「改めて名乗らせてくれ。俺はシルヴァ。緑之国の長をしている」
「緑之国の、長……」
シルヴァと向かい合う形で、雫音たちは腰を下ろした。そして互いに自己紹介を始める。
シルヴァは二十代前半といったところだろう。与人と対峙した時にも思ったが、雫音の目には、国の上に立つ者として、シルヴァはずいぶんと若く見えた。
その身にどれだけの重責を背負っているのか――自分のことでもないというのに、想像するだけで身の竦む思いがする。
「わ、私は、水樹雫音といいます」
「俺たちは風之国の忍びの者です。雨女神様の護衛としてきました」
雫音の斜め後ろに控えるようにして腰を下ろしている千蔭が頭を下げると、天寧と八雲もそれに続くように首を垂れた。
「そうか。しかし、まさかお前が噂の雨女神様だったとはな。驚いたぞ」
「長。雨女神様の御前でそのような態度は失礼ですぞ」
「だ、大丈夫です。堅苦しいのは好きじゃないので」
「そうか? では遠慮なく。雫音と呼ばせてもらってもいいか?」
「は、はい」
「俺のことも気軽に呼んでくれて構わない」
後ろに控えている従者に窘められたシルヴァだったが、雫音の言葉にからりと笑いながら手を差し出してくる。裏表を感じさせない、朗らかな笑顔だ。けれど握った手は厚く骨ばっていて、与人や千蔭たちと同じ、戦う人の手だ、と思った。
「でも、どうしてあの時、私が山賊に襲われていると思ったんですか?」
「それは、聴こえたからだ」
「聴こえた?」
「あぁ。雫音の悲しむ声がな」
どうやらシルヴァは、雫音の悲しみに暮れる心の声を感じ取り、山賊に襲われていると勘違いしたらしい。それは、地の精霊の力、なのだという。
この世界には精霊が存在する。そんな精霊の姿を目にしたり、声を聞いたりできる人間が極まれにいるらしく、シルヴァはその内の一人なのだそうだ。
また、緑之国の山に生息している珍しい薬草を使った薬の調合や売買が、この国では盛んにおこなわれているらしい。
「実は、俺はつい最近この国の長に就任したばかりなんだ。代替わりして立て込んでいた隙を狙われたんだろうが……この辺りにのさばる山賊どもが怪しい動きをしていてな。だからさっきも、見回りがてら山を散策していたんだ」
「そう、だったんですね」
シルヴァの説明を聞いていれば、縁側の方からドタバタと賑やかな足音が聞こえてくる。そしてその足音は、部屋の前で止まった。
開かれた障子戸の向こうに立っていたのは、六歳ほどの年齢に見える快活そうな男児だった。柔らかそうな短い黒髪に、大きな丸い瞳。ふっくらとした頬を桃色に染めて、興奮した様子で両手を握りしめている。
「どうした、フィシ」
「雨女神様がきたんだろ? おれも会いたい! なぁ、どこにいるんだ?」
「お前が会いたいっていう雨女神様は、目の前にいるぞ」
シルヴァに「フィシ」と呼ばれた男児は、雫音に視線を映して、大きな瞳をぱちりと瞬いた。
「この人が、雨女神様? なーんか、想像とは違うなぁ……」
「こら、フィシ! 失礼だぞ!」
シルヴァの後ろに控えている従者が、今度はフィシを窘める。けれどシルヴァと同様、全く意に介していない様子で雫音の前まで歩いてくると、にかりとまぶしい笑みを浮かべた。
「おれはフィシっていうんだ! よろしくな!」
「あ、えっと、私は雫音っていいます」
「雫音だな! おれのことはフィシでいいぞ!」
「う、うん。よろしくね、フィシくん」
自己紹介を済ませたところで、シルヴァが付け足すように言う。
「フィシは、俺の弟なんだ」
「弟さん、ですか?」
「あぁ。仲良くしてやってくれ」
シルヴァとフィシの顔立ちは似ていないが、笑った顔はそっくりだと思った。眦の下がり方や二ッと口角を上げるところ。太陽のようなまぶしい笑みが、よく似ている。
そして、話に区切りがついたタイミングで、後方で静かに様子を見守っていた千蔭が口を開く。
「歓談中に失礼します。俺たちがこのまま緑之国に滞在する許可を頂いてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、もちろんだ。暫くはこの国に居てくれるんだろ? このまま客間に案内するから、ゆっくりしていってくれ」
シルヴァは立ち上がる。
そして、雫音の目を真っ直ぐに見つめた。
「ようこそ、緑之国へ。雨女神様の遠路はるばるの来訪を、我らは歓迎する」
――柳は緑、花は紅。
美しき緑に満ちるこの国で、しとしとと、恵みの雨は降り続ける。
新たな土地。新たな出会い。――何かが、始まる予感。
腹の底からわきあがってくるような緊張や不安を押し込むように、雫音は胸のあたりにそっと手を押し当てた。



