東京郊外の団地街。まだ春の匂いが残る風が、洗濯物の間をすり抜けていく。蓮(れん)はランドセルの肩紐を直しながら、団地と通学路の境目にある小さな坂道を登っていた。

幼稚園から小学校への進学。靴も、ノートも、クレヨンも新しいが、蓮の右手にあるひとつだけは特別に古びていた。祖父から譲り受けた車掌の帽子に付いていた銀色のバッジ——「安全第一」と微かに読める刻印がある。このバッジは、祖父が国鉄時代に使っていたものだったという。

蓮はこのバッジをポケットから取り出し、目の高さに掲げてみる。そこには傷があり、凹みがあり、それでも何かを守った証のような輝きがあった。「これをつけた人は、毎日何百人の人を運んでたんだ」と思うと、胸の奥がひんやりと熱くなる。

坂道を登りきると、校門が見える。春の光が差すその先には、新しい世界が待っている。でも蓮は、その世界に入る前にバッジをポケットに戻し、心の中で小さくつぶやいた。 「僕の始発駅は、きっとここなんだ」