※ ※ ※
明け方に降った雨がコンクリートに黒いシミを作っている。
見上げれば雲ひとつない晴天。晴れの門出を祝うような眩しい太陽。先ほどまで校歌が流れていた体育館では卒業生たちを送り出す式典が粛々と執り行われているはずだ。
こんなにめでたい日に何故わざわざ屋上に来てしまったのか。式を中抜けして一服したかっただけなのに――と、最悪のタイミングで私と鉢合わせた彼の人は内心舌打ちしただろう。
「落ちますよ」
私が告げると彼がハッと顔を強ばらせた。
「落ち……」
「いや私じゃなくて、箱。たばこの。ああほら、落ちた」
落下防止用のフェンスに腰かけていた私は、彼の足元に転がり落ちた箱を顎で示した。
「あ……あぁ、これな。サンキュ」
彼は金縛りが解けたように息を吐くと、星柄の箱を拾い上げてくたくたの白衣の内側にしまいこんだ。もう一方の手に握りしめていたはずのライターは一足先にポケットに隠されていた。
「だれにも言うなよ」
言うまでもなく中学校の校舎内は全面禁煙だ。もちろん屋上も例外ではない。
私は「もちろん」とうなずく。
「今回は見逃してあげましょう。だからあなたも見逃してくださいね。名前は、ええと……誰でしたっけ?」
髪はふさふさで顎筋はシャープ、うん、まぁまぁイケメンだ。白衣を着ていなければ卒業生の保護者……にしてはさすがに若すぎるか。
「時任だ。この学校の養護教諭」
「養護? あぁ保健室の先生ですか。男の人とは知りませんでした」
「前任の水沢先生が産休に入ったからおれは去年の十一月からの臨時。若くてイケメンの養護教諭が来たって保健室に女子生徒が押しかけていたのを知らないのか」
「生憎ですがまったく存じ上げません。逆に先生は私のことを知りませんか? 八組のものですが」
「八組ぃ?」
先生が難しい顔をするのも無理はない。
この学校は各学年とも六組までで八組という末広がりのおめでたいクラスは存在しないのだ。
「物置みたいなところですよ。見たくないものを隠しておくんです」
「八組……あぁそういうことか」
しばらくすると合点がいったように頷いた。
さすが学校職員。さまざまな理由で教室に行けない生徒が出席日数を確保する目的で作られた特別支援学級、通称“八組”のことにすぐ思い至ったらしい。当然、私がここに立っている理由にも。
「で、どうした? なんでフェンスの上に腰かけているんだ? 足を滑らせたら危ないだろう」
私が八組の生徒だと分かった途端、胡散臭い笑顔を浮かべて近づいてくる。
「こういう場面」に遭遇したときは相手を刺激しないようなマニュアルがあるのかもしれない。必死なまでの笑顔が逆に可笑しくなった。
「ちょっと飛び降りてみようと思って」
腰をひねり、フェンスの向こう側に降り立った。足の半分くらいしかないスペースのところで爪先立ちして、ぷらぷらと体を揺らす。
ここからの眺めは最高だ。風が気持ちよくて、全部がちっぽけに見える。
風がするりとうなじを撫でていく。入学前は長かった髪もいまではショートカット。風通しは抜群だ。
「悪ふざけはやめろよな」
先生はまだそこに立っていて、心配そうに私の様子を窺っていた。
「胸元にリボンってことは卒業生だろう? なんでそんなヤツが卒業式当日に自殺するんだ?」
「卒業式だからですよ。元クラスの生徒やその保護者がバカ面揃えているんです。これ以上の復讐チャンスなんてないでしょう?」
「復讐? バンジーで驚かせでもするのか」
「バンジー? それ本気で言ってるんだったら中学からやり直した方がいいですよ」
予想の斜め上の発言に大爆笑した。
全然使っていなかったから顔の筋肉と腹筋が痛いんだけど。
「訂正する。いわゆるイジメってやつだろう」
「正解。でもそんな簡単な言葉で片付けないでください。傷つきます」
きっぱり否定すると今度は指を折って数えはじめた。
「悪かった。暴行、傷害、器物損壊、窃盗、名誉棄損、侮辱、強要、あとは……」
考え事をしていると額にぐぐーっと皺が寄って老けて見える。
「意地悪言ってすみません。そんなに悩まなくてもいいんですよ、イジメでいいです。とても便利で言いやすいじゃないですか。だからみんな簡単に考えるんですよ」
フェンスに寄りかかってうーんと背筋を伸ばした。深呼吸すれば肺いっぱいに空気が入ってくるのが分かる。ここはなんて息が吸いやすいんだろう。あのクラスとは大違いだ。
「もう疲れたんです。この三年ずっと怯えながら過ごしてきました。誰とも一緒になりたくないから高校は受験しませんでしたし、親が熱望していた公務員にもなれないでしょう。なにもかもおしまい。輝かしい未来なんてひとつもない。ゲームオーバーです。だったら世間に注目されるよう卒業式に死んでみようかなぁって、そんな終わらせ方もいいなって思うんです。これでもいろいろ考えたんですよ、偉いでしょう?」
フェンスに掴まって体を揺らしながら話しているとなんだか楽しくなってくる。
「そんなことをしてなんになる? ほんの一時期テレビやSNSが賑わってバカバカしい炎上騒ぎになるだけだ。学校長が会見でしらじらしく謝罪して世間的には終わり。加害者たちは一時的に肩身の狭い思いをするかもしれないが、いずれ忘れられる。君を想ってだれかが本気で涙を流してくれるわけじゃない。……それにな」
先生は髪をかきあげてまっすぐ私を見た。
刃物のように突き刺さり、金縛りに遭ったように動けなくなる。
「勿体ないって思うぞ」
「なにが、ですか」
「考えてみろ。三年我慢してようやく逃げ出せるんだぞ。いまからでも来年の受験に向けて勉強すれば高校ではキラキラできるかもしれないのに」
予想外の単語が出たせいでプッと噴き出してしまった。
「ぷぷ、キラキラだって。似合わなーい」
「笑うな。テストの結果に一喜一憂したり、部活動を頑張ったり、クラスでイベント参加したり、好きな相手ができたり、そういう青春に憧れて中学生になったんじゃないのか?」
「…………」
新品のような制服の袖をそっと撫でる。この秋冬用のブレザーを着たのは一年生の三ヶ月間だけだ。八組は私服登校が認められていたのでずっと袖を通す機会がなかった。
そりゃあ私も入学する前は浮かれてましたよ。恋に部活に一所懸命な主人公が登場する漫画やアニメをたくさん見てきたから、これで私も中学生かって胸を躍らせていた。
でも、でもね、現実はそうじゃなかった。
「なんていうか……もうホント無理なんです。死にたいんです」
どうしてこうなっちゃったんだろう。なにがいけなかったんだろう。
どうして私がいじめられて、損ばかりしているんだろう。
むなしくて悔しくて腹立たしくて、なにもかもがイヤだ。
復讐してやる。
「見ててくださいね。今日、私は立派に卒業します。ひとりで逝くつもりだったからサヨナラを言う人ができて良かったです。だって先生は私のことを絶対に忘れない。そうでしょう?」
あいつらが出てくるのをこうして待っているのだって、私の死体を目に焼きつけてやるためだ。原因とか解決策とか炎上とかどうでもいい。私は死ぬけど、私のことを一生心に刻んでやる。
だから私は今日この世界にさようならする。両手を振って思いきり叫んでやる。「六組の皆さんのせいで死にますさようなら」ってね。
改めて先生を見る。
自殺の現場に居合わせた不運で不幸な先生をほんのちょっぴり気の毒に思う。
「今日この場でたまたま出くわした先生にこんな重荷を背負わせるのは大変心苦しいですけど、これもなにかの縁だと思って見守ってください。ね?」
先生は。
真顔になった。
「そんなの御免だね」
大股でづかづかと歩み寄ってきた。消毒液の匂いが強くなる。「近づいたら飛び降りてやる」とか格好いいこと言えたら良かったけど、大のおとなが真顔で迫ってくるのは割と怖くて身動きとれない。
あぁどうしよう、もうさっさといっちゃうべき?
悩みながらチラッと足下を見たとき、
「村瀬まどか」
「え……、はい」
名前を呼ばれて反射的に返事をしてしまった。
どうして私の名前を知っているんだろう。私は一言も名乗ってないし制服につけていた名札もさっきゴミ箱に捨ててきた。いまの私には私を示すものはなにもない。
それなのに先生は初対面の私から視線をそらさない。
「やり直したいと思うか?」
どういう意味かと首を傾げるとさらに言われた。
「中学生活をやり直せるとしたら死ぬなんてバカなこと言わないか?」
「はぁ?」
やり直す? なにを言っているんだか。
「答えろ。もし三年前の入学式に戻れるのだとしたらどんな生活を送りたい?」
『三年前に戻る』だなんて突拍子もない言葉だけど、少しだけ興味が湧いた。
「それは、まぁ。いじめられる前に戻れるんだったら今度はキレイな人間関係を作って先生のおっしゃるキラキラな青春を満喫すると思いますよ。でもタイムなんとかじゃあるまいし――――待って、この音なんですか」
不意にどこかで音がした。
ヂーヂーヂーと規則的な音が響き続けている。なんなのこれ。
「村瀬。試してみたいと思わないか? タイムトラベル」
ヂーヂーとやかましい音に先生の声が重なってくる。
試すもなにも映画やドラマじゃないんだから過去に戻るなんてできるはずない。
私の覚悟はもう固まっている。
「いい加減にしてください。私は今日死ぬって決めたんです。邪魔するなら――ぁっ」
突如ゴゥッと強い風が吹いてバランスを崩した。
足元をすくわれ、フェンスから指先が離れて宙に放り出される。
やだ! 落ちる! 待って、やだ――。
私はまだ心の準備ができていなくて無我夢中で宙を掻いた。
視界はやけにスローモーションで、フェンスから身を乗り出している先生の唇が大きく動くのが見えた。
「ちがう! 落ちるんじゃない!」
ちがう。なにがちがうの。
落ちるんじゃなくて――――
「×××だ!」
なに!? 聞こえない?
耳を澄まそうとしたけど全身にビリリと痛みが走って集中できなかった。痛い。まるで電気が通過しているみたい。
「Good luck! あいつによろしくな」
先生が大きく手を振っている。
ヂーヂーと壊れた玩具みたいな音が一層強くなった。
あいつ? あいつって誰よ……私いったい……どうなっ
次の瞬間ぱんっと意識がはじけ飛んだ。
明け方に降った雨がコンクリートに黒いシミを作っている。
見上げれば雲ひとつない晴天。晴れの門出を祝うような眩しい太陽。先ほどまで校歌が流れていた体育館では卒業生たちを送り出す式典が粛々と執り行われているはずだ。
こんなにめでたい日に何故わざわざ屋上に来てしまったのか。式を中抜けして一服したかっただけなのに――と、最悪のタイミングで私と鉢合わせた彼の人は内心舌打ちしただろう。
「落ちますよ」
私が告げると彼がハッと顔を強ばらせた。
「落ち……」
「いや私じゃなくて、箱。たばこの。ああほら、落ちた」
落下防止用のフェンスに腰かけていた私は、彼の足元に転がり落ちた箱を顎で示した。
「あ……あぁ、これな。サンキュ」
彼は金縛りが解けたように息を吐くと、星柄の箱を拾い上げてくたくたの白衣の内側にしまいこんだ。もう一方の手に握りしめていたはずのライターは一足先にポケットに隠されていた。
「だれにも言うなよ」
言うまでもなく中学校の校舎内は全面禁煙だ。もちろん屋上も例外ではない。
私は「もちろん」とうなずく。
「今回は見逃してあげましょう。だからあなたも見逃してくださいね。名前は、ええと……誰でしたっけ?」
髪はふさふさで顎筋はシャープ、うん、まぁまぁイケメンだ。白衣を着ていなければ卒業生の保護者……にしてはさすがに若すぎるか。
「時任だ。この学校の養護教諭」
「養護? あぁ保健室の先生ですか。男の人とは知りませんでした」
「前任の水沢先生が産休に入ったからおれは去年の十一月からの臨時。若くてイケメンの養護教諭が来たって保健室に女子生徒が押しかけていたのを知らないのか」
「生憎ですがまったく存じ上げません。逆に先生は私のことを知りませんか? 八組のものですが」
「八組ぃ?」
先生が難しい顔をするのも無理はない。
この学校は各学年とも六組までで八組という末広がりのおめでたいクラスは存在しないのだ。
「物置みたいなところですよ。見たくないものを隠しておくんです」
「八組……あぁそういうことか」
しばらくすると合点がいったように頷いた。
さすが学校職員。さまざまな理由で教室に行けない生徒が出席日数を確保する目的で作られた特別支援学級、通称“八組”のことにすぐ思い至ったらしい。当然、私がここに立っている理由にも。
「で、どうした? なんでフェンスの上に腰かけているんだ? 足を滑らせたら危ないだろう」
私が八組の生徒だと分かった途端、胡散臭い笑顔を浮かべて近づいてくる。
「こういう場面」に遭遇したときは相手を刺激しないようなマニュアルがあるのかもしれない。必死なまでの笑顔が逆に可笑しくなった。
「ちょっと飛び降りてみようと思って」
腰をひねり、フェンスの向こう側に降り立った。足の半分くらいしかないスペースのところで爪先立ちして、ぷらぷらと体を揺らす。
ここからの眺めは最高だ。風が気持ちよくて、全部がちっぽけに見える。
風がするりとうなじを撫でていく。入学前は長かった髪もいまではショートカット。風通しは抜群だ。
「悪ふざけはやめろよな」
先生はまだそこに立っていて、心配そうに私の様子を窺っていた。
「胸元にリボンってことは卒業生だろう? なんでそんなヤツが卒業式当日に自殺するんだ?」
「卒業式だからですよ。元クラスの生徒やその保護者がバカ面揃えているんです。これ以上の復讐チャンスなんてないでしょう?」
「復讐? バンジーで驚かせでもするのか」
「バンジー? それ本気で言ってるんだったら中学からやり直した方がいいですよ」
予想の斜め上の発言に大爆笑した。
全然使っていなかったから顔の筋肉と腹筋が痛いんだけど。
「訂正する。いわゆるイジメってやつだろう」
「正解。でもそんな簡単な言葉で片付けないでください。傷つきます」
きっぱり否定すると今度は指を折って数えはじめた。
「悪かった。暴行、傷害、器物損壊、窃盗、名誉棄損、侮辱、強要、あとは……」
考え事をしていると額にぐぐーっと皺が寄って老けて見える。
「意地悪言ってすみません。そんなに悩まなくてもいいんですよ、イジメでいいです。とても便利で言いやすいじゃないですか。だからみんな簡単に考えるんですよ」
フェンスに寄りかかってうーんと背筋を伸ばした。深呼吸すれば肺いっぱいに空気が入ってくるのが分かる。ここはなんて息が吸いやすいんだろう。あのクラスとは大違いだ。
「もう疲れたんです。この三年ずっと怯えながら過ごしてきました。誰とも一緒になりたくないから高校は受験しませんでしたし、親が熱望していた公務員にもなれないでしょう。なにもかもおしまい。輝かしい未来なんてひとつもない。ゲームオーバーです。だったら世間に注目されるよう卒業式に死んでみようかなぁって、そんな終わらせ方もいいなって思うんです。これでもいろいろ考えたんですよ、偉いでしょう?」
フェンスに掴まって体を揺らしながら話しているとなんだか楽しくなってくる。
「そんなことをしてなんになる? ほんの一時期テレビやSNSが賑わってバカバカしい炎上騒ぎになるだけだ。学校長が会見でしらじらしく謝罪して世間的には終わり。加害者たちは一時的に肩身の狭い思いをするかもしれないが、いずれ忘れられる。君を想ってだれかが本気で涙を流してくれるわけじゃない。……それにな」
先生は髪をかきあげてまっすぐ私を見た。
刃物のように突き刺さり、金縛りに遭ったように動けなくなる。
「勿体ないって思うぞ」
「なにが、ですか」
「考えてみろ。三年我慢してようやく逃げ出せるんだぞ。いまからでも来年の受験に向けて勉強すれば高校ではキラキラできるかもしれないのに」
予想外の単語が出たせいでプッと噴き出してしまった。
「ぷぷ、キラキラだって。似合わなーい」
「笑うな。テストの結果に一喜一憂したり、部活動を頑張ったり、クラスでイベント参加したり、好きな相手ができたり、そういう青春に憧れて中学生になったんじゃないのか?」
「…………」
新品のような制服の袖をそっと撫でる。この秋冬用のブレザーを着たのは一年生の三ヶ月間だけだ。八組は私服登校が認められていたのでずっと袖を通す機会がなかった。
そりゃあ私も入学する前は浮かれてましたよ。恋に部活に一所懸命な主人公が登場する漫画やアニメをたくさん見てきたから、これで私も中学生かって胸を躍らせていた。
でも、でもね、現実はそうじゃなかった。
「なんていうか……もうホント無理なんです。死にたいんです」
どうしてこうなっちゃったんだろう。なにがいけなかったんだろう。
どうして私がいじめられて、損ばかりしているんだろう。
むなしくて悔しくて腹立たしくて、なにもかもがイヤだ。
復讐してやる。
「見ててくださいね。今日、私は立派に卒業します。ひとりで逝くつもりだったからサヨナラを言う人ができて良かったです。だって先生は私のことを絶対に忘れない。そうでしょう?」
あいつらが出てくるのをこうして待っているのだって、私の死体を目に焼きつけてやるためだ。原因とか解決策とか炎上とかどうでもいい。私は死ぬけど、私のことを一生心に刻んでやる。
だから私は今日この世界にさようならする。両手を振って思いきり叫んでやる。「六組の皆さんのせいで死にますさようなら」ってね。
改めて先生を見る。
自殺の現場に居合わせた不運で不幸な先生をほんのちょっぴり気の毒に思う。
「今日この場でたまたま出くわした先生にこんな重荷を背負わせるのは大変心苦しいですけど、これもなにかの縁だと思って見守ってください。ね?」
先生は。
真顔になった。
「そんなの御免だね」
大股でづかづかと歩み寄ってきた。消毒液の匂いが強くなる。「近づいたら飛び降りてやる」とか格好いいこと言えたら良かったけど、大のおとなが真顔で迫ってくるのは割と怖くて身動きとれない。
あぁどうしよう、もうさっさといっちゃうべき?
悩みながらチラッと足下を見たとき、
「村瀬まどか」
「え……、はい」
名前を呼ばれて反射的に返事をしてしまった。
どうして私の名前を知っているんだろう。私は一言も名乗ってないし制服につけていた名札もさっきゴミ箱に捨ててきた。いまの私には私を示すものはなにもない。
それなのに先生は初対面の私から視線をそらさない。
「やり直したいと思うか?」
どういう意味かと首を傾げるとさらに言われた。
「中学生活をやり直せるとしたら死ぬなんてバカなこと言わないか?」
「はぁ?」
やり直す? なにを言っているんだか。
「答えろ。もし三年前の入学式に戻れるのだとしたらどんな生活を送りたい?」
『三年前に戻る』だなんて突拍子もない言葉だけど、少しだけ興味が湧いた。
「それは、まぁ。いじめられる前に戻れるんだったら今度はキレイな人間関係を作って先生のおっしゃるキラキラな青春を満喫すると思いますよ。でもタイムなんとかじゃあるまいし――――待って、この音なんですか」
不意にどこかで音がした。
ヂーヂーヂーと規則的な音が響き続けている。なんなのこれ。
「村瀬。試してみたいと思わないか? タイムトラベル」
ヂーヂーとやかましい音に先生の声が重なってくる。
試すもなにも映画やドラマじゃないんだから過去に戻るなんてできるはずない。
私の覚悟はもう固まっている。
「いい加減にしてください。私は今日死ぬって決めたんです。邪魔するなら――ぁっ」
突如ゴゥッと強い風が吹いてバランスを崩した。
足元をすくわれ、フェンスから指先が離れて宙に放り出される。
やだ! 落ちる! 待って、やだ――。
私はまだ心の準備ができていなくて無我夢中で宙を掻いた。
視界はやけにスローモーションで、フェンスから身を乗り出している先生の唇が大きく動くのが見えた。
「ちがう! 落ちるんじゃない!」
ちがう。なにがちがうの。
落ちるんじゃなくて――――
「×××だ!」
なに!? 聞こえない?
耳を澄まそうとしたけど全身にビリリと痛みが走って集中できなかった。痛い。まるで電気が通過しているみたい。
「Good luck! あいつによろしくな」
先生が大きく手を振っている。
ヂーヂーと壊れた玩具みたいな音が一層強くなった。
あいつ? あいつって誰よ……私いったい……どうなっ
次の瞬間ぱんっと意識がはじけ飛んだ。

