「なぁ、雫音。よかったら町に行ってみないか?」

 朝餉を食べている最中、シルヴァから町への誘いを受けた雫音はきょとんとした。

「町に、ですか?」
「あぁ。せっかく緑之国にきてくれたんだ。朝餉を食べた後にでも、よければ案内させてくれ」

 雫音は、無意識に千蔭の方を見た。どうしたらいいか迷った時、判断しかねた時、今の雫音が頼る先は千蔭になっている。
 千蔭は微かに口許を緩めて頷いた。そして、天寧に目配せする。千蔭の言わんとすることを理解した天寧も頷き返す。

「おれが付いていくよ。おれは、離れたところで見守ってるから」

 どうやら、天寧が護衛として付いてきてくれるらしい。

「よし。保護者殿の許可も出たことだし、食べ終えたら早速町に向かおう」
「保護者って……」

 千蔭の小さな呆れ声は、陽気なシルヴァの声にかき消された。
 かくして、雫音とシルヴァは町に繰り出すことになった。離れた場所には天寧と、シルヴァの護衛であろう従者が二人付いている。

 小雨が降りしきる中、町は大層賑わっていた。町民たちの顔には喜色が滲んでいる。

「あぁ、ようやっと雨が降ってくれた! これで作物が育つぞ」
「今日は祝いだよ! 安くしとくから、寄っていきな~」

 シルヴァが持ってくれている番傘に共に入れてもらいながら、雫音は視線をあちこちに彷徨わせる。軒を連ねる店では、食べ物から薬草、小物まで、様々なものが売られている。

 風之国と古風な雰囲気は似ているが、やはり少し違う。

 風之国は江戸時代を彷彿とさせるような雰囲気があったが、緑之国は、それよりももっと時代をさかのぼっているような素朴さを感じる。自然との調和を大切にしている国だから、なのかもしれない。

「雫音。これは食べたことあるか?」
「いえ。これは何ですか?」
「これはハヤウィーヤ茶という。甘くて美味いぞ」

 シルヴァが手渡してくれた器の中には、どろりとした緑色の液体が入っている。しかし鼻を寄せてみれば、ほんのりと抹茶のようないい匂いがする。

「それじゃあ、いただきます」

 口を付けた雫音は、一口、二口と飲んで、目を丸めた。

「すっごく、美味しいです」
「はは、だろう? 緑之国で採れた薬草を煎じてあってな、胆力を養う作用がある、といわれているんだ」
「へぇ、すごいですね」

 温かくてほんのり甘みを感じる茶は、ホッと一息つくときに適しているような飲みやすさがある。そして、内からエネルギーが湧き出てくるような、そんな不思議な味がした。

 ハヤウィーヤ茶を飲み切った雫音たちは、器を返そうと店主のもとに近づく。そこで、シルヴァに気づいた店主が、憂い気な顔をして話しかけてきた。

「シルヴァ様。そういやぁ先日、火之国のもんらしい装束を着た数人の男らが、辺境の山ん中をうろついてたらしいです」
「何だって? 何か被害はあったのか?」
「いんや、姿を見たっちゅうもんの話によれば、そいつらは薬草を携えて帰っていったみてぇだけど……またいつ戦が起きるんやないかって、心配してました」
「そうだな。先のことはまだはっきり分からんが……もしそうなったとしても、この国も、民の者も、必ず俺が守ってみせる。だから安心してくれ」

 シルヴァの頼もしい言葉を聞き、不安そうにしていた店主は安堵の色を浮かべて頭を下げていた。

「……あの。戦があるんですか?」

 店を離れたところで、雫音は尋ねた。先ほどの会話が気になった。
 それに“火之国”という聞き覚えがある国名に、胸がざわついた。

 天寧からは、干ばつの影響もあり、現在は各国で協定を結んでいると聞いていた。謀反を企てる国には、他の三つの国が協力して、火種となった国を鎮圧することになっている、と。

 しかし、その均衡が崩れた時。こうして、雨が降った今。
 ――また、領地争いの戦が始まるということなのだろうか。

「つい数か月前まで戦をしていた。だが今は、四つの国で協定を結んでいるだろう? しかしこの先、情勢がどうなるか……それは誰にも分からん。他の国の動きにも注意しながら、状況に応じて戦の準備をしなくてはならないだろうな」

 話すシルヴァの目の奥は、静かに揺らめきながらも、燃えているように見えた。長として、この国を絶対に守り抜くのだという、強い意志を感じる。

 遥か未来。令和という時代。戦のない日本でぬくぬくと生きてきた雫音には、その決意が、ひどく重たいものに思えた。……少し、怖くも感じた。