予想通りクラスマッチ当日は鬱陶しいほどの青空だった。まだ梅雨にもなっていないのに気温が高くて汗がにじむ。
 バレーにエントリーした私は予想通りの結果を確認して教室に戻った。

「聞いてくれよ村瀬!」

 秋吉くんが興奮ぎみに近づいてきた。

「ソフトボール勝ったぜ、いまのところ学年一位。バレーの方はどうだった?」

「五試合やって二勝どまり。学年四位です」

「なんだ、残念だなぁ」

 秋吉くんは空いていた前の席に座る。午前中の球技に松本は参加しなかった。福留の元には遅刻すると連絡が入っているらしいけど詳しい時間までは聞かされていないそうだ。

「松本さん来なかったリレーどうするの? アンカーなんでしょう?」

 花岡さんの非難めいた声が響く。聞かれたクラス委員の市川さん自身も「どうしようか」と眉を寄せるだけだ。

「うちらは二周も走るなんてイヤだからね」

 覆い被せるように声を荒げるのは土屋さん。一周千二百メートルを走るだけでヘロヘロになるのに二周なんてとんでもない。私も含め、周りの生徒たちはだれも口を挟もうとしなかった。
 三人だけの話し合いの末、もし松本が間に合わなかったら体力のありそうな男子に走ってもらうことになった。安全圏に入った土屋さんと花岡さんは上機嫌。市川さんはトモちゃんとともに福留のところに事情説明に向かった。

「周りの意見も聞かずに勝手に決めるんだな。女ってこえー」

 秋吉くんが顔をしかめただけで他のだれも文句を言わないところを見ると、このクラスの主導権を握るのは彼女たちだとすでに認められつつあるようだ。
 間もなくリレーが始まるとの校内放送が流れ、私たちは重い足取りで玄関へと向かった。


 ※


「第一走者。よーい」

 パンッと空砲が鳴り響く。
 一年生から三年生、全十八人が一斉に走り出した。歓声に包まれるグラウンドを抜けて団子状態のまま校舎裏へと消える。程なくして裏で待機していた偵察部隊から一報が入った。

「うちのクラス、先頭集団に入ってるらしいよ!」

 花岡さんたちが飛び上がった。
 喜ぶのはまた早いんだけどなぁ。一周目はどこのクラスも体力自慢をもってくる。いい勝負をして当たり前なのだ。
 確か五周目くらいだっけ、とびきり遅い子が走ってビリになっちゃうんだよね。
 そこからは延々と最下位争いをすることになる。最終結果はビリから三番目。盛り上がっているところで言うことじゃないから黙っているけどね。

「あ、きた。前から三番目じゃん、すごい!」

 第一走者が帰ってきた。大歓声の中、第二走者がバトンを受け取って駆けていく。続いて第三走者。ここまでは上位をキープしている。

「じゃあ次は村瀬さんね」

 第四走者を見送ったところで市川さんが私の名前を呼んだ。

「待って、そんなの知らないよ!?」

 初耳だ。頭の中が真っ白になる。

「私の順番は二十四番目のはずだよ」

「それは二回目でしょ? 秋吉くんの分をだれが走るかって考えたら一番仲のいい人に決まっているじゃん」

「えっ……二周も」

 ぱくぱくと口を開閉させていると花岡さんが「がんばってね~」と投げやりなエールを送ってきた。他の同級生たちもそうだ。「がんばれー」と笑いながらも自分が選ばれなくて良かったと顔に書いてある。

「悪いけど、もう決まったことだから」

 有無を言わせない態度だ。もうそういう空気ができあがっている。だれもやりたくないこと押しつけるとしたら文句を言わない相手が最適だ。言わなくちゃダメなんだ。

「いい加減にしてよ、私だって――」

「あ、来たよ」

 せっかくの勇気も第四走者が戻ってきたせいで打ち消されてしまう。みんなの視線が私に集まっている。もう逃げられない。

「分かった、やる。でも順番変わるだけだから。二周なんて走らないから!」

 精いっぱいの恨み節を吐いてスタートラインに立った。
 苦しそうに息を切らしながらやってきた第四走者、渡されたバトンはずしりと重い。ひたすらに足を進める。ふだん動かしていない体がビシビシと悲鳴を上げているのが分かった。あっという間に呼吸が苦しくなってくる。何人かがさっさと抜いていった。
 
 ここで大きく順位を下げたらなんて言われるだろう、先のことを想像して余計に汗が出てきた。
 とにかく頑張るしかない、と自分を鼓舞する。
 前にいるのは二年生の女子だ。それほどペースは早くはない。体が激しく上下しているのでかなり疲労しているみたいだ。抜くのは無理でもついて行くくらいなら可能だ。
 懸命に腕を振って太ももを上げる。相手も私の気配に気づいて若干ペースをあげたけど置いて行かれまいと必死に食らいついた。
 肩を並べて先を競い合う。

「むらせ! がんばれ!」

 玄関前で待機していた秋吉くんが大きく手を振ってくれた。答える余裕なんてまるでなかったけど少しだけ体が軽くなる気がする。調子いいな、私。
 玄関前を抜けるとグラウンドだ。あちこちから聞こえてくる声援がだれに向けたものなのかもう分からない。みんな応援されているんだ。
 白線を引いたトラックに差し掛かる。次のランナーの姿が見えた。

「村瀬さんあとちょっと」

「まつもと!?」

 間に合ったらしい。松本がここだと手を挙げている。
 がんばれ私、がんばれ。
 悲鳴を上げる体に鞭打って最後の力を振り絞った。差し伸べられた手にバトンを叩きつける。

「行って!」

「うん。任せて」

 松本は運動部らしい身軽さでタタタッと駆けていく。女性らしからぬたくましい太ももがいまだけは心強かった。
 走り終えた途端とんでもない疲れが押し寄せてきた。ドッドッドッと、激しく鼓動する心臓。カラカラの喉。どうやって呼吸したらいいのか分からない。

「お疲れさま。頑張ったね」

 私の肩をたたいて労ってくれたのは市川さんとトモちゃんだ。「きつかった」と笑うけど立ち上がるのがやっとだった。

「次の出番まで時間あるから教室で休んできていいよ。四十分後にまた来てスタンバイして」

「えっ、また走るの」

 当然でしょうとばかりに頷く市川さん。

「順番調整したからアンカーの前でいいよ。アンカーは予定通り松本さん」

 そういう問題じゃないんだけど、言い返す気力すら残っていなかった。とにかく休みたい。重くなった体を引きずってグラウンドを離れる。さっきまでヒーローみたいに応援されていた私だったけどタスキを渡してからはだれにも見向きされなくなった。現実はこんなもんだ。簡単には主役になれない。