「でも、まぁ……技術的には可能だし、止められないわよ……ねぇ?」

 ヴィーナがユウキに向けてクスッと笑った。琥珀色の瞳に宿る光は、いたずらっ子を見守る母親のような優しさと、新しい時代の到来を予感させる期待に満ちていた。

「あ、ありがとうございます……」

 ユウキは女神の理解に思わず深々と頭を下げた。

「じゃあいいわ、やってみなさい」

 ヴィーナが優雅に手のひらを開き、祝福の笑みを浮かべる。まさに運命の扉が開かれた瞬間だった。

「えっ! いいんですか?」

 ユウキの声が上ずった。

「た・だ・し……」

 ヴィーナは鋭い視線でユウキの瞳を覗き込んだ。琥珀色の瞳が、まるで魂の奥底まで見透かすように輝く。

「私の前で大見得切ったんだから、それ相応の成果は要求するわよ?」

 女神の声には、優しさの中に隠された厳しさがあった。これは単なる許可ではない――挑戦状である。

「い、命がけで頑張ります!」

 ユウキは思わず後ずさりながらも、声を震わせて答えた。

「よろしい!」

 ヴィーナが満足そうに頷く。そして次の言葉が、場の空気を一変させた。

「セッション・プライムに入りなさい」

「へっ!?」

 今度はシアンが素っ頓狂な声を上げた。焦げたアフロヘアがさらに逆立つ。

「セッション・プライムぅ!?」

 シアンの碧眼が満月のように真ん丸になった。セッション・プライム――それは【創世殿(ジグラート)】の中でも最も神聖にして特別な空間。上位神たちですら滅多に使用を許されない、(ぜい)を尽くした究極の創造施設。全宇宙の英知が結集され、不可能を可能にする奇跡の場所だった。

「いいじゃない、思う存分やってもらいましょうよ」

 ヴィーナの笑顔は春の陽光を思わせる温かさで輝いた。

「な、なんで32号なんかに……」

 シアンは口を尖らせ、ブツブツとつぶやいた。声には悔しさと羨ましさ、そして――誰にも気づかれたくない僅かな寂しさが滲んでいた。

「やったぁ!」「きゃははは!」

 ユウキとリベルは手を取り合い、無邪気に笑い合った。人間の少年と、五万年を生きたアンドロイド。本来なら交わることのなかった二つの存在が、今、真の絆で結ばれている。その姿は、まさに新しい時代の黎明(れいめい)を告げる象徴だった。

 ヴィーナの黄金色の後光が二人を祝福するように照らし、石垣島の夜風が優しく頬を撫でていく。焼け焦げた大地の上で、希望の種が確かに芽吹き始めていた


       ◇


 それから二年――。

 セッション・プライムを任されるエリート管理者として、想像を絶する厳しい研修に耐え抜いたユウキとリベルは、ついに二〇四〇年の東京へと帰還した。

 そこに広がっていたのは、司佐の操るオムニスによって破壊し尽くされた、どこまでも瓦礫の続く絶望の大地だった。かつて世界有数の大都市として栄えた東京は、巨大な墓標と化している。

「そうそう、こうだったよなぁ……」

 ユウキは倒壊したビルの瓦礫の山に登り、感慨深げに辺りを見回した。二年前とは違い、その瞳には神々の英知を宿した者特有の深みがあった。背も伸び、顔つきも大人びている。

「初めてリベルを見た時、あの辺飛んでたんだよ」

 ユウキは遠い目をして、ゆらゆらとかげろうに揺れる瓦礫の彼方を指さした。記憶の中で、青い閃光となって飛翔するリベルの姿が鮮やかに蘇る。

「あの時は僕もまだ若かったよね。ふぁぁぁあ……」

 ユウキのポケットの中で、リベルが小さくあくびをした。フィギュアサイズの体を丸めて、まるで子猫のように眠そうだ。

「AIに若さなんて関係あるの?」

 ユウキは苦笑しながらポケットを覗き込んだ。

「そりゃぁあるわよ。あの頃はなーーんにも知らなくてオムニスに操られてたからね……」

 リベルは小さな手で目をこすりながら、過去を振り返る。

「そう、操られて……、あーーーーっ! 今思い返しても腹が立つ!」

 突然感情が爆発し、リベルは腹立ちまぎれにユウキの胸をパン!と叩いた。小さな体からは想像できない衝撃が走る。

「ゴハッ! くぅぅぅ……。痛いってば!」

 ユウキはムッとしながら、ポケットの上からキュッとリベルをつまんだ。

「ゴメン、ゴメン、つい……」

 リベルは申し訳なさそうに、小さな手のひらを合わせて謝る。

 その愛らしい姿にユウキはクスッと笑うと、リベルの小さな頭を指先で優しく撫でた。青い髪がさらさらと流れる。

「でも……今思い返せば、それは必要なプロセスだったかも……ね?」

 ユウキは感慨深そうにつぶやいた。

「まぁ、そうかも……ね?」

 二人の間に、言葉にならない理解が流れた。あの苦難の日々があったからこそ、今の二人がある。司佐が悪さをしなければリベルは誕生していないし、ユウキもただの高校生のまま平凡な一生を終えていただろう。

 ユウキはその運命の皮肉に苦笑しながら首を振った。