次会う時はもう子供じゃないよ


 大学生最後の飲み会は店の前で集合写真を撮って終わった。大学の四年間は長い様で意外とあっという間に過ぎ去って行った。

千夏(ちなつ)先輩! ほんとーにとーきょーにいっちゃうんですかぁ? わたしさみしいです」

 ゼミの後輩である高田(たかだ)が勢いよく私に抱きつき、その勢いに思わずよろける。なんとか姿勢を保ち抱きつく腕を離そうとするが、力が強くなかなか離せない。顔を真っ赤にさせ呂律も回っていない様子から相当酔っている様だ。
 まぁ、あれだけ飲んでればそうなるか。
 
 高田とはゼミ配属後の飲み会で仲良くなり、プライベートでも遊ぶことが多く、かなり私のことを慕ってくれていた。今日だって急遽決まった飲み会で高田は予定があったらしいが、二次会からでも参加したいと予定を済ませて飛んで来てくれたのだ。
 
「私も行きたくないけど配属先が急遽そっちになっちゃったからさ。連休には帰ってくると思うからまたご飯でも行こう。……だからこの手を離して」

 私は来月から新社会人として東京に行く。地元に就職したはずなのに、新しい支店を東京につくるとかで急遽配属先が変わったのだ。予想外の出来事だったが、一応転勤があるとは就業規約に書いてあったため従うしかなかった。

「こっからは解散で。まだ飲むのも良し。帰るのも良し。ただ人には迷惑かけるなよ。それじゃあ解散!」

 幹事のこの言葉でお開きとなった。
「千夏先輩つぎいきますよー」
「もう、飲み過ぎ。あんたはもう帰りなさい」

 駄々をこねる高田を同じ方向の人とタクシーに乗せ込んで見送る。

「千夏帰りどうすんの?」

 なんとか高田を帰らせて一息ついていると今度は(ゆい)から帰りの心配をされた。

「私この後寄るとかあるから大丈夫」
「もしかして彼氏?」
「違う違う。お兄ちゃんの友達。多分今日しか会えないと思うから顔だけ見せに行こうかなって」
「だってもうすぐ終電なくなるよ?」
「バーやってるの」
「え、じゃあ私も行こうかな! ……なんて嘘。邪魔しないから大丈夫」
「邪魔だなんて思ってないよ?」
「二人で話したいって顔に書いてあるよ」

 そう言われて反射的に自分の顔を触る。そんな私を見て唯は笑った。

「私はお邪魔しないから大丈夫。それじゃあごゆっくり。次会った時いろいろ教えてね」
「だからそんな関係じゃないってば!」

 「はいはーい」と言いながら背中越しに手を振って唯は私と反対方向に歩いて行った。その後ろ姿を見送って私も歩き出す。

 
 十分程歩くと目的地のバーに辿り着く。
 前に来た時と変わらずこじんまりとしているが、入り口のライトが私を温かく出迎えてくれる。
 鞄から手鏡を取り出して前髪を整えてお気に入りのピンク色のリップを塗り直す。どの角度からでも納得いく見た目になったことを確認して、大きく深呼吸を一度してから扉に手をかけた。


 カランカランと来客を知らせるベルが鳴ると同時に、私が会いに来た人の声が出迎えてくれた。

「いらっしゃ……おう! ちぃじゃん! いらっしゃい」

 時間も閉店間際だったせいもあり、バーの店内にはカウンター席に常連と思わしきおじさんが一人いるだけで他に客はいなかった。

「なに、兄ちゃんの彼女?」
「違う違う。こいつは(かい)の……あーほら、この前いたがたいのいい奴の……俺の親友の妹!」
「なんだつまらねぇ。兄ちゃん見た目がいいからモテるだろうに」
「残念ながらモテないんですわ」
 
 おじさんの絡みに(りょう)君が笑いながら対応する。




 涼君ーーーー藤田涼太(ふじたりょうた)君は四つ上の兄である海の親友であり、初めて会った時なんて覚えていないくらい前からの付き合いだ。

 覚えている一番古い記憶は私が小学校に入学してからお兄ちゃんと一緒に三人で登校しているところだ。
 私の歩幅に合わせる気なんてないお兄ちゃんとは反対に涼君はいつも私のことを気にかけてくれていた。兄妹喧嘩をしては当然勝てるわけもなく、いつも泣かされている私のことを慰めてくれたり、一緒に仕返しを考えてくれたりした。

 私にとって「二人目のお兄ちゃん」だった。

 涼君自身もひとりっ子だったため、私のことを妹の様に思っていた様で他の女子とは違い「特別な存在」として見てくれていた。

 ーーーーだったはずなのに、いつしか私は涼君に想いを寄せていた。
 同級生にはない落ち着いた雰囲気や大人な対応に惹かれていた。クラスの男子とは違う言葉使いも行動も何もかもかっこよく見えていた。
 同い年でもお兄ちゃんとは大違いだった。お兄ちゃんみたいに私に意地悪をしないし、「バカ」や「ブス」なんて言わない。当然喧嘩だってしない。逆にお兄ちゃんが私にそう言うと止めてくれた。

 私が涼君への想いに気付いたのは私が小学四年生の時で、その時涼君は中学生だった。当然一緒に登校なんてできないし、小学生の時みたいに休み時間に鬼ごっこだってできない。会えるのは休みの日に家に遊びに来る時ぐらいしかなかった。もれなく涼君以外の男友達も家に来るし、涼君だけの時でもお兄ちゃんが私を邪魔者扱いするから一緒に過ごせる時間がほとんどなくなった。
 下校途中で偶然涼君と一緒になることもあったが、涼君はリュックを背負い学ランを着て自転車を押していて、私はランドセルを背負っていて、「小学生」と「中学生」だと痛感させられた。急にランドセルを背負っている自分が恥ずかしくなった。

 私が中学生になったと思えば涼君は高校生になっていた。
 私が高校生になったと思えば涼君は大学生になっていた。

 どれだけ大人っぽい格好をしても言葉使いをしてみても、どれだけ頑張っても「四つ」という年の差は埋められない。
 「早く追いつきたい」と願ってもそれは叶わない。
 「やっと追いついた」と思っても涼君はどんどん先に進んでしまい追いつけないのだ。

 高校を卒業してから涼君は関東の大学に行ってしまった。今までの様に家に遊びに来ることもその辺で偶然出会うなんてことはできなくなった。

 夏休みに帰ってきた涼君は髪を金髪に染めて、耳にはピアスの穴が開いていた。

 私の知らない涼君だった。

 そんな涼君を見てちょっとがっかりした自分がいた。
 でも中身は変わっておらず、前と変わらず私のことを笑いながら「ちぃ」って呼んでくれた時はほっとした。
 「海とメシ食いに行くけどちぃも来る?」なんて声をかけてもらった時なんて、床から飛び上がるぐらい嬉しかった。

「どこいく? 駅前のファミレス? あ、お兄ちゃん何時にこれるかな? 電車ちょうどいいのあるといいけど」
「一緒に迎えに行くぞ。海にはもう連絡してある」
 車の鍵を私に見せながら涼君が得意げに言う。
「涼君車運転できるの!」
「ちゃんと免許もあるぞ」
 涼君が運転する車に初めて乗せてもらう。しかも助手席に。嬉しくてたまらなかった。
「実は俺が運転する車に乗るの親以外でちぃが初めてなんだ。あっちに車ないしこれも父さんの車だし。海には内緒な」
 人差し指を立てて口元に当てながら涼君が言った。
 私が初めての涼君のドライブ相手になると知って嬉しかった。この時はずっと顔がにこにこしていたと思う。

 助手席に乗りシートベルトを締めて車が出発する。三十分だけ二人のドライブだ。
 最近中学校はどう? とか大学って楽しい? とか離れている間のお互いの生活について話していた。
 私には涼君に聞きたいことがあったため、勇気を出してここで確認する。

「涼君彼女できたの?」
「おま、何で知って……海だな」
 いきなりの私の質問に涼君は一瞬焦っていたが、すぐに取り戻した。本人は隠しているつもりかもしれないが、照れくさそうに笑う姿から彼女を大切に思っていることが子供ながらに分かった。
「チューとかしたの?」
「お前どこでそんなこと覚えてきた」
「きゃー! あははは! くすぐったい」
 タイミングよく信号が赤に変わった時に右の脇腹をくすぐられた。赤信号中、車内に私の笑い声が響き渡り青信号に変わった途端、私の笑い声が止まった変わりに車が動く。
 確かめたかったことが知れて良かったのが半分、ショックだったのがもう半分。
 
 私の恋が終わった。

 いや、そもそも私は涼君の「恋愛対象」になんて入っていなかったのだろう。薄々気付いていたが気付いていないふりをしていた。

 たかたが四つと思われるかもしれない。
 でも、私にとってこの四つという数字は大きかった。

 私から見る涼君は「大人」で涼君から見る私は「子供」で、私にとって涼君は「好きな人」で涼君にとって私は「妹」だった。

 大学卒業後、涼君はそのまま関東に就職して社会人になってからはもっと会える頻度が減った。そのこともあり私は完全に涼君のことを諦めていたのに、去年涼君が地元に帰ってきた。どうやらあっちの環境が合わなかったらしい。今は涼君の叔父さんが経営しているバーのスタッフとして働いている。
 諦めたはずの涼君への想いが再会したことによりまた振り返す。
 




「兄ちゃん、会計よろしく」
「今日はもう帰られるんですか?」
「最近飲み歩きすぎてカミさんがこうなの」
 おじさんが両方の人差し指を立ててこめかみの横にあてる。涼君はおじさんのそんな姿を見て笑っていた。 
 支払いを済ませ「ごちそうさん」と言いながらおじさんは帰っていた。
「ちぃ何飲む? 飲んできた?」
 カウンターを片付けながら涼君が聞く。
「どうしよかな。さっきまで飲み会だったの大学の」
「いいね。卒業するとみんなバラバラになるから今のうちにたくさん遊んどきな。あ、終電大丈夫?」
 涼君が時計を確認する。時間的には一杯飲んで店を出ればまだ終電には間に合う。
 いつもはお母さんが心配するから終電までには帰る様にしている。
 ……でも、今日はもう少しここにいたい。
 涼君と一緒にいたい。

「今日は大丈夫。大学最後の飲み会だから多分帰り遅くなるよって言ってあるから」
 
 嘘。

 いつもみたいに終電までには帰るって言って出てきた。きっと怒られるだろうな。でも怒られたっていいや。

「ならいいけど。そしたら多分今日はちぃが最後のお客さんだから家まで送るよ」
「いいの!?」

 予想もしていなかった出来事に、涼君の声に私の声が被さった。二人だけの店内で出すには大きすぎる私の声に涼君は少し驚いていたが、目を細めながら「おう」と返事をした。
「じゃあ、時間気にしなくていいな。何にしますかお嬢さん」
「いつもので!」
 「おっけー」と言いながら涼君がドリンクを作り始めた。「いつもので」なんて言ったが、毎回涼君が私の好みに合わせて作っているだけで実際は毎回違うドリンクが出てくる。ただ私が「いつもので」と言いたいだけでそれに涼君が付き合ってくれているだけだ。
涼君がそんな遊びに付き合ってくれるのが嬉しくて顔がいつもにやける。そんな顔でドリンクを作る涼君を見ているとスマホには大量のメッセージが送られていた。慌てて確認すると予想通りメッセージの送り主はお母さんだった。
 急いで返信しようとフリック入力している途中でスマホが小刻みに震えた。お母さんから電話がかかってきたのだ。
 絶対怒られる。いや、連絡しなかった私が百パーセント悪いんだけど。あらかじめ連絡しとけばきっと大丈夫だったんだろうけどもう遅い。
 はぁとため息を一度ついてから電話に出る。
「……もしもーーーー」
「千夏! あんた今どこにいるの! 遅くなるならなるでちゃんと連絡しなさい!」

 お母さんの声が私の声を遮る。スピーカーにしていないのにお母さんの声が店内に響き渡った。
「ごめん。ちょっと寄り道してて。迎えは大丈夫だから先寝てて」
「迎えは大丈夫って、あんたこんな時間に女の子が一人で帰ってくるんじゃないわよね?」
「タクシーで帰るからだいじょーーーー」
 スマホがするりと手から引き抜かれ、顔を上げると涼君が私のスマホを持っていた。
「おばさんお久しぶりです。涼太です。今ちぃが僕の店に寄ってくれて久しぶりだったものでつい僕が引き止めちゃって」
「あら、涼君? 久しぶりね! 元気? ごめんね、千夏が迷惑かけて」
 私と話している時とは別人の様にお母さんの声がワントーン高くなり口調が柔らかくなった。
「迷惑だなんて全然。むしろ久しぶりに会えて嬉しかったです。ちぃのことはちゃんと家まで送るのでもう少しだけお借りしてもいいですか?」
「あら、貸すのは全然いいんだけど涼君に悪いわ。海に迎えに行かせるから大丈夫よ」
「方向は同じなんで大丈夫ですよ」
 涼君はお母さんと少し話してから電話を切りスマホを返してくれた。
「ちぃ、おばさんに連絡してないだろ」
「……ごめんなさい」
「ちゃんと連絡しなね。特に夜遅くなる時は」
「……はい」
 せっかく久しぶりに会ったのに迷惑をかけてしまったし、かっこ悪いところを見せてしまった。
 注意されてしゅんとなっている私の姿を見て涼君は小さくため息をついた。
「怒ってないよ。ほら【いつもの】」
 目の前にピンク色のカクテルが置かれた。今日は炭酸が入っている様でしゅわしゅわとグラスの中で音を立てている。
「それ飲んだら帰るぞ」
「はーい」
 まだ帰りたくなくて、涼君と一緒にいたくて、できるだけゆっくりカクテルを飲んだ。




 店の戸締りを終え外に出ると、店内との温度差に体が震えた。三月下旬と言っても流石に夜中は冷える。それは涼君も同じ様で「さむ」といいながら上着のチャックを上まで上げフードを被っていた。
「寒いからタクるか」
「えー、せっかくだから散歩しようよ」
 もうちょっと一緒にいたい。しばらく会えなくなってしまうから。
「歩けなくはない距離だけど一時間ぐらい歩くよ。いいの?」
「いいの!」
 「はいはい」と言いながら涼君は歩いて帰ることに賛成してくれた。
 今夜は雲一つなく満月が私たちの帰り道を照らしてくれていた。
「こんな時間だともう誰も歩いてる人いないな」
 この道は中学校の通学路なため朝と夕方は学生で溢れている。私たちの母校だ。
 流石にこんな深夜では電気がついている教室は一つもなく、真っ暗だった。私が歩いて帰りたかったのはこの道を涼君と一緒に歩きたかったこともある。
「一緒に歩くの初めてだよね」
「そうだな。ちぃが入学する頃には俺と海は卒業してたしな」

 本当は同じ制服を着て一緒に歩きたかった。
 学年が違ってでもいいから一緒に学校生活を送りたかった。
 体育祭で走ってる姿とか見たかった。
 一緒に同じ学校に通うのが夢だった。
 
 中学生でもないし時間もこんな深夜だけど、一緒に学校から帰るという夢は今叶った。
 きっと涼君は私の考えなんて知らない。本当はタクシーで帰りたかったかもしれない。
 でも、今日だけは付き合ってください。
 嫌な顔しないで付き合ってくれてありがとう。
「どしたの?」
 横目でチラチラ見てたのバレてしまった。
「なんでもないよ」
「本当にー?」
「本当!」
 ここで素直になれたらいいのになかなか素直になれない自分がいる。
「お、自販機あんじゃん。あったかいの飲もうぜ。ちぃ何がいい?」
 自販機を見つけて小走りで涼君が近づく。
「さっきたくさん飲んだから大丈夫」
 「そう?」と言いながら涼君はホットレモンを買った。
「あぁー、あったまる」
 ホットレモンで手を温めながら涼君がおじさんみたいな声を出した。
「涼君おじさんみたいだよ」と笑いながら言うと、「もうおじさんだよ」と涼君も笑いながら答えた。
「だって俺もう二十六だよ? 今年二十七か。ちぃと四つも違うんだよな。もう立派なアラサーだよ」
 四つ「も」違うか。涼君の中でも四つという年の差は大きいみたいだった。
 「ほれ!」と涼君が私の頬にホットレモンを当てた。じんわりと頬が温かくなる。
「あったかーい」
「だろ? 手もあったまった」
 そう言って涼君の大きな手が私の手を包み込んだ。冷え切った私の手に涼君の体温が伝わる。涼君の手は私が知っている手より二回りくらい大きくなっていて、ゴツゴツしていて、でも昔と変わらず安心する手だ。
 私の手から離れそうになる大きな手をぐっと握った。
「寒いからちょっと手を繋いでてもいい?」
 勇気を出して言った。
 引かれたかな……。
 気持ち悪いって思われたかな……。
 でも、もうちょっとだけ手を繋いでいたい。
「やっぱ寒い? ホットレモンあげようか?」
「違うそうじゃなくて! 涼君の手がいいの……」
 気温は寒いのに顔が熱くなる。顔も赤くなっていてもう熱いのか寒いのか分からない。
「別にいいけど、俺の手でいいの?」
 言葉の変わりに首を大きく縦に振り答えた。
 涼君の体温と手を繋げて嬉しい気持ちと恥ずかしさで自分の手が温かくなるのが分かった。きっともう手は十分に温まっただろう。でも離したくない。
 涼君も気付いていない様だしこのまま手を繋いだまま歩く。
「なんか昔を思い出すな。海に泣かされたちぃの手をよく繋いだな」
「あれはお兄ちゃんがいじめるから……」
「なんだかんだちぃのこと大好きなんだ海はさ。大事な妹なんだよ。海にとっても俺にとっても」

 大事な「妹」ーーーー。

 涼君がそう思っているのは分かっていたが、胸に棘が刺さった様にチクりとした。
 パッと繋いでいた手が離れ立ち止まり、涼君が少し前に行く。

「……私、涼君の妹じゃないよ」
「え? あぁ、海の妹だもんな」

 ……違う。そうだけど違う。

「……そうじゃなくて」

 私のことちょっとは意識してほしい。
 
 そう言いたかったけど言えなかった。
 月明かりで照らされた涼君の顔が、「それ以上は言わないで」って言っていたから。さっきまで楽しく笑っていた顔が今は困った様に笑っていた。

 きっと涼君も私の気持ちを知っていたんだと思う。何となく私も気付いていた。

 言葉として伝えられなくても分かる。
 涼君にとって私はいつまでたっても子供で妹であり、大人や彼女にはなれないって。

 言わないでいてくれるのは涼君なりの優しさなんだと思う。
 でもその優しさが私には少し切ない。

 「ほら、帰るよ」と言いながら差し伸べられた手を握り、私達はまた歩き出した。
 お互い何も話さずただ静かな時間だけが流れる。
 気付けば家の近くまで歩いており、慣れ親しんだ道を涼君と二人で歩く。

 良くも悪くも昔と関係は変わらない。

 私の家がもう目の前にあり、一時間程歩いていたはずなのにとても短く感じた。
「意外と早かったな」
 涼君も同じことを考えてたらしい。

「ちぃ、元気でな。帰って来たらまた店においで」
 家の前にたどり着き、私の手から離れそうになる手を私は掴んだ。驚いた顔で涼君が私を見る。私も自分で掴んでおきながら驚いていた。
 でも、この手を離したくなかったんだと思う。

「次会う時、私はもう学生じゃなくて社会人になってるね」
「そうだね」

 涼君とはどうせしばらくは会うことはない。
 だから、多少気まずく終わったって大丈夫……って思いたい。 

 だから私、勇気を出せ!

「……そしたら私のことちゃんと大人として見てくれる?」

 視線を上に向けて涼君はどう答えようと考えていた。
 最後の最後で困らせてしまったかなと少し後悔したが、このまま何も言わずに別れるのも嫌だった。

「……分かった」

 数分が、困った顔をしながら涼君はそう答えてくれた。

「絶対だよ! 私も仕事頑張るから! いい女になって帰ってくるね!」
「いい女って……。十分今でも可愛いから大丈夫だよ」

 「いい女」というワードがツボに入った様で涼君が声を出しながら笑う。笑い声が静かな夜に響き渡り、慌ててお互いに人差し指を口に当てた。お互いにその姿を見合ってはまた静かに笑った。

「じゃあな。元気で」
「涼君もね」

 「おう」と言いながら手を振って涼君は帰って行った。その姿が見えなくなるまで見送ってから家に入る。
 自分の部屋のベッドで横になり、さっきまで涼君と繋いでいた右手を見た。
 まだ涼君の体温が残っている様な気がした。

 ちょっとは前進できたかな。
 今日はよく眠れる気がする。

 次会う時までに絶対もっと綺麗になって、仕事もバリバリこなして、メイクも服装も大人っぽくして驚かせてやる。

 もう子供じゃないって思わせてやる!
 
 涼君の方から振り向いてくれるくらい見た目も中身も変わりたい。

 早く大人になりたい。