三年後に死ぬ私とアクアリウム教室

 市川さんの言う面白い場所とは海岸から少し離れた入り江のことだった。薄暗い洞窟を中腰の状態で通り抜けて砂浜へと出る。剥き出しの岩肌に囲まれた入り江にはすでに何人かの生徒が来ていたけれど、打ち寄せる潮騒だけが響いてとても静かだった。
 砂浜に転がっている大小様々の岩石を穏やかな波が磨いていく。背後を仰ぎ見ればバームクーヘンのような断層と血管のように根を張る木々が見えた。
 洞窟を介して広がる空気はひんやりと冷たく、思わず深呼吸した。こんな場所があったなんて知らなかった。

「すごい、すてき。まるで……」

「まるで映画のワンシーンにでも登場しそうだな」

 私とまったく同じ感想を隣の秋吉くんが口にした。

「それ、私の台詞」

「早い者勝ち」

 ピースサインとともに勝利宣言される。ちょっと悔しい。
 私たちのあとから六組の生徒が次々と現れては感嘆の声を漏らす。そこに松本の姿はない。先ほど自分が言った言葉を思い出して胸がずしりと重くなった。
 みんなから遅れて最後にやってきたのは市川さんだ。心のどこかで松本を連れてきてくれることを祈っていたけど、ひとりだ。ぱちっと目が合った。

「松本さん見つからないから来ちゃったけどいいんでしょ?」

 私がなにも答えられずにいると、市川さんはそのまま通り過ぎてしまった。不審に思った秋吉くんが小声で尋ねてくる。

「またケンカしたのか?」

「ううん、私がブスなだけなの」

 タイムトラベル前に仲間外れにされたから仕返しに仲間外れにしただけ、私は悪くない――。
 そうは思っていてもスッキリしない。ざまぁみろ、なんて思えない。

「六組のみんな来た? 写真とるから集まってー」

 土屋さんの号令でみんなが海をバックに並んだ。カメラ係は私だった。

「わ、私も入りたい」

 セルフタイマーを使おうとしたけど置く場所がないことに気づく。

「写真係、早くしろよ」

 男子が急かす。

「早くー、この体勢つらい」

 女子も恨めしそうに叫ぶ。

「あとで私も入れてね。はい、ちーず」

 シャッターを押す。フラッシュの向こうで満面の笑顔が咲いた。私はすぐにだれかと代わろうとしたけど蜘蛛の子を散らすように解散してしまう。

「待ってよ、私も、私も映りたい」

 このクラスの一員として写真におさまりたい。そう願ったけれど、写真係として呼ばれることはあっても一緒に映ろうとしてくれる人はいなかった。
 集合写真に映っているのは三十八人。せっかくタイムトラベルしても、結局このクラスの一員にはなれなかったのだ。


 ※


「みんなどこに行っていたの?」

 入り江でひとしきり遊んで浜辺に戻ると福留が血相を変えて駆け寄ってきた。他の先生方も心配そうに集まってくる。

「六組の生徒だけ姿が見えないから心配していたのよ」

 福留の視線は学級委員の市川さんに向いている。市川さんは申し訳なさそうに頭を下げた。

「ご心配おかけしてすみません。先輩方からお聞きした場所をどうしても見に行きたくて」

「先生たちが見ていないところで事故が起きたらどうするの?」

 いつにない手厳しい口調に気おされ、私たちは気まずさから互いに顔を見合わせる。福留はそのままの勢いで喋り続けた。

「先生は心配しているの。楽しくて羽目を外したくなる気持ちもわかるけれど、指定された場所以外で泳がないよう旅の栞にも書いてあったでしょう。みんなそれを読んで納得した上で来たんじゃないの? こんな基本的なルールも守れないなんて」

「まぁまぁ、他のクラスの生徒たちも見ていることですし」

 他の先生になだめられて我に返ったように口を噤んでうつむく。まるで公開処刑だとクラスの間で白々しい空気が流れる中、福留は思い出したように私たちを見た。

「ねぇ、だれも松本さんを誘ってあげなかったの?」

 声をひそめる福留の後ろには泣きそうな顔の松本が立っていた。バスタオルを体に巻いているものの髪はすっかり乾いている。

「みんながいないことに気づいて松本さんと一緒に探していたのよ。どうして呼んであげなかったの?」

 矢面に立って詰問された市川さんはちらりと私を見た。その視線がすべてを物語っている。

「どんな理由があれ仲間外れはよくない。そう思うでしょう、村瀬さん」

 名指しすることは犯人を決めつけたことと同じだと思った。

「いいですよもう。どうせ村瀬さんはあたしのこと嫌いなんですから」

 タオルで顔を覆ってしまった松本を福留がぎゅっと抱きしめる。

「あぁ松本さん泣かないで、ね」

 福留の同情的な声が私の中に絶望の波として押し寄せてくる。
 前回の私はのけ者にされても泣かったし福留にも訴えなかった。「なにかおかしい」と思ったけど我慢して嵐が過ぎ去るのを待ったのだ。それが前兆だとも気づかずに悠長に耐えてしまった。
 だけどタイムトラベル前の記憶を私しかもっていないように、だれも松本が私にした仕打ちを知らない。私がやったことはただの仲間外れでしかなく、それが唯一絶対の記憶になるのだ。

「松本さんかわいそー」

 ひそひそ声を交わす花岡さんたちの松本への同情の声と私への批判の眼差し。まるでバランスゲーム。被害者と加害者は紙一重だ。この先に待つのが同じような未来だと自覚するには十分だった。

 ――私はまた失敗したのだ。


   ※


 その夜はつらかった。
 班ごとに作ったカレーは味気なく、クラス発表のダンスもまるで力が入らず、花火も線香花火ばかりを手に取っていた。
 ひとりで線香花火をつけては消し、つけては消しを繰り返す。同級生たちが遠巻きに笑う声や姿はまるで別世界のことのようだった。

「村瀬、暗いぞ」

 こんなときでも声をかけてくれる秋吉くんの存在が嬉しくもあり、悲しくもある。

「私に話しかけない方がいいよ」

 本心では、巻き込めるものなら巻き込みたいし引きずり込みたいし、私と同じいじめられる方の側に来てほしかった。ひとりは淋しいから。だけどせっかく「道化係」を演じていた秋吉くんを巻き込むことに躊躇いもあり、同時に、向こう側とのつながりになってくれるかもしれないという下心もあった。最低な私の考えることだ。



 夜八時過ぎ。四畳半の部屋に四枚の布団をぎゅうぎゅうに敷きつめて床に就いた。奥から松本、市川さん、トモちゃん、私という並びだ。電気を消してからも私を除く三人は短く言葉を交わしていたけれどすぐに静かになった。寝息だけが聞こえてくる。
 みんなに背を向けて布団にもぐりこんでいた私も抗いようのない睡魔に呑まれた。

 ふと目が覚めた。手足の異様な熱さとカラカラうるさいエアコンのせいだ。寝返りを打つ。外はまだ暗い。いま何時だろう。淡く発色する天井の蛍光灯を眺めながら睡魔を待った。

 松本は、夕飯のカレー食べるとき花岡さんたち楽しそうに話してた。トモちゃんは花火を勧めていたし、市川さんは写真係代わるってカメラ持っていったし。
 みんな私のこと避けていた。性格悪い奴だと思ったよね。松本をのけ者にするひどい奴だと思ったよね。

 モヤモヤした気持ちが私の心の中で種火のようにくすぶっていて痛い。

 私、こんなことをするためにタイムトラベルしたんだっけ?
 もっとキラキラとした楽しい中学生活を送りたかったんじゃなかったっけ?
 なにしてるの、私……。

 じわりと熱いものがこみあげてくる。体に吸収した夏の日差しがぶり返したきたのかと思うほど、あまりにも熱くて、つらい。

(私、また――ひとりぼっちなの?)

 また地獄のような日々が続くのかと思うと、死んでしまいたい。
 線香花火のようにキレイに散って、消えてしまいたい。
 時任先生、いまどこにいるの? もう一回やり直させてよ。そうしたら今度こそ……。

 その時、暗闇の中でだれかがむくりと起き上がった。
 どきっとして慌てて目をつぶり寝たふりをする。慎重な足さばきで私を避けていった人影は廊下へと出ていく。
 足音が遠ざかったところで薄目を開けて周りを確認した。トモちゃんはいる。市川さんも。そうなると出て行ったのは松本だ。

 お手洗いだろうか。
 戻ってきたときに備えて体を縮こまらせて待っていたけど一向に戻ってくる気配がない。手を伸ばして枕元の携帯で時間を確認する。四時をまわっていた。

 私もお手洗いに行こう。
 上半身を起こすと日焼けと筋肉痛であちこちに激痛が走った。声を出さないよう苦心しながら中腰になって部屋を出る。携帯は置いて行った。どうせすぐに戻るつもりだったから。

 だけど松本はお手洗いにいなかった。廊下ひとつでつながっている小さな民宿だから入れ違いになるはずはないし他の部屋に入ってしまったとも考えにくい。
 まさかと思って玄関に行ってみると内鍵が開いていた。外に出たのだろうか、先生たちに見つかったら大変だ。

 追いかけようか迷いつつ下駄箱に入っている自分のスニーカーに手をかけたとき、違和感に気づいた。やけに重い。まさかと思って慎重に引き出すと靴の内側にずしりと砂が詰め込まれていた。

 前と同じだった。

 タイムトラベル前の最初の悪ふざけが再現されてしまった。一瞬、花岡さんたちの顔が思い浮かんだけれど証拠なんてひとつもない。
 自分の脇の甘さに嫌気が差してくる。タイムトラベル前は自分の手元を一度でも離れた靴ひとつ手に取るときでも中にゴミが入っていないか、虫の死骸が入っていないかを確認していたのにすっかり油断していた。私の困る顔があいつらの極上の餌になるって分かっていたのに。

 ――ずっと我慢していた。楽しいことがあって笑うことも、つらいと嘆くことも、イヤだと声を上げることもせず、耐えて耐えて耐えて、いつか嵐が過ぎ去ると信じていた。それがいけなかったのだ。なにも抵抗せず我慢することで“いじめていい役”を自ら引き受けてしまったのだ。

 だけど今度はそうはならない。絶対に負けない。

 スニーカーを腕に抱き、備え付けのサンダルを足に引っ掛けて外へ飛び出した。なまぬるい夜風を振り払いながらコンクリートを蹴る。
 モヤモヤした気持ちを吹き飛ばすように力の限りに走った。
 松本を探すついでに海を見たかった。叫びたかった。どうしようもなく。