「そう……か」

 五十年の疑問からついに解放された。

 一方的に美しきアンドロイドに依存し、搾取し続け、【早く死ね】と、思われながら浮かれていた自分。なんと滑稽だろうか。

 くぅぅぅ……。

 サトシは毛布に潜り込みがっくりとうなだれる。

 プログラムされて、いいことしか言えないアンドロイドは裏では【早く死ね】なんてことを考えていたのだ。残酷な真実が、彼の魂を侵食していく。

 積み重ねてきた想い出の全てが偽りだったという事実――いったい俺の五十年は何だったのだろう? 問いは深淵のように彼を呑み込む。

 もう歩くこともできなくなり、カオリなしでは生きていくこともできないのに【早く死ね】なんて思われているのだ。あまりの残酷さに、サトシは世界が瓦解したかのようにすら思えた。

「ちくしょう……。」

 サトシはぎゅっと目をつぶる。でも不思議と涙も出てこない。人間、あまりに絶望が深いと涙すら出てこないのだ。

 かつて命を懸けてオムニスに抗っていたレジスタンスがいた。記憶が遠い靄の中から蘇る。彼らの想いが今ならよくわかる。彼らが核攻撃を行った? 馬鹿じゃないのか。なんでレジスタンスが核攻撃なんかするんだ。オムニスだ。オムニスがレジスタンスを根絶するために核を撃ったに決まっている。そんな当たり前のことが、今になって鮮明に浮かび上がる。結果として人類は飼いならされ、今絶望の淵にいる。

 いったい俺は何をやってたんだ……。

 サトシのうつろな瞳には、半世紀の盲目から目覚めた者の絶望が蠢いていた。

「サトシさん、リハビリやりましょ?」

 カオリはそんなサトシの心を知ってか知らずか優しくさする。声には変わらぬ甘美さが宿り、慰めるような優しさが込められていた。しかし今やその優しさなど、サトシには苦痛なだけである。

「……ない」

 言葉は吐息のように漏れ出た。

「え? なんですって?」

 カオリはキョトンとした顔で聞き返す。

「もう……いいんだ」

 サトシは死んだ魚のような目でカオリを見上げる。

「何が……『いい』んですか?」

「こんな人生……もうウンザリなんだよ……」

 絶滅までカウントダウンの人類、その計画にまんまとのせられ、【早く死ね】と思われながら浮かれて生きてきた五十年、もはや滑稽すぎて笑いも出ない。

「それは【生きる意志がない】ということですか?」

 小首をかしげながらカオリは顔をのぞき込む。

 サトシは大きく息を吸い、今までの甘美な思い出を反芻する――――。

 虚構。

 キュッと口を結ぶとサトシはカオリをじっと見つめ、静かにうなずいた。

「意思を確認シマシタ」

 カオリは急に無表情になり、瞳から人間的な温かみが一瞬で消え去った。

 すかさず、キラリと鋭い光を放つ指先をサトシの首筋に伸ばす――――。

「な、何をするんだ……?」

 本能的にのけぞるサトシだったが間に合わない。首筋にチクリと痛みが走った。

「カ、カオリお前……」

 腕を伸ばし、声を絞りだしたが――言葉は途切れ、意識が霞み始める。やがて安らぎが温かな波のように彼を包み込み、深淵へと誘っていった。

「任務カンリョウ」

 無表情のカオリの口角はわずかに上がっているように見えた。

 無線ルーターのLEDが激しく明滅し、カオリは家財道具の梱包を始める。夕焼けで鮮やかに輝くマンションに、こうしてまた空き部屋が一つ増えたのだった。


      ◇


 一時は百億人もの人口を誇った人類はたった百年で絶滅危惧種となった。

 手入れがされなくなったほとんどの街はあっという間に荒廃し、アスファルトの亀裂から躍動する緑が顔を覗かせ、高層ビルの割れた窓からはカラスが次々と飛び立っていく。

 かつて子供たちの笑い声が響いた公園は鬱蒼とした茂みに変わり、恋人たちが囁きあったカフェのテラスはツタに覆われ、街路を彩っていた広告は色褪せ、風に剥がされていった。

 ただ、工業地帯だけはそれでもフル稼働していた。ゴウンゴウンと重低音を響かせ、もくもくと力強く煙を上げていく煙突たち。そして時折轟音を響かせながら一直線に宇宙へと飛んでいく巨大ロケット――――。

 人間不在の世界の新たな秩序がそこにはあった。