「とりあえず、経路の話に戻るよ。まず俺たちは、緑之国に向かう。本来なら、わざわざ使者まで寄越してくれた火之国から向かいたいところなんだけど……地形的にも、中々難しいからさ」
千蔭が指をさす先には“幸野谷”と書いてある。ちょうど、風之国と火之国の境にある場所だ。
「幸野谷。別名、月待峠とも言われている場所だよ。此処は標高もあって道も険しいんだ。普段は通り道の洞窟があるんだけど、今は土砂崩れで崩落しちゃって使えない状態のままだからね。遠回りにはなるけど、緑之国、水之国、火之国の順に回ってから、来た道を戻ってくる経路になるかな」
「それ……大丈夫なの? 最後にされたことに腹を立てて、火之国が攻め入ってくるとか」
天寧が心配そうに尋ねる。
「それは大丈夫。こっちからその旨を綴った書簡は送ってあるし、あっちも了承済みだからね。むしろ火之国的には、自国よりも水之国から干ばつを何とかしてほしいって思ってるんじゃない?」
「それは、どうしてですか?」
普通なら、自国に一刻も早く雨を降らせて、日照りを何とかしてほしいと思うものじゃないだろうか。
「火之国は地形や環境的にも、食料の自給自足が難しいからね。噂じゃ、海産物なんかは、ほとんど水之国から輸入していたみたいだよ」
数か月前まで領地争いの戦をしていたと聞いていたので、国際関係はどこも殺伐としているものだとばかり思っていたのだが、偏にそう言うわけでもないらしい。
「俺たちは、常磐山を越えて、まずは緑之国に向かう。出立は明朝。各自準備しておいてね」
最後に千蔭の言葉で締められて、顔合わせ兼打ち合わせは終わった。
千蔭、天寧と部屋を出ていったが、何故だか八雲は足を止めて雫音を見下ろしてくる。
「おい、女」
「……はい、何でしょうか」
八雲の鋭利なまなざしに、息が詰まる。
雫音は緊張で身を固くしながら、八雲からの言葉を待つ。
「此度の諸国への訪問は、お前が自ら願い出たことだと聞いた。それは何故だ」
「……他の国でも、雨が降らずに困っている人がいると聞きました。だから、私が助けになることができるなら、と。そう思いました」
雫音は正直な気持ちを話した。
これまでの人生、人に嫌な思いばかりさせてきた自分でも、誰かの力になることができる。喜んでもらえる。その事実が、雫音は何よりも嬉しいと思ったのだ。その気持ちに嘘はない。
「俺は忍びとして、風之国のために命を捧げる覚悟ができている。この国に仕えていることを誇りに思っている。お前はどうなんだ?」
「……どう、というのは」
脈絡のない問いに、雫音は小首を傾げる。
「お前は、雨を降らせる力を持っている。それは誰しもが持っている力ではない。望んで手に入るものでもないだろう。それは誇るべきことではないのか」
「誇る、べきこと……?」
「あぁ。だがお前は、その力を持て余している。俺の目には、自身の持つ力を忌避しているようにすら見える。俺はそれが解せない」
八雲は、頭の片隅にあった疑問を雫音にぶつけた。
しかし、誇り、などと。雫音がそんな風に考えたことは一度もない。むしろ、この体質を疎ましく思っていたのだから。もしこの力を望むものがいるのなら、喜んで譲渡したいとすら思っていた。
「……まぁいい。道中、せいぜい足手まといにはなるなよ」
考えこんでいる雫音に痺れを切らしたのか、八雲は冷たく吐き捨てて部屋を出ていった。
八雲の言う通り、雫音の雨女の体質は、望んで手に入るものではないのかもしれない。
けれど雫音は、この力を欲しいと願った覚えはない。
己にとって不要なものを愛し、誇ることのできる強さを、雫音は持ち得ていなかった。



