ようやく辿り着いた自宅。

 玄関を開けると、(ねや)のような静寂と闇が待っていた。照明は点かない。

 ふぅ……。

 手探りで進み、リビングへ。

 この家には、もう長いこと自分しか住んでいない。

 幼い頃、両親はそれぞれ新しい伴侶を見つけて消えた。あの日の雨音が、今も耳の奥で響いている。AI社会では衣食住が保証され、人々は好き勝手に生きる。子供さえ不要になれば捨てられる。

 家政婦ロボットが時々来て、死なない程度の世話はしてくれた。だが人肌の温もりはない。特に熱を出した夜は、全世界が敵になったような孤独に苛まれた。誰もいない部屋で、天井を見上げながら過ごした無数の夜――――。

 そんな中で、久しぶりの温かさをくれたのがケンタだった。だが、ケンタ亡き今、リベルだけが心のよりどころなのだ。

 AIであっても、確かに温もりがあった。もう人間が与えてくれないものが、そこにはあった。

 あの柔らかな唇……たとえ機械であっても、今は何より大切な存在。絶対に失えない。

 バッとカーテンを開け、床に清潔なシーツを広げる。

 大きく息をつき、震える手でリュックを持ち上げた。

「よっこいしょっと……」

 貴重な宝石を扱うような慎重さで、中身を開けていく。黒い粒子の一つ一つが命そのものに思えた。

 ふぅ……。

 西日が差し込み、部屋がオレンジ色に染まる。その光の中で、黒い粒子がキラキラと神秘的に輝いた。星空のような、無数の光の瞬き。

「これが……リベル? 本当にリベルに戻る……のかなぁ?」

 掠れた声で呟く。不安と期待が交錯する。

 ついさっきまでこの砂は美しい少女だった。初めてのキスの相手。その感触は鮮明なのに――――。

 ユウキはじっと砂山を見つめる。理解しようとするほど、現実が遠ざかっていく。それでも、目が離せなかった。

「リベルぅ……。君は世界一強いんだろ……?」

 うつむき、凛々(りり)しくも美しかった彼女を思い浮かべる。無類の戦闘力と、笑顔の愛らしさ。どちらも遠い夢のようだった。

「君は世界一美しい……。ねぇ……。ねぇってばぁ……」

 震える手を伸ばし、指先をそっと砂山に差し込んだ。冷たい粒子が指の間を(くぐ)り抜ける。別れを告げるような、切ない感触。

「ねぇ! 本当は聞こえているんじゃないの?!」

 握り締めた砂に向かって叫ぶ。このまま砂のままかもしれない――その恐怖が胸を締め付ける。

 しかし――――。

 何も起こらない。サラサラと零れ落ちるだけ。まるで砂時計である。

「リベルぅ……」

 涙が頬を伝い、シーツに染みを作る。一滴一滴に、切ない想いが込められていた。

 彼女は唯一の希望だった。絶望的な日常に現れた奇跡。その遺灰(いはい)のような砂山を前に、肩を落とす。

 宵闇が忍び寄り、部屋を闇が包んでいく。

 ぎゅぅぅ……。

 腹の虫が鳴いた。悲しみの中でも、空腹は容赦ない。生命の営みの前で、無力さを痛感する。

 宵闇が部屋を覆い、途方に暮れていると――――。

 ブゥン……

 冷蔵庫のコンプレッサーが唸りを上げた。停電の終わりを告げる低い振動。生命の鼓動のような響き。

 次の瞬間――――。

 砂山が、キラキラと淡い黄金色に輝き始める。夜明けの太陽のように温かく、希望の光がユウキの顔を照らした。