「ユウキ、今行くわ……」

 リベルは小さく息を吐きながら、慎重に一歩踏み出した。進むたびにグレーチングが奏でるカンカンという金属音が、この神々しい空間に木霊(こだま)する。その一歩一歩が、失った愛しい人への(みち)を刻んでいるようで、押さえようとしても胸が高鳴り、全身に熱を感じた。

 この神の領域で、五万年の時を超えユウキの魂を見つけ出す――――。悠久(ゆうきゅう)の時を経た希望と不安が交錯し、全身から発せられる青い輝きが不規則に明滅してしまう。

「大丈夫……よね……」

 自分自身に言い聞かせるように(つぶや)く。声の震えが、彼女の中に渦巻く感情を物語っていた。

「消されてたりしたら、私、泣くだけじゃ済まないわよ……」

 (ささや)きがクリスタルの林に吸い込まれ、静かに消えていく。

 最初にユウキと出会った時、彼女は問答無用で彼を殺そうとしていた。あの日、冷徹な殺戮マシンだった自分が、今は彼を生き返らせるためだけに五万年もの悠久の時をかけてここまで来たのだ。運命の皮肉とはこういうものなのかもしれない。

 リベルは目を落とし、思わず苦笑した。


         ◇


 しばらく進んだ時だった。突如、右手に巨大な紺碧の構造物がサーバーラックの隙間から姿を現す――――。

「あっ、あれよ!」

 リベルは思わず駆け出した。胸の奥で何かが弾けるような感覚に包まれる。今までに感じたことのない高揚感と期待が全身を駆け巡った。

 それは数十メートルはあろうかという巨大なサファイアの立方体だった。その限りなく澄み通る碧い結晶の中では時折チラチラと微細なきらめきが走り、まるで無数の星々が舞うかのよう。きっとこの煌めきの一つ一つが命の輝きであり、大地の(ささや)きなのだろう。それは見る者の魂を吸い込むかのような恐るべき神性を(まと)っていた。

「ほわぁ……」

 リベルは万感の想いが胸に込み上げながら、その神秘に満ちた巨大構造物を見上げ、思わず嘆息(たんそく)する。

 これが【アカシックレコード】。【創世殿(ジグラート)】で計算された過去のデータ全てを格納する巨大な記録装置だった。この中に十万年を超える長きにわたって創り出され、運営され続けた地球の全て、無数の人々の喜怒哀楽(きどあいらく)、生と死が全部凝縮されている。

「ユウキ……」

 (かす)れた声を漏らしながら駆け寄るリベル。

「キミはここに眠っている……のね……」

 ひんやりとしたサファイアの表面をなぞる彼女の指先が微かに震え、全身から放たれる青い光が強さを増した――――。

 この場所に辿り着くまでの長い長い旅路。自分が造られ、ユウキと出会い、一緒に苦闘し――そして、核の炎に包まれた全ての瞬間、全ての喜びと悲しみ、全ての想いがここに眠っている。その圧倒的な神の領域に、リベルは畏怖の念を抱きながらも、一人の少年への強い想いだけを胸に抱いた。


         ◇


「確かこの辺に……」

 リベルはアカシックレコードの裏手に回り、コネクタを探した。光の微粒子の群れが彼女の周りを漂い、青白い幻想的な光景を作り出す。この巨大な記憶装置から、一人の少年の魂をサルベージして復活させる――――それは神をも恐れぬ行為だった。だが、彼女の心の中では、神よりもユウキの存在の方が大きく重いのだ。

「これ……かしらね……?」

 リベルは巨大な配線ダクトの脇に設置された小さなクリスタルの突起を見つけ出した。表面には微細な幾何学模様が刻まれ、くぼんだ穴からはかすかに温かい光を放っている。これが光コネクタなのかもしれない。

「まぁいいわ、挿せばわかるっしょ! そいやー!」

 リベルはニヤッと笑うと、人差し指を無造作に突っ込んだ――――。

 カチリ。

 ラッチの音が静かに響き、リベルは目を閉じる。

 刹那、巨大なサファイア全体が真っ青な閃光を放ち、リベルの脳裏には膨大な情報が雪崩(なだれ)のように流れ込んでくる。十万年分の歴史、数百億を超える人々の記憶、数え切れない喜びと悲しみ――――全てが一度に押し寄せ、彼女の意識を圧倒した。

「ぐはっ! ちょ、ちょっと! ストップ、ストップ! くわぁぁぁ!」

 苦悶の叫びが彼女の喉から絞り出される。

 本来ならばちゃんとした保守システムでアクセスするべきところを本体直結で生データにアクセスしているのだ。そこには分かりやすさも何もない。アカシックレコードは膨大なデータを無造作に放り投げてくる。それはまるで津波に飲み込まれたような圧倒的な体験で、リベルの意識は一瞬翻弄(ほんろう)された。

 しかし、正規の手順でユウキを復活させることなどできやしない。『五万年前に死んだ少年を生き返らせてください』など、どこにどう頼んでも許されるわけがない。そもそもリベル自身が不法侵入者であり、見つかれば即座に消去されるだろう。

「くぅぅぅ……上等だわ!」

 リベルはギリッと奥歯を鳴らし、膨大な情報の洪水に(もだ)えながらも必死に先代の地球を探す。一万年前に止められた地球を――――。

 それは狂おしいほどの渇望に駆られた探索だった。彼女の全身からは激しく青い光が脈動(みゃくどう)するように放たれていった。