雛菊が言っていた“書簡”は、雛菊が立っていた地面に落ちていた。そこに綴られていた文面を読んだ与人と千蔭は、苦虫を噛みつぶしたような顔になった。

「ったく、連中が考えそうなことだよ」
「あぁ、そうだな」

 どうやら火之国は、孤立して居場所のなくなった雫音を、自分たちの国に迎え入れようとしていたらしい。
 “雨女神様”の噂はすでに諸国まで広がっているようで、それを独占している風之国に対して、火之国は不満を抱いているらしかった。

「だけどこのままじゃ、火之国だけじゃなくて、他の国も……」
「あぁ。……雨が降らずに困っているのは、どこの国も同じだろうからな」

 そう言った与人は、難しい顔をして考え込んでいる。

「……とりあえず、あの子は手当てをしてすぐ、疲れて眠っちゃったよ」
「そうか。それなら雫音殿と話をするのは、また後日だな。千蔭も今日は、もう休め」

 夜も遅いということで、この話は一旦終いとなった。与人の部屋から退室した千蔭は、月の光のない暗い廊下を歩いていく。
 ――いつの間にか、また雨が降り出していたようだ。息を吸い込めば、湿った空気が肺の中に満ちていく。

「……はぁ、苛々する」

 思わず口を突いて出た言葉は、自分自身に対してのものだ。

 千蔭は、思い出していた。身を挺して与人を庇った雫音の姿を。必死に痛みを我慢しながら走っていた、雫音の表情を。そして、真犯人を誘き出すため、ただ黙ってそれを見ていることしかできなかった、己自身のことを。

 息を吐き出して脱力した千蔭は、足を止めた。自身の目元を手の甲で覆って、目を閉じる。

 けれど、瞼の裏にはいつまでも……暗い牢の中で膝を抱え、泣きそうな顔をしていた雫音の顔が鮮明に浮かび上がってきて、千蔭の胸をざわつかせた。

 胸中にあるこの感情の名前を、千蔭は知っている。
 けれど、そんな感情は、とうの昔に捨てたはずだった。

(……忍びである自分が、罪悪感を感じてる、なんてね)

 自嘲じみた笑みを浮かべて、けれどすぐに、その表情を消し去る。

「頭。風磨の森にて、怪しい影を見たとの報告が」
「分かった。すぐ向かう」

 忍び隊の長としての表情に戻った千蔭は、部下を引き連れて、闇夜に身を投じた。