「……でもさ、兄ちゃんたちは、どうしておれたちが此処にいるって分かったんだ?」

 雫音に背を優しく撫でられて気持ちも落ち着いてきたのか、先に泣き止んだフィシが、そばに立っている千蔭たちを見上げて尋ねる。
 山賊たちが通っていた道は屋敷内の庭の奥まった場所だったので、不思議に思ったのだろう。

「それは、誰かさんが印を残してくれていたおかげだよ」

 千蔭が手にしていたのは、微かな淡い光を発している苔。ヒカリゴケだ。
 実は雫音は、護身術を習得中に武器を選んでいた際、千蔭が採取していたヒカリゴケを貰っていた。雫音は懐に忍ばせていたヒカリゴケを握りしめて、地面に少しずつ落としてきたのだ。

 ヒカリゴケは、夜間に軽い衝撃を与えると、淡く光る性質を持っている。これを利用して、仲間の誰かしらに場所を知らせることが出来たらと考えたのだ。
 天寧は、雫音がヒカリゴケを所持していることを知っている。そう遠くには行っていないだろう天寧に向けてのメッセージのつもりだったのだが、まさか千蔭が駆けつけてくれるとは思わなかった。

「――フィシ、雫音! 二人共無事か!?」

 焦り声で駆けてきたシルヴァは、座り込んだままの雫音とフィシが抱きしめ合っている姿を見て、安堵の息を漏らす。
 夜襲を仕掛けてきた山賊たちは、大きな被害もなく屋敷の外で制圧できたようだ。しかし何人かが屋敷内に紛れこんでしまったようで、その内の二人と運悪く、雫音たちは出くわしてしまったようだった。

「雫音。泣いているようだが、どこか痛むのか?」

 シルヴァは、ぼろぼろと泣き続けている雫音に気づいて、憂わしげな目を向ける。
 雫音は慌てて首を横に振った。

「ち、違うんです。その、泣くのが久しぶり過ぎて、止まらなくなってしまったといいますか……! 涙の止め方が、分からなくて」

 泣き止もうと思っても、雫音の意思とは関係なく涙があふれてくる。制御できない。
 藤霧の巫女から、如何なる時も心を落ち着かせて、平常心を保てるようにと言われていたのに……。

 雫音は必死に目元をこする。しかしその手を掴まれてしまった。

「そんなにこすったら、目が痛むよ」
「す、すみません。でも……」
「別に泣いたっていいでしょ。むしろアンタは我慢しすぎなんだよ。泣ける時にいっぱい泣いておきな」

 千蔭は、雫音の頬を伝う涙を指先で拭った。
 千蔭が甘やかすようなことを言ってくれるから、ますます涙が止まらなくなってしまう。

「や、やめてくださいよ……優しくされると、もっと泣いちゃいます、から……」
「……やだ。アンタの泣き顔なんて、早々見れそうにないしね。この機会に、もっと甘やかしてあげようかな」

 しかし千蔭は意地悪げな顔で笑って、雫音の頬に添えていた手を頭上にのせる。

「雫音ちゃん。本当に、よく頑張ったね。」

 ――今、千蔭に、はじめて名を呼ばれた。
 それだけで、雫音の胸は幸福で満たされる。

 まるで子どもをあやすように頭を撫でられて、雫音はそっと瞳を閉じる。
 瞼の裏で、星がまたたいたような気がした。その拍子に、まなじりから堪えきれなかった涙がひとすじ零れる。

 そっと目を開けて、目の前にいる美しい人の顔を、じっと見つめる。

(……私、千蔭さんのことが好きだ)

 そのことに気づけば、じわりと胸の辺りがあたたかくなる。
 こんな感情を自分が抱くことになるなんて、想像もしていなかった。

 今思い出しても、千蔭との出会いは最悪だった。
 自分を本気で殺そうとしてきた相手だ。雫音を見るまなざしは冷たくて、笑顔の裏に本当の感情を隠している、捉えどころのない人。とても残忍な人なのだろうと、そう思っていた。

 だけど、その優しさに触れて――いつからだろうか。
 この人のそばにいると、安心すると思うようになったのは。

 もっと一緒にいたいと。
 そう、望むようになっていたのだ。