「#隕石落下って検索してみろよ!いまトレンド入りしてるんだぜ」
「それ私も知ってる〜。二十日に隕石落ちるって噂でしょ?まじで落ちたらどうしようね〜」
「ばーか、落ちるわけないじゃん。ノストラ……なんだっけ?世界滅亡唱えてたやついたけど、結局滅亡してねぇし」
三月十九日、大衆居酒屋のお座敷で、私は目の前で繰り広げられてる会話をただ笑って聞いていた。
先週、私たちは無事に大学を卒業した。四月から社会人。社会人と学生の狭間にいる貴重な時に、私たちは卒業祝いとしてゼミの飲み会を開いている。
ふやけてしなしなになったフライドポテトを箸で掴んだ。お風呂に長いこと入っていたせいでふやけてしまった指みたい。
でもまだ浸かっていたい。大学生っていう責任も伴わないぬるいお湯に。こんなことを思っているのは、多分私だけじゃない。
「ねぇ、小夜もそう思うでしょ?落ちてほしくないよね?隕石」
ピンクベージュだった髪をすっかり黒色に戻して、お酒のせいで赤くなった頬をあげて笑っている。
そんな友達の質問に、私はポテトを口に運んでから答えた。
「そうだね。落ちたら終わっちゃう」
「だよねー。皆んなは今日が最後の一日だとしたらなにしたい?」
三月二十日、この地球に隕石が落ちてくるらしい。有名な誰々が百年前から予言してるとか、軌道から逸れた岩石がどうとか、雲の形がどうとか、今SNSではそういった話でもちきりだ。
本気で信じてる人半分、笑い話にしている人半分。この地球がどうなるかは、明日にならないとわからない。
私は残り少ないハイボールを喉に流し込んだ。
「───三次会カラオケだって〜。小夜も行く?」
「ううん、ギリ終電間に合いそうだから帰るよ」
「えーっ、残念。社会人になってもまた飲もうね?土日休みの会社でしょ?」
「うん。また連絡するね」
居酒屋の前で手を振って、駅へと向かう最中も、私の頭には隕石落下の文字がいた。
正直言うと、隕石が落ちようが落ちまいが、どっちでも良かった。
私は、わたしでいることに、ほんの少しだけ絶望していた。
もうすっかり日付は変わってしまっていた。三月二十日、隕石落下が噂されている当日。
今この瞬間に落ちてきたっておかしくない。でも、空を見上げてみても、それらしいものは見当たらない。
早歩きで改札を通って、ホームへと続く階段をのぼっていく。
最終電車まであと二分。ギリギリ間に合ってよかった。
最後の一段をのぼり切った時、桜の花びらがホームに落ちていることに気づいた。
駅前の桜並木のものかな。こんなところまで風で飛ばされてきちゃったのか。
一枚、二枚……あ、あそこに三枚目───
「……春田くん?」
花びらの先にはホームのベンチ。
足を組んで座っていたのは、同じゼミ生の春田くんだった。
私の声に、春田くんがスマホから顔をあげる。「おー」って、こっちの気が抜けるようなゆるい声。
地毛だという焦茶の髪、少し白い肌。目尻の垂れた一重。
「小夜ちゃん」
春田くんは、いつも柔らかく笑う。
学部も学科も同じで、ゼミも同じ。だけど、私は春田くんとは特別親しいわけじゃなかった。
グループ課題が一緒になったことはあるけど、本当にそれだけ。
ただ、特別親しくはなかったけど、私にとって春田くんは、ほんの少しだけ特別だった。
「三次会、行くのかと思ってた」
「俺カラオケ苦手。歌下手なんだよ」
「そうなんだ」
「小夜ちゃんもこっち方面?一緒に駅まで行けばよかったな」
「知らなかったわー」と、そう言いながら立ち上がる春田くん。私の隣に並んで、線路の先を覗き込むようにして電車が来るのを待っている。
……多分、春田くんと顔を合わせるのはこれが最後だと思う。もう大学を卒業してしまったし、ゼミもない。今さらプライベートで会う関係でもないし。
少し寂しいな、と思っていたら、最終電車がホームに流れ込んできた。
扉が開く。春田くんが吸い込まれていく。私は、なぜか居酒屋での会話を思い出していた。
『───今日が最後の一日だとしたら、なにしたい?』
……最後に、したいこと。
ちらり、明るい車内にいる春田くんに視線を移す。
春田くんとは、親しい関係じゃない。必要があれば話すくらいの関係で、私が勝手に特別に思っているだけ。
今日の飲み会だって別々の卓だったし、話しかけるだなんて頭の中にはなかった。
ただ、わがままを言っていいのであれば、私は、最後に春田くんと話がしたい。
だって、こんなタイミングで会うだなんて、何かの兆しみたいに思えてしまう。
地球最後の日、かもしれない状況が、私を大胆な思考へ導いているみたいだった。
発車ベルの音が静かなホームに響いた。びくりと体が強張る。私の口は、緊張のためか思うように動かない。
春田くんがホームに立ったままの私を不思議そうな顔で見てる。ほら、何してるの私。早くしないと扉が閉まっ───
「どうしたよ」
息を吸い込むかのように閉まった扉。ゆっくりと動き出す最終電車。扉が閉まる直前、ホームに戻ってきた春田くんは、私の顔を覗き込んできた。
「あ……電車、いいの……?」
「それねー。無くなっちゃったね、電車」
「とりあえず駅出よーぜ」なんて、軽い調子で階段をおりていく春田くんを慌てて追いかける。
繁華街でもあるここは、終電がなくなったからといってすぐに暗くなるわけじゃない。
居酒屋は駅前にたくさんあるし、ファミレスだって二十四時間営業してる。
でも、春田くんの帰る手段を一つ奪ってしまった。申し訳ないな……せめてタクシー代は払わせてほしい。
「タクシー呼ぶよ。ごめんね、私がさっさと電車乗らないから」
「高いからいいよ。それよりどうした?なんかあった?」
面倒な顔の一つでもしてくれればいいのに、春田くんはいつもと変わらない。私たち、ただの同じゼミ生なだけなのに。こんな私にも春田くんはゆるくて、あたたかい。
「……あの、大したことじゃないんだけど」
「うん」
「話がしたくて。その、春田くんと……」
もう会えないかもしれないし……と、小さく続ける。って、こんな言い方したら変な意味に聞こえちゃう?ちがうよ、春田くん。私は単純に、純粋に話がしたいというか……!
慌てる私とは正反対に、春田くんはケロッとしてた。考える間もなく頷いて、「いいよ」っていつものゆるい口調で言う。
「桜並木のとこ歩こーぜ。夜桜見たい」
……春田くんは、最初から不思議な人だった。
特別親しくもない私の謎の誘いにも簡単に乗るし、図書館で動物図鑑を熱心に読んでたこともあったし、軽音サークルに突然乗り込んでちゃっかりベースを教わってたこともあった。かと思えば電池が切れたみたいに静かになる時もあって。
成績優秀だけど、うたた寝もしょっちゅう。
春田くんを一言で表すなら「自由」だ。
やりたいことをやりたいように、周りの目なんて気にしない。
私は、そんな春田くんみたいになりたかった。自分のままでいる春田くんに密かに憧れてた。
「意外と咲いてるんだね、桜」
「だな」
コンビニで飲み物を買った。
春の夜はまだ冷える。私は温かいコーヒーをちびちび飲んでいて、春田くんはペットボトルの水を片手に桜を見上げてた。
春田くんは、桜がよく似合う。
「知ってる?隕石落下の噂」
「あー。なんか言ってたな」
「落ちてきたらどうしようね」
「したらもう仕方ねぇよなー」
はは、と笑う春田くん。
未練もなにもなさそうで、軽い。春田くんらしいなって思う。
「ここずっと歩いてったら隣駅に着くけど、どうする?」
「どうするって?」
「始発出るまで俺と散歩するか、どっか店入るか」
春田くんと一緒にいたら、身も心も重力をなくして軽くなりそうな気がした。
今抱えている不安とか、悩みとか。そういうものにももれなく羽が生えて、私ごと空に浮かびそうな、そんな気がした。
「散歩しよう。線路に沿って歩くの」
「いいじゃん。行けるとこまで行こうぜ」
地図は見なかった。線路を横目に、こっちかなあっちかなって、春田くんと行き先を決めながら歩いた。
春田くんは身軽だった。スマホと、カードケースをポケットに入れてるだけだった。
何かあった時のことが不安で、自然と荷物が多くなってしまう私とは正反対。
「鞄持とうか。持ったまま歩くの疲れるだろ」
「えっ、いいよ大丈夫。重いし」
「重いんじゃん。貸してみ」
いつも使っている黒のハンドバッグが春田くんの手に渡る。「うわ。おもー」って可笑しそうに言う春田くんに少し恥ずかしくなる。
「モバイルバッテリーとかポーチとか色々入ってるんだよ。現金も持ち歩いてるし……」
「こんな持ってたら疲れちゃうでしょ」
「だって、いざって時に必要になるかもしれないじゃん」
春田くんは私の鞄を持ったまま、なんてことないように言った。「意外といらないものばっかだよ」って。
いつの間にか繁華街を抜けて、辺りは静けさに包まれていた。淡い街灯の光が等間隔に並んでいて、道路は無人。横断歩道の白線がぼんやりと浮かんでいる。
「春田くんのお家ってどこなの?一人暮らし?」
「俺のはねー、大学のほうにある。一人暮らし。掃除得意」
「掃除得意なんだ……意外」
「小夜ちゃんは」
今日で終わりかもしれないのにまるで初対面の会話。それでもよかった。春田くんをもっと知ってから手を振りたい。
二人分の足音がよく聞こえた。
そのことがなぜかちょっとだけ嬉しくて。
「私も一人暮らし。家は大学のもっと奥のほう。料理得意」
「いいねー」って、春田くんが笑う。
春田くんが笑ってくれると、いいねって言ってくれると、私の胸のところがじんわり暖かくなる。
これは、私だけの秘密。
途中、またコンビニに入った。
「腹減った。きゅーけい」と言った春田くんが買ったのはカップ麺だった。
コンビニの明かりを背中に、ガードパイプに並んで腰掛ける。ぺりぺり蓋を開ける春田くんの指は細長く骨張っていた。
「食べる?」
「たべ……いやでも、うーん……やめとこうかな……」
「はは。なに、いいの?」
「うん……塩分過多で浮腫みそう」
これでも一応女の子であって。次の日のコンディションを気にしてしまうのは仕方ないというか。
容姿が抜群にいいわけでもないし、誰かに惹かれるような魅力もない。
ごくごく普通の、どこにでもいるような大学生の私は、清潔感と愛想にプラスして、今のレベルから落ちない努力をしないといけない。
だから食べないの。ごめんね、春田くん。
「ふぅん」と相槌を打って、ずるずると麺をすする。深夜のコンビニと、カップ麺を食べる春田くん。普通ならただの日常のワンシーンだけど、登場人物が春田くんってだけで、なにか特別なものを感じてしまう。
おもむろに立ち上がって、私は春田くんの真正面へと移動した。
お店の明かりを背中に受ける春田くんは、まるで後光がさしてるみたい。
ちょっと笑っちゃう。春田くんはこんなところでも特別。
春田くんが私を見た。髪の色と同じ焦茶の瞳に私を映して、「なに」って笑う。「なんでもないよ」って答えたら「なんだよ」って。
私は、春田くんと何気ないやり取りをしていることが嬉しかった。
夜なのに、優しい陽の光に包まれているみたいだった。
「小夜ちゃん、食べる?カップ麺」
「え、でも、」
「たまにはいーでしょ。先の自分に放り投げるのも」
お腹の音が鳴った。私もそう思うって、私の体が答えているみたいだった。
春田くんの笑い声が私たちを包む。「ん」と渡されたプラスチックの容器はじんわり温かった。
……私は、いつも何かにしがみついている気がする。何にしがみついているのかはわからない。でも、両腕が痺れるくらいには、強くつよく、しがみついているんだと思う。
一人になりたくなくて人に合わせた。波風立てたくなくて自分の意見は押し通さないようにした。
良い子、だけど、面白くない子。
それが、今まで生きてきた時間に作り上げたわたし。
ただの良い子の私は、社会ではあまり必要とされていないらしい。就活中に受信したお祈りメールを思い出す。
わたしのまま特別になりたいと、何度も思った。
何かになりたい。替えの効かない存在に。
「春田くんは、春田くんでいてね」
前髪をきっちりわけて、長い髪の毛は一つに結んだ。黒のリクルートスーツを着て、履きなれないパンプスでオフィス街を歩いた。
わたしのままじゃ誰も必要としてくれないから、ちょっと演じた。自己PRは話を盛った。嘘もついた。
わたしじゃない私で、初めて内定までこぎつけた。
嬉しいはずなのに、なんだか悲しかった。
私は、わたしを手放した。奪われたんじゃなくて、自分から差し出した。それが悔しくて、悲しかった。
「美味しいね、これ」
ず、と細い麺を啜った。じんわり目の奥が熱くなったから、紛らわせるために麺を啜った。
隕石が落ちてきたってよかった。リセットできるんなら、そうしたいとさえ思った。
春田くんは、そうした私の気持ちをふわっと軽くしてくれるような人だった。
だから、私は電車を逃したの。最後になるかもしれないのなら、私は春田くんと話がしたかった。
「小夜ちゃん、泣いてんの?」
「……うん?泣いてないよ」
顔はあげなかった。なんだか全部見透かされそうな気がしたから。春田くんがこっちを見ているのがわかる。どんな顔してるんだろう。春田くんのことだから、そんなに表情は変わってないんだと思うけど。
「……あれだね。小夜ちゃんの持ってるもの、俺が代わりに持ってやれたらいいのにね」
耳に丸く響く春田くんの声が、深夜の空気に溶けていく。顔を上げたら、春田くんはただじっと私のことを見ていた。
「したら、小夜ちゃんはいざって時を考えなくていいし、深夜のカップ麺も食べ放題なのにね」
なんて、真面目な顔で言うから、ちょっと可笑しかった。「……ふふ」っていう自分の笑い声が、味の濃いスープにぽちゃんと落ちた。
コンビニでゴミを捨てて、私たちはまた深夜の道を歩き始める。春田くんとあとどのくらい一緒にいれるんだろう。現実に戻りたくなくて、スマホは開かなかった。
「私、春田くんみたいになりたいなぁって思ってたの」
「なにそれ。変なこと言うね」
隣を歩く春田くんは、首を傾げて眉を寄せた。変なことだなんて。そんなことないのに。
どんな時でも自分のまま、自由に生きている春田くんは私の憧れなんだよ。
身軽で、ゆるくて、暖かみもあって。
特別になろうと思っているわけじゃないだろうに、気づいたら誰かの特別な存在になっている。
いいなぁって春田くんに手を伸ばす人は、きっと私以外にもたくさんいるんだと思う。
「春田くんには、引力があるんだよ。無自覚に人を惹きつけるの」って、そう言いながら春田くんを見上げる。彼はちらりと瞳を動かして私を見ながら、「どうだろうね」と言った。その声は、やっぱり私の耳に丸く柔らかく届いた。
いつの間にか、街中のトーンが上がっていた。空は瑠璃色に色を変えている。春田くんと一緒にいられる時間は、きっともう残り少ないんだろう。
隕石は落ちるだろうか。
それらしいものは、やっぱり見当たらない。
「───!」
そんなことを考えていたら、突然肩を抱き寄せられた。もちろん、春田くんに。
ド、と体の内側から大きな音が鳴って、それと同時に、私たちの横を新聞配達のバイクが通り過ぎていった。
「もうそんな時間か」なんて、呟くような春田くんの声を、私は彼の胸の中で聞いてた。
「あ。ごめん、触った。危なかったからつい」
私から離れる春田くんに首を振る。その時になって、無意識に息を止めていたことに気づいた。
息を大きく吸って、吐いて。心臓を落ち着かせる。びっくりした。……でも、嫌じゃなかった。
春田くんは、自分の手のひらをじっと見てた。どうしたんだろう……そんなことをされると、ちょっと心配になる。
「さっきの、引力の話」
「あ、うん、なに?」
「小夜ちゃんにもあると思う。引力ってやつ。俺だけ特別なわけじゃない」
「え……」
「でないと、俺ここに立ってないよ」
春田くんは笑った。手のひらでくしゃくしゃっと私の頭を撫でて、「行こーぜ」って、先を歩いた。
なんだか、胸がいっぱいだった。噛み締める。この温もりを。
遠くの方に駅があるのが見える。たぶん、あそこが私たちの終着駅だ。
私はまだ春田くんと一緒にいたかった。
春田くんと一緒なら、どんなに歩いてもへっちゃらだから。靴擦れなんてきっと起きないし、眠くもならないし、疲れも感じない。
ずっと続けばいい。春田くんと並んで歩いて、些細な会話をする。そんな時間が、この先もずっと───。
「これ返す」
春田くんは私の鞄をずっと持ってくれていた。返してもらったそれは、いつもよりずっしりと感じて。なくなったと思っていた重力が、私の体にまとわりついたような気がする。
息を、小さく吐いた。
永遠を願ったって、時間は過ぎていく。春田くんも、春田くんの道を歩いていく。私は、これから先、一人で歩かないといけない。できるだろうか。この私に。
「───小夜ちゃんは俺にならなくていいよ」
その声に、無意識に俯かせていた顔をあげた。
まだ電車の走らない踏切の前。足を止めて、後ろにいた私を振り返った春田くんは、いつも通りの春田くんだった。
「……ていうか、誰かになるのは、たぶん無理。小夜ちゃんは俺になれないし、俺も小夜ちゃんになれない」
「願ったって叶わないから、やめちゃいな」と、春田くんは言った。
一文字一文字に、気持ちを込めているみたいだった。
「今持ってるもので俺たち生きてくしかないんだよ」
……春田くんの向こう側。東の空が少しずつ光を帯びていく。
春田くんは、この夜の間、私のことを照らしてくれていた。でも明るく照らしてくれる分、私の背中には暗い影が浮かんでいったような気もしていた。
ねぇ春田くん。私、本当に大丈夫かな。やっぱり自信がないの。いざ一人で新しい朝を迎えようとすると、怖いの。
「小夜ちゃん」
私の名前を呼ぶ声。
俺の言うことちゃんと聞いてねって、まるでそう言われてるような気がした。
「俺ね、小夜ちゃんのその声が好き」
冷たい風が、私たちの髪を小さく揺らした。春田くんは微かにに笑ってた。私の好きな、柔らかい笑顔だった。
「グループ課題一緒だった時から思ってた」と、昔のことを思い出すように春田くんは目を伏せる。
「自分の言葉で話そうとする時だけ力んでて、ちょっと震えてんの。
……あー、この子、そういうの怖いんだなって思った。でも俺らに必死で伝えようとしてて、体のさ、底のとこから思ったわけ。ちゃんと聞いてあげたいなって」
「……」
「で、聞いたらさ。やっぱ良かったんだよね。小夜ちゃんの言葉。なんかまっすぐで」
春田くんは、私のことを真っ直ぐに見ていた。
思えば最初から、ずっとそうだった。課題が同じだった時も、そうじゃない時も、私の目を見て、私の話を聞いてくれていた。
春田くん、春田くん、はるたくん。
「……終電逃した時、たぶん俺、最後に話すなら小夜ちゃんがいいって思ったんだよ」
カンカンと、踏切が第一声を放った。遮断機がゆっくりと降りてくる。いよいよこの夜が終わりを迎えようとしていた。
春田くんの言葉には、固く結ばれた紐がふっと緩むような力がある。解かれることはないけれど、びくともしない結び目に、ほんの少しの余裕が生まれる。
私をわたしのまま肯定してくれる春田くんに、大丈夫だよと伝えてくれる春田くんに、泣きそうになった。
少しの余裕で、十分だった。
それだけで、踏ん張れると思った。
「春田くん、」
「うん」
「"がんばれ"って、言ってほしい……」
そうしたら、私はわたしのまま、この先も歩けると思うの。
───踏切の音、赤い信号、白んでいる東の空。私の目の前には、春田くん。私の特別で、憧れで、好きな人。
彼の背後で、電車が勢いよく流れ込んできた。ゆっくりと大きく口を開く春田くんに、胸が熱くなる。
「────小夜ちゃん!」
……私に引力があるなら、隕石を引っ張ってこれるだろうか。この地球を滅亡させることができるだろうか。
でも、隕石のように大きな存在を引き寄せられなくてもいいと思った。見向きもされなくてもいいと思った。
あの時、春田くんが、最終電車から降りてきてくれた。それだけで、私は救われる。
隕石が落ちようが落ちまいが、どっちでも良かった。
ただ、この先のいつかの未来で、もう一度春田くんと一緒に、朝を迎えたいと思った。
確かに聞こえたあなたの声に、新しい世界がきらりと淡く光った気がした。



