三年後に死ぬ私とアクアリウム教室

「ちょっと早いけど上のフードコートで食べてくか?」

 時刻は十一時。いろいろ悩んだせいでお腹が空いていたので一も二もなく頷いた。市川さんたちがいる可能性もあったけど、お昼には早いから出くわさずに済むと思う。

 フードコートは思ったよりも混んでいた。奥の方にはまだ空きがあったので荷物を置いてそれぞれ好きなものを買いに行った。私はハンバーガーのセット。秋吉くんはちゃんぽんラーメンだ。

「いっただきまーす」

 頬を膨らませてずるずると麺を吸い込んでいく秋吉くんを見ていると、とても心臓に異常を抱えているとは思えない。どこにでもいる元気いっぱいの中学生だ。
 そんな彼の顔を見ながらオレンジジュースのストローに噛みついた。甘酸っぱい。

「そういえば村瀬に話したいことがあったんだ」

 なんとはなしに切り出した秋吉くんはすでにちゃんぽんを食べ終えていた。

「おれ村瀬の他にタイムトラベラーを知っているかもしれない」

「……!」

 オレンジジュースで咽せそうになった。慌てて喉元を叩く。

「だれのこと、もしかして――」

「因みにおれの母親なんだけどさ」

「母親!?」

 がっかりしたのとびっくりしたのが同時にきた。
 秋吉くんはちゃんぽんの残り汁をレンゲでかき混ぜている。私の顔を見ようとしない。

「かもしれない――って言ったのは母親本人に自覚がないからなんだ。昔からことあるごとに言われていたのに、おれも村瀬に会うまではそれがタイムトラベルだと考えもしなかった」

「どういう意味?」

 ずいぶん持って回った言い回しだ。私は耳を傾ける。

「最初に聞いたのは就学前の予防接種で近所のクリニックに行ったときかな。注射が怖くて大泣きしていたおれに『お母さんもここでいっぱい泣いたんだよ』って教えてくれた。開所して半年も経ってないクリニックで、だぜ? そのときは意味が分からなかったけど、あとで不妊治療もやっていることを知ったんだ」

 手持ち無沙汰になった秋吉くんは箸紙を折り始める。

「母さんはいろいろ話してくれたよ。流産が判明してずぶ濡れで帰った雨の日のこと、親戚の子どものランドセルを選んだこと、地区会長として出席した小学校の入学式のこと、自ら志願して交通安全見守り隊を務めたこと、お隣の子が真新しい中学の制服を見せに来てくれたこと――……。夢だろうって聞いていたけど村瀬に会って気づいたよ。母さんはおれが『生まれなかった世界』から来たんじゃないかって。本人には自覚がないけど」

 そこで私を見た。
 私がタイムトラベルしたのは三年分だ。秋吉くんの言うことが本当ならお母さんはもっと長い時間を移動したことになる。そんなことができるとしたら、時任先生だけだ。

 でも、なんのために?
 秋吉くんを存在させることになにか理由があるのだろうか。
 それとも秋吉くんのお母さんは別の方法をとっただろうか。

「おれ、その話を聞かされるのが嫌いだったんだ。だって自分がいない世界でもそれなりに過ごしていたってことだぜ? おれが死んでもそれなりにやっていけるって言われたみたいじゃんか」

「最初からいないのと途中からいなくなるのは全然違うよ」

「……うん。でさ、ここからが本題なんだけど」

「いまから? お母さんの話はなんだったの?」

「ただの前フリ。面と向かっては言いにくくて」

 こんな回りくどい話をして、一体なにを言いたいのだろう。
 一度肩で息を吐いた秋吉くんは折り終えた箸紙を私の前に置いた。五角形の星だ。ずいぶん器用なんだと感心していると、突然その言葉が投げつけられた。

「正直言うとおれ村瀬みたいなやつ嫌いなんだ」

 一瞬、聞き間違いだと思った。

 嫌い? 私のことが?
 なんの冗談かと視線を上げるとにらみつけるような眼差しとぶつかった。

「大っ嫌いだよ。自分で命を投げ出すやつなんか」

 頭の中が真っ白になって、なにも言い返せなかった。
 時間が止まったみたいだ。私は一体なにを言われているのだろう。

「――……死ぬの、怖くなかったか?」

 私があんまりひどい顔をしていたからだろう、いくぶん声音をゆるめて問いかけてきた。

「もちろん怖かった……けど、もうそれしかないと思ってて」

「おれは怖いよ。毎晩怖くてたまらない。眠っている間に心臓が止まるんじゃないか、目が覚めないんじゃないか、朝ご飯も食べられなくて学校も行けなくて臨海学習も参加できないんじゃないか、考えれば考えるほど不安で目が冴えていく。多分おれが死んでも同級生たちは平気な顔して学校に行くし、臨海学習に参加するし、宿題終わらないってわめきながら夏休みを満喫するんだ。そんな……そんな羨ましいことあるかよ。許せねぇ、我慢できねぇよ、おれが死んだならなにもかも終われよ。隕石でも火山でもいいから世界を滅亡させてくれよ。おれがいないんだぞ、おれがいないなら世界は一ミリも動くなよ」

 話の内容とは裏腹に秋吉くんの口調は棒読みの台本みたいだった。時々声が詰まるので苦心して気持ちを抑えているのだと分かる。

「でもそんなの無理だって分かっているから最後はいつも村瀬のこと考える。死ぬんだったら心臓取り替えてくれねぇかな、明日頼んでみようかなって、真っ暗な天井を見ながら結構本気で考える」

「……心臓を交換したら秋吉くんはもっと長生きできるもんね」

「うん――」

 鼻水をすする秋吉くんの目にはたくさんの涙が溜まっている。見かねてポケットティッシュを差し出すと助かったとばかりに一枚二枚と抜き取って鼻をかんでいく。

「でもそんなのダメだって分かってる。村瀬を殺してまで生き残りたいわけじゃないんだ。そんなの最低だろう。だから村瀬は生きててくれよ。三年後も十年後も生きててくれよ。おれが死んでも生きててくれよ。頼むからさぁ」

 ポケットティッシュが全部なくなるまで秋吉くんは泣き続けた。
 私は溶けた氷で不味くなったオレンジジュースの名残りを吸い込む。苦くて、胸がじくじくする。

「ごめんな。……そろそろ行くか」

 十二時を回って混雑してきたところで秋吉くんが立ち上がった。
 それぞれ器を片づけてから一階へ続くエスカレーターへ向かう。秋吉くんは無言、だから私も無言だった。

「あら瑛人くんじゃない。久しぶりね」

「あ、市川のおばさん?」

 エスカレーターを降りたところで出くわしたのは市川さんのお母さんだった。当たり前のように隣にいた市川さんは私をロックオン。私は申し訳程度に頭を下げる。

「瑛人くん元気そうで良かったわ、体は大丈夫?」

「はい、いまのところ問題ないです。おばさんも元気そうで」

「やーね、お腹の肉が落ちなくてホント困ってるの。ところで一緒にいるのは」

 私と秋吉くんの顔を交互に見てから、目尻に皺を寄せる。

「もしかしてデートだったの? お邪魔しちゃ悪いわね。ご両親にもよろしく伝えて」

「ありがとうございます。市川、またな」

 礼儀正しく頭を下げる秋吉くん。市川さんは無言だった。
 すごく怒っているだろうことは表情だけで分かる。

「どうした? 帰るぞ村瀬」

「あ、うん」

 促されて歩き出したところへ甲高い声が聞こえてくる。

「嘘ついてまでデートなんて可愛らしいじゃない。サヤカも早く彼氏作りなさいよ」

「お母さんうるさい!」

 びくっと体をすくませたのは私だけじゃなかったみたいだ。
 エスカレーターを降りながら秋吉くんが胸のあたりを撫でる。

「怖ぇえ、市川の怒鳴り声で心臓止まるかと思った」

「秋吉くんが言うと冗談に聞こえないよ。本当に具合悪かったら言ってね」

「サンキュ。村瀬って案外優しいところあるよな」

 秋吉くんの笑顔と相まって今度は私の心臓が止まりそうになった。

「……悪かったわね、ふだん優しくなくて」

「怒るなよ。ほら荷物持つから」

 私の指からひょいっと荷物を取って歩き出す。

「大丈夫だよ、軽いし」

「いいから」

 揉めていたら手が触れてしまった。思いのほか熱い指先の感触に、体が熱くなってくる。
 腹いせに手首を握ってやろうと思ったけど、びっくりした秋吉くんの心臓が止まったら困るのでやめておいた。

 冷房のきいた店内を一歩出れば容赦ない太陽と蝉の大合唱が降り注ぐ。
 途中でアイスを買って溶ける溶けると騒ぎながら汗だくで歩いた道のことを、私は一生忘れないと思った。

 来週から夏休み。
 臨海学習だ。