『――卒業おめでとう。学校は違うけど同じ日に卒業できたこと、めちゃくちゃ嬉しい。これでいちいち市川に近況を聞かなくて済む。おれたちは生き延びたんだ。これってすごいことじゃないか。もし時間が合えば春休み中に会えないかな? 話したいことがたくさんあるんだ。メールじゃ送りきれなくてぜんぶメモ帳に書き留めてある。もう二十冊目だよ。そろそろ置き場所がなくなってきて困ってたんだ。返信待ってる』

 文面から懐かしい声が聞こえてきそうだった。
 私は何度も読み返して心の中で受け止めてから電源を切った。返信はしていない。

 先生は懐から古めかしい懐中時計を取り出した。

「これは祖父の遺品のアンティーク時計だ。とっくに壊れてる。姉は中学教師だったが、自分が受け持った生徒たちの卒業式が終わったあと、ここで飛び降りた。その時、大切に持ち歩いていたこの時計のネジが勝手に動いたと言っていた。本人は夢だと思っているが、そこで三年前にタイムトラベルし、瑛人を身ごもった」

 いつか秋吉くんが言っていた『自分が存在しない世界』の話。あれは本当だったんだ。秋吉くんのお母さんはそれをかすかに覚えていた。

「タイムトラベルにより奇跡的に生まれた命……それだけに危うい存在でもある。この懐中時計を使って自分や他の生徒を何度タイムトラベルさせても、六組で最初に欠けるのはいつも瑛人だった」

 先生の言うことが本当なら奇跡的に生まれた秋吉くんは何度も死……補正の対象になってきたことになる。

「瑛人が死ぬのはもはや運命だと諦めていた前回、おまえの名札を拾って急に閃いたんだ。記憶が曖昧になるより先にタイムトラベル前のものを見たらなにか思い出すかもしれない。だから世界が新しい状態に上書きされる前におれも飛んできたんだ。屋上の目立つところに置いて瑛人に拾わせ、村瀬と接触させた」

 秋吉くんが名札を届けてくれたことで私は彼と接点をもち、タイムトラベルの事実をはっきりと思いだした。結果的に彼を救うことに成功し、時任先生の実験は成功したのだ。

 ――……つまり。

「じゃあ、これがハッピーエンドってことですね」

 体の力が抜けた。
 秋吉くんが生きている未来がここにあるのだから、先生が私をタイムトラベルさせる理由はもうない。
 私はお役目御免。見事演じきった。いまごろ画面にはエンドロールが流れて観客たちがぱらぱらと席を立っているはずだ。

「村瀬、まだ話は終わってない」

 先生の言葉を無視し、私はフェンスによじのぼって両手を広げた。

「まどろっこしいことはやめましょう。私、今度こそ立派に卒業してみせますよ」

 天国へと誘うように風が強く吹きつけてきた。
 もういいのだと許された気がした。
 あぁこれでやっと私は――。

「待てコラ、人の話は最後まで聞け!」

 私の足にしがみついてくる。

「もういいでしょう、放っておいてください」

 むちゃくちゃに足を振り回したせいで何発かは先生の顔面にもヒットした。
 だけど先生の力は少しもゆるまない。

「いいから聞け。五回目はな、松本アズサ。あいつと会ったんだ。いまと逆……そう、松本はおまえにいじめられたと恨んでいた。おれからしたら、おまえたちは本当によく似てるよ。負けん気が強くて意地っ張りで、なんだかんだ言いながらクラスのことが好きで、そっくりだ」

「そんなの、私だって……」

 先生が叫ぶ。

「つべこべ言わず、一度くらい友だちになりゃいいんだよ」

 風を受けた私の体がぐらりと傾いた。

 落ちる!
 そんなのイヤだ。死にたくない。
 私、死にたくないよ。

「ちがう村瀬。落ちるんじゃなくて」

 一緒に落下している先生の唇が大きく動く。

 落ちるんじゃなくて――――『跳ぶ』。
 おおきく息を吸った。

(跳ぶ)
(跳ぶんだ)
(私は、跳べる)