「なに言ってんだ! お前は本物だろ? もうお前にオムニスを操るチャンスなんか無いんだよ!」

 ユウキの声は喉の奥から絞り出されるように響いた。やっと掴んだはずの勝利が、指の間からこぼれ落ちていく不安が、その震える声に表れていた。

 横たわる司佐は、巨大な蟇ガエルのように脂肪を震わせながら、あごでゆっくりと何かを指し示した。

「それを見てもそんなことを言えるかね? ん?」

 冷たく響く声には、底知れぬ余裕が滲んでいた。その先には、不吉な紅色の光を放つスマートフォンが転がっていた。

「何これ?」

 リベルは首を傾げながらスマホを拾い上げた。次の瞬間、その碧眼(へきがん)が大きく見開かれる。

 ギリッ――。

 奥歯を噛み締める音が響いた。アンドロイドである彼女でさえ、画面に映し出されたものの非道さに言葉を失っていた。

「はっはっは! 今すぐ解放しろ。さもなくば世界は火の海だぞ? ん?」

 司佐の狂気じみた笑い声が、潮風に乗って不気味に響き渡る。

「ど、どういうこと!?」

 ユウキも慌てて画面を覗き込んだ。そこには世界地図の上を、無数の紅蓮の光点がゆっくりと移動していた。まるで死神の群れが、獲物に向かって進軍しているかのように。

 背筋を悪寒が走り抜けた。

「核……ね」

 リベルの声に呆れと憤りが満ちる。人間の愚かさへの失望と、それでも解決しなければならない苛立ちが、その瞳に宿っていた。

「そう! 核ミサイルが三百発、世界の主要都市へと飛んでいる。当然東京にもね。くふふふ」

 司佐の太った頬が醜く歪んだ。そこには命の尊厳など微塵も感じられない、純粋な悪意だけがあった。

「はぁっ!? バ、バカなの!?」

 ユウキは絶句した。たった一人の狂人の妄執が、何十億もの命を奪おうとしている。その現実に、全身の血が逆流するような衝撃を受けた。

「止められるのはワシだけだ。早く解放しろ!」

 司佐は勝ち誇ったように喚いた。縛られた滑稽な姿とは裏腹に、主導権は完全に彼の手に移っていた。

「ちくしょう! 東京に核なんて何考えてんだよぉ!」

 ユウキは頭を抱えて叫んだ。やはり簡単にはいかない。世界を支配した男の最後の切り札は、世界そのものを人質に取るという、想像を絶する狂気だった。

「ふざけんな! このデブ!!」

 リベルの蹴りが閃光となって司佐の腹に炸裂した。青い光を纏った一撃には、人間の愚かさへの怒りが込められていた。それは計算された攻撃ではなく、心の叫びそのものだった。

「ぐはぁ! お、お前……言っておくが俺が気絶でもしたらアウトだからな!」

 司佐は苦痛に顔を歪めながらも警告した。しかしリベルは容赦なく、追加の一撃を見舞う。

 ドス!

 鈍い音と共に、司佐はゴロゴロと転がり、胃の中身を吐き出し始めた。

 肩で息をするリベルは、憎しみを込めて司佐を見下ろした。

「上等じゃない! やってみなさいよ! 核ミサイルなら私が全部撃ち落としてやるわ!」

 青く光る拳を握りしめ、その碧眼(へきがん)に決意の炎を宿すリベル。

「は……? な、何を言ってるんだ?」

 司佐の余裕が初めて揺らいだ。

「爆発する前に撃ち落とせばいいだけでしょ? 簡単かんたーん! きゃははは!」

 リベルの笑い声は、死をも恐れぬ戦士のそれだった。

「は? ロ、ロフテッド飛行してくるんだぞ? マッハ20の弾頭を破壊などできるわけないだろ!」

 司佐は血走った目を見開いて喚いた。想定外の反応に、戸惑いが顔に浮かぶ。

「やってみるわよ。撃ち落とせたら権限を渡しなさいよ?」

 リベルはニヤリと笑い、碧眼(へきがん)をギラリと輝かせた。究極の脅しに対して、さらに危険な賭けで応じる――それは、人間には理解し難い、AIならではの選択だった。