「大地に恵みの雨降れば わたしは死にたくなるでしょう 雨が嫌いなわたしだけど きみの目から零るる涙を 宝石のようだと思ったから 触れてみたいと思ったの」

 降り続いていた雨が止み、夜空にはぽつぽつと薄い雲が浮かんでいる。

 眠れずにいた雫音は、あてがわれた部屋の前の縁側に座り込んでいた。雲間から覗く月をぼんやりと見上げながら、知っている歌を何気なく口遊む。

「今のは、何ていう歌なんだ?」
「っ、シルヴァさん」
「悪い、驚かせてしまったな」
「い、いえ。大丈夫です」

 いつの間にかすぐそばに立っていたシルヴァに、雫音はビクリと身体を震わせた。気配など一切感じなかった。ドクドクと速い鼓動を打つ胸の辺りを手で抑えながら、雫音はふるりと首を横に振った。

「隣、座ってもいいか?」
「はい」
「それで、雫音が歌っていたのは、故郷のものなのか? 聴いたことがないな」
「この歌の名前は……分かりません。物心がついた時には知っていた歌なんです。幼い頃には、母が口遊んでもいました」

 雫音にとっての、子守歌のようなものでもあった。バラード調のゆったりしたこの曲は、雫音の心を落ち着かせてくれた。大好きな母が歌ってくれるから、尚のこと大好きだった。

「そうか。それにしても……雫音の歌声は、美しいな。天女や精霊の類が歌っているのかと思ったぞ」
「い、いえ、そんなことないです」
「はは、謙遜することはない。こういう時は、素直に受け取っておけ」
「……それじゃあ、ありがとうございます」

 暗闇の中でも、月が出ているから、シルヴァの顔がはっきりと見える。紫色の瞳は綺麗な水面のように揺らめきながら、雫音の目を真っ直ぐに見つめている。

 ――美しい男だ、と思った。

 そこで雫音は、クラスメイトの女子たちが言っていたことを思い出した。彼女たちは、“霖雨蒼生の姫君”とは有名な乙女ゲームなのだと言っていた。
 この世界が、本当にその世界なのか。作品を知らない雫音がそれを確かめる術はないが、もしそうなのだとしたら、シルヴァもそのゲームに出てくる主要な登場人物なのだろう。そんな漠然とした確信が持てた。

 そして、いつか、雨を降らせる力を持つ本物の姫君が現れて、誰かと恋をするのかもしれない。それはシルヴァかもしれないし、まだ出会ったことのない人物かもしれない。それこそ、与人や八雲、天寧や千蔭の可能性もあるわけで……。

 そこまで想像したところで、チクリと胸を刺す痛みに気づいた。
 けれどその理由までは分からない。

 風之国での出会いは、死にたいと思っていた雫音を変えてくれた。
 そして、この世界で、今の自分にとっての、唯一の“帰る場所”になってくれた。

 そんな安寧の地で、自分という存在を認めてくれた人たちが、自分を見てくれなくなるかもしれない。それが嫌だと思ってしまったのだろうか。だとしたら、己はひどく傲慢だと思う。本来なら、自分のような“偽物の雨女神様”が居ていい場所ではないのに。

「そういえば、日中にフィシの相手をしてくれていたらしいな」

 静かに月を見上げていたシルヴァに話しかけられた。
 後ろ向きな感情に囚われていた雫音は、一旦、考えることを放棄して、その問いに答えた。

「フィシくん、木刀を振り下ろしているのを見ているだけでも、すっごく上手なんだろうなってことが伝わってきました。シルヴァさんが剣の稽古をしているんですよね?」
「あぁ、そうだ。フィシは飲み込みも早いし、根性もある。すぐに俺を追い越すくらいの剣技の才を発揮するだろうな」

 シルヴァの家臣たちは、二人に血の繋がりがないことを蔑んでいるようだったが、そんなことは些末なことだと思った。
 だって、フィシのことを話すシルヴァは、こんなにも優しく穏やかな顔をしている。
 実際に見たことあるわけではないので想像でしかないが、息子のことを話す父親はこんな表情をするのではないかと、雫音はそう思った。

 表面ばかりでしか物事を判断せず、その深くまでを理解しようともしない家臣たちよりも、シルヴァとフィシの二人の方が、よっぽど強い絆で結ばれている。それはとても素敵なことで、雫音はその関係が、羨ましくも思えた。

 ――その時だ。
 雫音の耳に、微かな音が届いた。