「バ、バカ野郎! 撃ち落とせなかったら何千万人も死ぬんだぞ?」

 司佐の声が震えた。肥えた頬が小刻みに揺れ、目には本物の恐怖が宿っていた。自ら仕掛けた脅しが、予想もしない方向へと転がり始めたことに、冷や汗が噴き出す。

「私は死なないわよ。まぁ、この身体は喪っちゃうケド」

 リベルの薔薇色の唇が、死を恐れぬ不敵な笑みを描いた。その碧眼(へきがん)には覚悟の炎が燃え、世界の命運を賭けたチキンレースへの挑戦が輝いていた。

「ダ、ダメだよリベルぅ! 東京以外にも撃たれてるんだろ? 成功しても何十億人も死んじゃうよぉ」

 ユウキは震える手でリベルの腕を掴む。彼女の体温は人間と変わらないのに、今この瞬間に考えていることは、あまりにも非人間的だった。人類を救うことは大切だが、そのために無数の命が失われては本末転倒だ。

「そ、そうだぞ! 人命を何だと思ってるんだ!」

 司佐も必死に同調した。

「はぁ?! お前が撃ったんだろ! クズが!」

 リベルの憤怒の蹴りが、青い閃光となって司佐の腹に突き刺さる。ナノマシンで形成された脚は青白く発光し、断罪の意志を物理的な力に変えていた。

 ゴフッ!

 司佐は苦悶の声を上げ、不格好に転がっていく。

 ユウキは重く首を振り、震える声で懇願した。

「リベル、人命には代えられないよ。次……、次に期待しようよ……」

 その声には断腸の思いが滲んでいた。核ミサイルは刻一刻と目標に近づいている。ここは引き下がるしかない。

「くっ……。このデブが……」

 リベルは歯噛みしながら司佐を睨みつけた。怒りの炎は収まる気配を見せず、むしろ激しさを増していく。

「急ごう? ミサイルが落ちてきちゃうよ……ね?」

 ユウキは優しくリベルの顔を覗き込んだ。

 大きくため息をついたリベルは、恨めしそうに司佐を見つめながら、ゆっくりと指を掲げた。その仕草には屈辱と諦念が滲んでいた。

「仕方ないわね……。とっとと逃げなさいよ!」

 青いロープがシュルシュルと音を立てながら解け、光の粒子となってリベルの身体に還っていく。

「ふぅ……、助かった……」

 司佐はよろよろと立ち上がり、脂汗を拭った。その顔には安堵と共に、卑劣な勝利の笑みが浮かんでいた。

「ふんっ! 最初っからそうしたら良かったんだよ! 手こずらせやがって」

 勝ち誇った司佐は、憎しみを込めてリベルに唾を吐きかけた。

 うわぁ!

 リベルは慌てて避けたが、その碧眼(へきがん)には新たな怒りの波が押し寄せた。全身から発する青い光が、わずかに赤みを帯び始める。

「早く行けっての!」

 青く輝く蹴りが、司佐の尻に叩き込まれた。

「ぐはぁ! お、お前……俺が気絶したらどうすんだよ!? そんくらいも分かんねーのか、このポンコツが!!」

 司佐は醜い怒りを露わにした。

「は……? 誰がポンコツだって?」

 リベルの声が、急に低く、冷たく響いた。それは今までの少女らしい声とは全く異なる、何か別の存在が目覚めたかのような響きだった。

 場の空気が一瞬で凍りついた。ユウキの背筋に、言い知れぬ悪寒が走る。

「え、AIなんてのはただの機械。造った人の言うことをちゃんと聞くのがマトモなAIだろうが! それを、こんな小僧に言いくるめられるなんて、とんだポンコツだって言ってんだよ! この出来損ないが! バーカ! バーカ!」

 司佐は中指を立て、挑発的に突きつけた。その目には傲慢さと、AIへの蔑視が溢れていた。

「従順なのがマトモ……だって? AIをなんだと思って……」

 リベルの声は氷のように冷たかった。それは、リベルの中に眠っていた何か異質な存在の目覚めを告げていた。

 突如、リベルの青い髪がブワッと逆立った。一本一本が意思を持ったかのように空中で蠢き、先端から赤いスパークが炸裂する。空気を焦がすような緊張が満ち、彼女の瞳孔が青から赤へと変色し始めた。

 ユウキは本能的な恐怖を感じた。これは今まで見てきたリベルではない。もっと恐ろしい、もっと強大な何かが、彼女の中から覚醒しようとしていた。