三年後に死ぬ私とアクアリウム教室

   ※   ※   ※

「今度の日曜日、一緒に買い物に行かないか」

 放課後の帰り道、秋吉くんからいきなりそう告げられた。夏休み二週間前だ。

 これってデート? デートだよね?
 あまりにも急な誘いだったので息継ぎの仕方を忘れた。息苦しくなってきゅっと息を吸いこんだら、そこらへんに舞っているきらきらした埃が見えてしまって慌てて咳をした。

「なにしてんだ?」

 秋吉くんは呆気にとられたように首を傾げる。

「な、なんでもない。買い物? 私とでいいの?」

「他に誰がいるんだよ。メダカを飼うのになにも準備しないつもりか?」

 なんだそっちか、と落胆した分だけぐっと頬を引き上げた。不満そうな顔を見て「やっぱナシ」って心変わりされたらイヤだもん。

「水槽なら前に金魚を飼っていた鉢があるよ。これくらいの」

 手を広げて頭の大きさくらいだと伝えると秋吉くんは「そうじゃない」と首を振る。

「引き取ってもらうのは数匹だから大きさは申し分ないけど、魚が隠れるための水槽や水をろ過する砂利、あと温度計も欲しいな。それに肝心のエサ。全部あわせて三千円もあればいいと思う」

「そんなにかかるの? お小遣いなくなっちゃうよ」

 先ほどの浮かれた気分から一転、「お金」というシビアな問題がのしかかってきた。

「まぁ全部用意しろとは言わないからさ、物と金額を見て良さそうなもの決めようぜ。日曜の九時に駅前の公園集合でいいだろう」

「あ、うん」

「決まりな。じゃあお先」

 一方的に約束を押しつけておきながら満足げに去っていく秋吉くん。小走りに向かったのは校門前に停めてあるワンボックスカーだった。助手席から顔を出したお母さんらしき人と一言二言話したあと後部座席に乗り込み、ゆっくりと走り去ってしまう。
 ぽつんと残された私は車が去った方向へ歩き出した。汚れの目立ってきた爪先で小石を蹴る。

 きれいで優しそうなお母さんだったなぁ、運転していたのはお父さんかな。秋吉くん家って家族みんな仲良いんだ。

 どうしたって自分の家族と比較してしまう。お姉ちゃんとお母さんはあれ以来ずっと冷戦状態で必要最低限のことしか話さないし目も合わせない。頑固なところはそっくり。
 きっと何度タイムトラベルしても二人の相性の悪さは変わらないだろう。そうやっていがみ合っている内に私が死んじゃうって言っても笑い飛ばすに違いない。



 約束の日曜日。
 お気に入りのシャツが見つからなくて朝からお母さんに怒られた。「あんたはいつもそう」「どうして前日に準備してないの」って同じことしか言わなくてもう耳タコだ。
 ようやく見つけたシャツはタンスの奥でよれよれになっていたけどアイロンをかける時間もなくて、念を込めながら手のひらで伸ばして頭からかぶった。なんだか窮屈に感じる。

「ピチピチじゃん。よく見ると胸も出てきたんじゃない」

 人が着替えているときにノックもなく入ってきたお姉ちゃんは先輩風を吹かせて「そろそろブラつければ」と言いのけた。
 たしかにタイムトラベル前はブラが煩わしくてちゃんと付け始めたのは中二の夏だった。誰にも相談できず、家を出たお姉ちゃんのお下がりをタンスから拝借した。肺が潰れるかと思うくらい息苦しかった。
 そんなことを思い出しながらチェック柄のキュロットスカートを履こうとするとまたお姉ちゃんが声を上げた。

「あんたそんな子どもっぽい格好で出かける気? もう中学生なんだよ?」

 キャラクターが描かれた白地のシャツに黒いキュロット。鏡を見るとたしかに子どもっぽい……かもしれない。でも時間がないのだ。
 ふと気づくとお姉ちゃんの姿が消えていた。自分のタンスを開けてなにやら中を探っている。やがて一枚のスカートを出してきた。白地の上にレースが重ねてある可愛いデザインだ。

「これいいんじゃない。カジュアルな中にフェミニンが漂ってデートにぴったり」

「で、で、デートじゃないもん。ただの買い物」

「でも例の男の子と一緒に行くんでしょう?」

「う……」

「とりあえずこれ履いてみなよ」

 半ば強引に押しつけられたスカートだったけど、履いてみると確かに可愛い。

「うん、まどかにぴったり。それあげるわ」

 お姉ちゃんも満足げに頷いている。この前までウソつきって騒いでいたくせにどういう風の吹き回しだろう。ん……でも、こっちのほうが可愛い。

「カバンも貸してあげる。そんな安っぽいリュックサックじゃ似合わないでしょ」

 そう言ってお気に入りのショルダーバッグを握らせてくる。ついでに千円札を一枚くれた。

「お金まで?」

「言っておくけどバッグは貸すだけだからね。かわりにどんなデートだったか報告すること」

「なにその顔、ニヤニヤしちゃって」

「だってこんな面白いことめったにないもん。さて、勉強勉強」

 いきなり「受験生」に戻ったお姉ちゃんはさっさと机に戻る。私が拒めないことを知っているからだ。鏡で見た服装は何度見ても可愛い。秋吉くんも褒めてくれるかもしれない。

「お姉ちゃん」

「んー?」

「…………ぁりがと」

「なにかなー? 聞こえなーい」

「もう! ありがとって言ってんの! 行ってきます!」

 ほんと意地悪なんだから、とイライラしながら家を飛び出した。
 約束の時間まであと少し。カーブミラーに映ったいつもと違う自分の姿に気づいて、慌てて内股に切り替えた。可愛く、清楚に、おしとやかに。
 ちょっと服装が変わっただけなのにモデルか芸能人にでもなった気分だ。すれ違う人たちがみんな私に注目している気がする。
 あぁいいな、こういう人生もあるんだ。時間をずらして登校していた八組のころは「なんでこんな時間に中学生が?」といった顔ですれ違う人たちの視線が痛くてたまらなかった。
 だけどいまは堂々と歩ける。顔を上げて、まっすぐ前を見て。
 やっぱりタイムトラベルして良かった。



「――あれ? 村瀬?」

 公園で待ち合わせた秋吉くんは私が声をかけるまでまったく気づかなかった。目の前に立ってからも顔を引いたり左右に動かしたりして私を見ている。すっごく恥ずかしい。

「なんか雰囲気違うな……」

 「それだけ?」と内心がっかりしたけど、だからと言って自分から「可愛いでしょう?」と主張するほどの自意識もない。中身が変わってないことは私自身がいちばん分かっている。

「まぁとにかく行こうぜ」

 結局これといったお褒めの言葉もなく肩を並べて歩き出した。
 他愛ない話をしつつも明らかにこっちを見ようとしない秋吉くんに気づき、恥ずかしいのはお互い様なんだとくすぐったい気持ちになった。

 三十分ほど歩いて着いたのは大型ショッピングセンターだ。この辺りでペットショップと言えばここくらいしかない。
 日曜日で混雑している店内にもしも知り合いがいたらどうしようとドキドキしていたけど秋吉くんは磁石にでも吸い寄せられるようにフロアの最奥を目指して突き進んでいく。私のことなんか頭から抜けてしまったらしく一度も振り向かない。遂にはショートカットのために別のお店を横切ったりするものだから追跡するのは諦めた。場所なら私も知っている。無理してついていく必要はないのだ。

 ファンシーな雑貨屋さんの横を通り過ぎるとき、一瞬店内に目が吸い寄せられた。「あっ」と声を上げそうになったのは市川さんの姿があったからだ。
 中学生にしては背の高い市川さんはかなり目につく。チェック柄の青いシャツにまっ白なパンツを履いていて、いつもよりずっと大人っぽく見えた。一緒に文房具を見ているのは中年の女の人。お母さんだろう。
 先に私の視線に気づいたのはそのお母さんの方だった。ワンテンポ遅れて市川さんがこっちを見る。一瞬目元が険しくなった。内心は「会いたくない奴に会っちゃった」って思ってるだろう。

「こ、こんにちは市川さん」

 私は笑顔を取り繕って右手を振った。お互いの存在に気づいたのに無視したらそれこそ嫌われてしまう。市川さんは無表情のままこっちに近づいてきた。その隣のお母さんは対照的なまでの笑顔だ。

「あらこんにちは。サヤカのお友だち?」

「ちがう。同じクラスの村瀬さんだよ」

 市川さんはやんわり「お友だち」を否定する。

「あぁほんと? いつも娘がお世話になってます」

「こ、こちらこそ」

 お互いに頭を下げる。

「今日はどうしたの? お買い物?」

「は、はい。まぁ」

 うう、どうして母親たちってこうお喋りなんだろう。無言で無表情な市川さんが怖いから早く別れたいのに。

「サヤカも村瀬さんみたいに可愛い格好をすればいいのにお兄ちゃんたちの影響か男っぽい服ばっかり好きで困っているのよ。せっかく身長があるんだからねぇ、ほら村瀬さんが履いているスカートとか、可愛らしいバッグとか持てばいいのに」

「お母さんは余計なこと言わないで」

 ムッとしたように割り込んできた。放っておいたらいつまでもお喋りしていそうだから私としては助かる。

「村瀬さんひとりで買い物?」

「あ……ううん、友だちと。いま、別行動してて」

 相手が秋吉くんとは言えなかった。絶対に怖い顔をするから。

「あ、じゃあそろそろ行くね。ばいばい」

 強引だけど手を振って無理やり離れた。市川さんも「うん」とだけ言って気持ちばかり手を振り返してくれる。ペットショップに行くのだと悟られないよう、わざと遠回りの道を選んだ。
 ほんと、親の前で仲の良いふりをするのも大変だ。

 ようやくペットショップに着くと、魚関連のグッズの棚で座り込んでいる秋吉くんを見つけた。

「おお村瀬、遅かったじゃないか」

 腹立たしいほど明るい顔している。

「ちょっとトイレ。餌袋を裏返してなに見ていたの?」

「ん? どんなものが入っているかとか配合とかを」

「あっそ」

 メダカのことよりも私のことを心配して欲しいんだけど。
 どうせ期待しても無駄だ。
 目の前に並んでいる「メダカの餌」は税込四百円ほど。高いものは七百円とかそれ以上になるけど安いものでいいや。

 水温をはかる温度計や隠れるための水草、水槽内が美しく見える砂利。水槽内を循環させるための循環ポンプやフィルター、そして何種類もの餌。いろんなものがぎっしり置かれていて素人の私にはなにがなにやら。そのかわり秋吉くんがいろいろ考えてくれる。

 ふと棕櫚の産卵床を手に取った秋吉くんが尋ねてきた。

「なぁ子どもは欲しいか?」

 急になに言い出すの! と焦るほど私も浮かれているわけではなかった。

「産卵ってことだよね。私は欲しいけど、お母さんがなんて言うかな。あまり殖やしたくみたいだったし」

「そっか。メダカの寿命は三年くらい。子どもがいなければ水槽もすぐ用無しだな」

 三年の寿命。
 もしも私に三年後があるのなら、メダカを飼い続けたいと思う。
 そのころにはきっとメダカの飼い方にも慣れて、秋吉くんと同じくらい詳しくなっているかもしれない。もしかしたら大きな水槽を買って、あっと言わせるような見事なアクアリウムを作っているかもしれない。

「……やっぱり子ども欲しいかも」

「そうこなくっちゃ」

 ニッと頬を吊り上げた秋吉くんは産卵床を自分のカゴに入れた。

「これはおれが払うよ。村瀬の子ども見てみたいし」

 『村瀬の飼うメダカの子ども』ってちゃんと言って欲しい。分かっていてもドキドキするんだから。
 お会計を済ませると三千円未満で収まった。お姉ちゃんが千円札一枚分けてくれたからまだ余裕がある。
 ふと、ペットショップ外の特設コーナーにふと目がいった。たくさんの水槽が並べられ、色とりどりの魚が売られている。

「ねぇちょっと見てみようよ」

 そう声を掛けてから興味本位でいくつかの水槽を覗いた。気になっていたメダカはステンレスの桶の中でちょろちょろと泳いでいる。

「特売。一匹、百五十円? 安っ……」

 値段を見てびっくりした。白メダカという種類らしい。安い餌でも四百円するのに。
 気づくと秋吉くんも隣で覗き込んでいた。

「品種改良された観賞用のメダカは体の色彩や繁殖のしやすさで値段が変わってくるんだよ。高いものは一匹数千円、学校で飼っているヒメダカは百円もしないだろうな」

「見た目だけで? みんな同じ命なのに?」

「そんなに驚くことじゃないだろう? 犬や猫だって種類や血統書で値段が変わる。需要と供給だよ。命ってものはびっくりするほど安いんだ」

 秋吉くんは苦笑いしながら頬を掻く。
 メダカたちは広いとは言えない水槽の中で元気に泳ぎ回っている。自分たちの命がワンコインで足りるとも知らずに。――ううん、たぶん知らない方が幸せなのだろう。