雫音の疑いが無事に晴れた、二日後のこと。
大した怪我をしているわけでもなかったのだが、与人に絶対安静と言われてしまった雫音は、あれから部屋で大人しく過ごしていた。といっても、元々部屋から出ることなく過ごしていたので、数日前とほぼ変わりのない日々を送っていたわけだが。
そして今日は、与人から話があると言われていた。大切な話らしい。
部屋を訪ねてきた与人の後ろには、当然、千蔭の姿もある。月を思わせる金の瞳は、雫音の姿を映すと、あきれたような色に染まった。
「アンタって、いつ見ても本当に表情が変わらないよね」
「千蔭。失礼だぞ」
不躾な物言いをする千蔭を、与人が咎める。けれど雫音はそんな発言にも慣れっこなので、平然とした様子で言葉を返す。
「それは、私が喜んだりすると、雨が降ってしまうので」
「それは、どういうこと?」
「どういうって……そのままの意味です。私の感情に左右されて、雨が降ることが多いんです。でも、いつも雨だと困ってしまうので……なるべく、感情を表に出さないようにしています」
雫音の感情に左右されて雨が降るという事実が初耳だった二人は、驚いている。
「へぇ。自由自在に雨を降らせる力があるってわけでもないんだね」
「雫音殿、それは……」
冷静に分析している千蔭に対して、与人は表情を硬くした。かと思えば、膝の上にある両掌をギュッと握りしめて、意を決した様子で開口する。
「オレは、雫音殿の笑った顔が見てみたいです」
「……え?」
「雫音殿は、素敵な御方です。いつ何時もお美しいですが、きっと笑った顔は、更に素敵なのだろうと思います。ですからオレは、雫音殿が心から笑っている姿が見たいと……そう思います」
少しだけ照れた様子を見せながらも、与人はキラキラとしたエフェクトが付きそうな、眩しく優しい笑みを広げている。
それを真正面から受けた雫音はきょとんとしながらも、今更ながらに、ここが乙女ゲーム(仮)の世界であることを思い出した。(仮)がつくのは、雫音にそのゲームの知識が一切なく、いまだに確証がもてないからだ。
雫音は実際に乙女ゲームをプレイしたことはないが、もし、この場面に選択肢があるとしたら、
1.照れる 2.感謝する 3.笑顔を見せる
といったようなコマンドが現れていたかもしれない。
けれど雫音は、純粋な好意を嬉しく思いながらも、乙女ゲームのヒロインのように、恥じらったりときめいたり――その感情が激しく揺さぶられるようなことはなかった。
表情を変えることなく、つとめて冷静に、言葉を返す。
「でも、それだとずっと雨が降って、大変なことになってしまいますし……」
「ですが、そのために雫音殿が我慢するのは、違うと思います」
「でも、もう慣れてしまっていますから。別に、我慢しているわけではないです」
「慣れているなど……そんな悲しいこと、言わないでください。それに雨が降ったおかげで、多くの者が救われたのです。雫音殿が気にして感情を抑える必要などありませんよ」
「ですけど、それだと雨が降り続いて、逆に多くの人を困らせてしまいますし……そのことを思えば、感情を抑えていた方が楽で…「はいはい、話が並行していってるよ。その話は、今は置いておくとして。それより今は、この子に相談したいことがあるんでしょ?」
終わりの見えないやりとりに終止符を打ったのは、千蔭だった。
ハッとした与人は、小さく咳払いをして居住まいを正す。



