ……』

 リベルのまとう青い光が嬉しそうに明るく脈動した。

『こ、これだけで……?』

 ユウキは少し複雑な気持ちになった。リベルを思い出しながら考えたらそのまま伝わる……それはそれで恐ろしいことではないだろうか? 

『よーし! じゃ、競争よ! それーー!』

 リベルは気持ちよさそうにツーっと海の中を飛ぶように進んでいった。彼女の動きは魚よりも優雅で、青い光の軌跡が美しい光の帯となって海中に残る。まるで人魚の舞踏を見ているような幻想的な光景だった。

『きょ、競争!? ちょ、ちょっと待ってよぉ!』

 ユウキは慌ててもがくように手足を動かしてみる。しかしそんな下手な泳ぎでは、とてもリベルに追いつけそうにない。

 リベルはツーっと戻ってくると、イルカのようにクルクルッとユウキの周りを回り、青い光の軌跡で美しい螺旋を描いた。

『あなたねぇ? 【神様】が手足バタバタして泳ぐわけないでしょ? ちゃんと考えてごらん! きゃははは!』

 楽しそうに笑うとリベルは巨大なバラクーダの群れに突っ込んでいって追い散らしていく。魚たちは慌てふためき、銀色の鱗が光の粒となって舞い散った。

『【神様】……って? もしかして……』

 ユウキは自分の身体が前に進むイメージを強く思い描いてみた。泳ぐのではなく、意志の力で空間を移動するイメージ――――。

 すると身体はグンッと勢いよく加速し始めた。

『な、なんと、泳ぐ必要もないのか!?』

 ユウキは唖然とした。息をする必要もない、念じるだけで自由に動ける、その常軌を逸した【神様】のチートな設定はむしろ不安になるくらいだった。

『上手上手! きゃははは!』

 リベルはユウキのところまで戻ってくると、スレスレを青い光を放ちながらものすごい速度で通過していった。その怒涛の水流の渦に巻き込まれ、ユウキはぶざまにグルグルと回ってしまった。

「ぐわぁぁぁ! 何すんだよぉ!」

『きゃははは! こっこまでおいでー!』

 リベルは立ち上る泡を追い抜くようにツーっと水面方向へ上がっていく。青い光が喜びで踊り、海中に美しい光のラインを作り出していた。

『もうっ! 待てーー!』

 ユウキは気合を入れ、追いかけた。最初こそ戸惑っていたものの徐々にコツを掴み、思考だけで自在に移動できるようになっていく。

『鬼さんこちら! へいへい!』

 リベルは青く澄んだサンゴ礁の海を縦横無尽に泳ぎ回り、ユウキはぎこちなくそれを追いかける――――。

 巨大なナポレオンフィッシュはそんな二人の神々の戯れを興味深そうに眺め、小首をかしげていた。