歩道に響くヒールの音だけが、自分の存在を知らせていた。 繁華街のネオンから一歩外れた横道は、金曜の深夜にもかかわらず驚くほど静かだ。ふと、街灯に照らされた細い路地の先に、緑の気配が見えた。公園だ。

ここを通るのは、きっと初めてだ。いや、もしかしたら大学生の頃、一度だけ誰かと来たかもしれない。そんな曖昧な記憶を辿りながら、楓は足を踏み入れた。

ベンチがいくつか並び、そのうちの一つに人影があった。 顔は見えなかったが、座り方にどこか懐かしさを感じた。

通り過ぎようとしたそのとき——

「……佐伯、さん?」

まるで録音した声を再生されたかのように、彼女の名が呼ばれた。 振り向くと、フードを被った男性が立ち上がり、照れくさそうに手を振っていた。

「えっ、……飯田?」

たしかに、あの頃の面影が残っていた。 大学時代、広告サークルで同じ部署に所属し、2年間付き合った相手。別れてからは一度も連絡を取っていなかった。

「こんなとこで会うとか、ドラマかよ。元気だった?」

その言葉に、楓は乾いた笑みを浮かべた。 懐かしさもある。でもそれ以上に、自分の“いま”を見られることへの気恥ずかしさが勝っていた。

「うん……まぁ、なんとか。そっちは?」

「仕事帰り。飲み会、二次会まで付き合ったら終電逃してさ。これ飲んでた」

彼が手にしていたのは、コンビニの缶チューハイ。横のビニール袋には、おつまみと、まだ開けていない唐揚げ棒。

「佐伯は? 家、遠かったっけ?」

「三駅くらい。でもタク代ケチって歩こうかと思って……なんか、気分も落ちてたし」

「気分が落ちてた時は、からあげ棒だな」

唐突な言葉に、思わず吹き出した。

「変わってないね。……ありがとう」

公園のベンチに並んで座ったとき、彼がふわりと笑った。

「夜ってさ、言葉がぽろっと出るよね。不思議と」

「うん……昼間だと、見栄とか強がりとか、いろいろ先に立っちゃう」

そして始まった、午前1時の会話。 互いの仕事、近況、共通の友人の結婚報告——話題はいくらでも湧いた。

やがて、沈黙が流れる。ふたりとも、それを崩そうとしなかった。 ベンチの背もたれから空を仰ぎ、湿った風が髪をなでた。

「佐伯さ……いや、かえでって、今も広告の仕事?」

不意に、名前を呼び捨てにされて、楓の胸が小さく波打った。

「うん。相変わらずプレゼン地獄だけど、なんとか」

「俺さ、好きなこと仕事にしたはずなのに、最近じゃ“数字と効率”の板挟みばっかでさ。……たまに本気で辞めたくなる」

それを聞いた彼女は、静かに笑った。

「わかる。“やりたいこと”だったはずのものが、いつの間にか“やらなきゃいけないこと”に変わってく感覚、あるよね」

言葉は少しずつ深くなり、記憶の奥にしまっていた感情がじわじわと顔を出してきた。 そして2人の間に、大学時代のあの頃の温度が、静かに流れはじめていた。