風の強い卒業式だった。
 身を乗り出して風を浴びていた私の耳に足音が響く。

「こんにちは。待ちくたびれて、もう少しで飛び降りちゃうところでしたよ。『魔女』さん」

 振り返って明るく声をかける。相手は少し驚いた顔をしていた。

「……よぅ、ここで会うのは何度目かな」

「二回目ですよ。水沢先生は彼氏募集中なので、もう会えないと思ってました」

 目の前にいるのは三年前に会った時任先生……だけど、ちょっと違う。

「どうしてスーツなんですか? 白衣は?」

 以前会ったときのくたくたの白衣ではなくパリッとした黒のスーツに身を包んでいる。

「うん? 今回はここの養護教諭になれなかったから保護者の振りをする必要があったんだ」

「そっか。先生の方でも色々あったんですね」

 タイムトラベルする前と今回、私の周りでも多くの変化があった。それは当然のことながら先生にも影響しているのだ。
 時任先生はゆっくりと近づいてくる。優しい表情だ。

「キラキラした中学生活はどうだった?……って、聞くまでもないか。階段の下に村瀬の卒業証書と名札が二つ棄ててあったぞ」

 ここにいる。それがなによりの証明になる。

「はい、前とは全然違いました。私を気遣った姉は地元の高校に進学し、母は転職した会社で正社員として頑張っています。家で飼っているメダカも殖えてきました」

「順調だな。どうしてフェンスのそっち側にいるんだ?」

「そう決めていたから」

 松本の家にお線香をあげにいった夜、悩んで悩んで悩んで、決めたのだ。

「そうか」

 なにもかも承知しているように目を細める先生。きっとすべてお見通しなのだ。

「松本が死んだのは私がタイムトラベルしたせいです。本来死ぬべき私が生き、生きるべき松本が死んだ。私は生きているべきじゃなかったんです」

 松本を殺したのは私だ。
 その未来を否定し、奪った。

「もう一度過去に戻りたいんです。松本じゃなく、本来死ぬべきだった私が死ぬことで元に戻したいんです。手伝ってもらえませんか?」

 不思議だ。
 あんなに怖かったのに、いまは心が晴れ晴れとしている。
 ここから再び飛んでタイムトラベルし、自らの意思で死を選ぶ。
 そんな手順が一本のレールのようにくっきりと見える。

「ずいぶんと虫のいい話だな。死に方に良し悪しなんてない。単なる自己満足で、結局は家族が苦しむだけだ」」

 フェンスのすぐ向かい側まで先生が歩み寄ってくる。

「大丈夫ですよ、お母さんにもお姉ちゃんにもちゃんと話しますから。これは私が選んだ最良な未来だって」

「おまえは残される家族のこともなにも分かっちゃいない!!」

 突然大声を出されたせいでびくっと体が強張った。
 大人げないと自分でも思ったのか、先生は長く浅く息を吐く。

「……同級生が死んだ件だけどな、恐らく『補正』が起きたんだ。こんなふうに」

 先生はポケットから五百円玉を取り出して握る素振りをした。

「たとえば、今日このあと五百円玉を紛失したとする。なんとなく口惜しいだろう? だから一日前にタイムトラベルして五百円玉を離すまいと握りしめる。だけど別の事象……財布を盗まれたり急な出費が発生したりして結局五百円玉を失うんだ。それどころか状況によっては五百円以上の損害を被ってしまう。タイムトラベルしているとそういうことがあるんだ。バランス調整……辻褄合わせ……そんなところか」

 よく分からない。
 それと松本のこととなにが関係あるんだろう。

「過程が変わっても結果が同じってことさ。メルヘンチックだが運命ってやつなのかもしれない。おれの知る限り、松本もおまえも、六組の生徒全員が『ある運命』を背負っている」

 先生は五百円玉をしまい、かわりにガムを口に放り込んだ。

「じつを言うと卒業式にタイムトラベルさせたのは村瀬が初めてじゃない。前回のおまえで六回目だ」

 とっさに言葉が出なかった。
 私の他にもタイムトラベルした生徒がいるなんて。それも五人。先生は一体どれだけの時間を繰り返しているんだろう。

「一人目は坂元トモカ、やはりイジメだった。二人目は市川サヤカ、高校受験に失敗したと言っていた。三人目は花岡ユイ、年上の彼氏のことで家族や友だちと揉めたと言っていた。四人目は――」

「もういいです、そうやって何人もの生徒をタイムトラベルさせ私が六人目というわけですね」

「いや、おまえは四回目にもおれと会っている。進路のことで母親とケンカしたみたいだったぞ」

 先生はこともなげに言った。

「でも私……覚えてない」

「これまでタイムトラベルさせてきた生徒が卒業するときに聞いたよ。やり直した人生はどうだった、ってな。だけどみんな口を揃えて言うんだ。タイムトラベルなんかしていない、記憶にない、そもそもアンタだれ?――てな」

 どきりとして足が震えた。

「タイムトラベルしたことを忘れてしまうってことですか?」

「そうだ。タイムトラベル直後は覚えているんだろうが次第に記憶が曖昧になっていく。それこそ補正の一環なのかもしれない。だが記憶がなくても自殺したくなるほどの強い後悔は頭の片隅に深く刻まれていて、どうにか回避していく。今回村瀬はたまたま別の理由ができただけ」

 目の前が暗くなっていく。
 そんなふうに何度も中学校生活をやり直し、それに気づかずにいたなんてゾッとする。

「福留日菜子が初めて担任になったクラスの生徒は三十八人しか卒業できないんだ。秋吉瑛人と、だれか。何度やっても必ず脱落者が生じる。今回で確信したよ」

 まるで実験結果を伝えられているようで、呆れるよりも腹が立ってきた。

「……ひどいなぁ、先生は。本当にひどい。最初から私を助ける気なんてなかったんですね。秋吉くんが生き残ったから、松本と私は死ぬべくして死ぬ、そういうことですね」

「違う、おれが望んだ結末じゃない」

 先生は強く首を振った。

「なにが違うんですか! 何度も過去をやり直させて! 何人もの生徒を苦しめて!」

 手を伸ばして腕につかみかかった。
 だけど先生は抵抗することなく受け止めてくれる。

「おれは四十人全員を無事に卒業させてやりたかったんだ。『甥』も含めた全員を」

 先生がポケットから取り出したのは赤い名札。前回私がゴミ箱に捨てた名札だ。それを持ってきてくれたのは――。

「おれは時任 定(さだめ)。秋吉瑛人の母、永遠子(とわこ)の弟だ」

「秋吉くんの叔父さん……?」

 転校してしまった秋吉くん。
 心の中で何度彼に助けを求めただろう。

 転校してからも秋吉くんはメールを送り続けてくれた。そのメールを見たのは半年ぶりに電源を入れたときだったけれど、新しい学校の様子、季節の変化、最近読んだ本、一緒に見たい映画のこと……たくさん。私は一度も返信しなかったのに、それでもずっと。臨海学習の帰りに私を待っていてくれたときのように根気よく。

 そして今日、またメールが届いた。