そして、一行は再び歩き始めた。千蔭の指示で八雲が先頭を歩き、その後ろに天寧、雫音、千蔭という並びに変わっている。
頭からの命ということもあり、八雲はかなり速度を緩めて歩いている。それでも、体力もなければ険しい山道を歩いた経験もない雫音は、やはり三人に付いて行くのがやっとだった。何度も転びそうになっては、後ろについている千蔭に支え助けてもらった。
前を歩いていた天寧は、そんな雫音を見かねて「おぶって行こうか」と提案してくれたが、さすがに申し訳なく思い断った。
自身の意思で他国へ赴くことを決めたのだ。三人は、そんな雫音の思いに応えて付き合ってくれている。
もちろん、情勢を踏まえて、他国との関係を悪化させないために等という事情もあるだろうが……限界がくるまでは、せめて自らの足で歩きたい。そう思いながら、雫音は棒のように重たい足を一歩一歩、確実に前へと踏み出す。
「――雨脚も弱まってきたし、直に陽も落ちる。今夜はここら辺で野営にしようか」
千蔭はそびえる大木のあたりを指さして言う。八雲は危険がないか周囲の偵察に行き、天寧は雫音の手を引いて幹のそばまで誘導してくれる。
「この周辺は安全のようです」
「それじゃあ八雲は水の確保。ついでに魚も何匹か仕留めてきて。俺は薪と木の実なんかを集めてくるから。天寧はその子のそばについてて」
そして一分もせずに戻ってきた八雲の言葉で、千蔭が指示を出し、各々が野営の準備に取りかかる。薪と木の実を集め、魚を仕留め、水汲みをする。それらは優秀な忍びたちによってあっという間に遂行された。雫音ができることなど、何一つなかった。
役に立てないことに落ち込みながらも、千蔭に貰った熟れた橙色の実を一口齧った。甘酸っぱくて美味しい。乾いていた喉が潤う。
「そういえば、ずっと気になってたんだけど……それ。持ってきたんだね」
焼けた魚を齧っていた天寧が、雫音の足元に置いてあるリュックサックを見て言う。
「はい、一応。何か役に立つかと思って」
リュックサックには、数冊のノート類や筆記用具、ポーチにお菓子、そして制服が入っている。もしかしたら、前触れなく元の世界に戻れる可能性だってあるかもしれない。それに、自分がいた世界の証がそばにないのは、不安だった。
「ただでさえ歩くのが遅いくせに、余計な荷まで増やすな」
「す、すみません」
八雲の最もな指摘に、雫音は反射で謝りながら委縮する。
そんな二人を見て、千蔭は小さく嘆息し、天寧は微かに眉を顰めた。
八雲は実直な男だ。そして、優秀な忍びだった。だからこそ、素性のはっきりしない雫音のことが信用できなかった。そんな八雲の行動は、忍びとしては間違っていない。忍びは如何なる相手でも、疑ってかからなければならない。そう教えられている。
そのため千蔭は、八雲の言動を公に咎めることはしない。さすがに手を出そうものなら止めるつもりだが、今は様子を見ることにしていた。
重苦しい空気の中、夕食は続く。
薪のはぜる音が聞こえる。陽も落ち辺りはすっかり暗くなっている。どこからか、梟の鳴き声が響いてくる。
「あの……緑之国って、どんな所なんですか?」
沈黙に耐え切れなくなった雫音が、誰に向けてというわけでもなく尋ねた。
山や森に囲まれた自然が美しい国で、珍しい薬草が生息しているということは、天寧に聞いて知っている。しかしあとの情報は一切ない。純粋に気になった。
「俺も偵察で何回か行ったことがある程度だけど、自然豊かで緑の美しい国だよ。珍しい薬草も多く生息してる。交易のほとんどが薬剤の輸出で賄われてるんじゃないかな」
答えたのは千蔭だ。雫音は更に尋ねる。
「へぇ、すごいんですね。でも、その……少し前まで、国同士で戦をしていたって聞きました。それでも交易はしていたんですか?」
「まぁ、その国によって採れる作物や資源なんかも全然違ってくるからね。持ちつ持たれつってやつかな。戦をしていた時には、さすがに交易は止まってたけど」
「そうなんですね。何だか……」
雫音はそこで言葉を止めた。
――戦に、交易。雫音にとっては、教科書やニュースで見たことがある程度の、生活に馴染みのない言葉たちだ。自分が、それらを間近に感じる環境下に身を置いているだなんて、まだ現実味がわかなかった。
「さ、もう寝るよ。見張り番は俺がするから」
「いえ、頭は眠ってください。俺が…「いいから」
「……御意」
見張り番を担うと声を上げる八雲だったが、千蔭の言うことに従い、渋々木の幹に背を預けて瞼を下ろす。
「俺たちも寝よう。はい、これ。使って」
「ありがとう、天寧くん。あの、千蔭さんも……ありがとうございます」
「うん。朝早くに発つ予定だから、早く寝なよ」
雫音はリュックを枕変わりしに、天寧が手渡してくれた薄手の布に包まって目を閉じる。野外で、ましてや土の上で眠るなんて初めてのことだ。中々眠れないかもしれないと思っていたが、疲れ切っていた身体は休息を求めていたのか、ものの一分も経たないうちに眠りに落ちていた。
「……頑張ったね。お疲れ様」
眠りに落ちる直前、誰かが頭を撫でてくれたような気がした。けれど襲いくる睡魔に抗うことができず、それが誰だったのか、確認することはできなかった。



