――隠さなくちゃ!
とっさにポケットに押し込んだ。なかったことにしたかった。見なかったことにしたかった。
隠しても『なかった』ことにはならないのに。
「なんでよ……どうして……」
もう一度紙を開くとやはり同じことが書かれていた。
あぁもう、もう、もう、ほんと、くだらない。もうほんとやめてよ。
泣きたくなってきた。
明日登校したらまた別のイタズラをされているかもしれない。机の中に生臭い雑巾を押し込まれていたり、画鋲が刺してあったり、あぁ黒板に落書きされているかも。これからもっとずっとひどくなる。いやだ。怖い。
「なにしてんの」
反射的に声の方を向いて「あぁしまった」と後悔した。よりによって松本だった。
「なんでもない。……すぐにどくから」
私は丸めた紙をポケットに押し込む。
靴箱は名簿順なので松本はひとつ上だ。私は素知らぬふうを装いながら靴を履き替える。しゃがんだときにポケットの中でカサッと音がしてどきりとした。松本が気づくはずもないのに。
「村瀬さんずいぶん遅いじゃん。どこか見学行ってたの?」
「ううん。ちょっと保健室に用事で……。陸上部、見てきたの?」
「そ。見学者少ないらしくて大歓迎されちゃったよ」
「ふぅん。走るの早いから、良かったね」
ん、ちょっと待って。
松本が部活見学してていま帰るってことは落書きした人物は別にいるのかな。私はてっきりまた松本だと思ってたけど。
「……ねぇこれなんだけど」
私は松本の前で紙を広げた。二度三度と瞬きする様子を慎重に観察する。もし松本に心当たりがあるなら――。
「なにこれ。いつ?」
驚きとも同情ともつかない表情だった。
少なくとも私の反応を楽しんでいる様子はない。
「いま帰ろうとしたら靴箱に入ってて。六組のだれだと思う?」
「うーん。分かんないや。とりあえず先生に報告した方がいいんじゃない?」
「報告したら犯人が名乗り出ると思う?」
「まさか。『イタズラはやめましょう』で終わるだけだよ」
正論だ。
トモちゃんのペンケースが捨てられていたときも福留が注意喚起したけれど「かわいそー」と松本たちが白々しく笑っただけだ。
福留は元よりクラスのだれひとりとして問題を解決する気がない。自分と自分の周りだけ波風立たなければいいと考えているのだ。
私はそのための防波堤。必要な犠牲なのだ。
「もういいや。いまのことは忘れて」
諦めて玄関を出る。すると松本も追いかけてきた。
「ほっておくの?」
「大騒ぎしたって解決するわけじゃないから」
ゴミや土を入れられたことはあるけど落書きは初めてだ。しかもこんな早い時期に。事態は私が思っているよりも悪い方向に進んでいるのかもしれない。もし犯人が分かったとしても、対抗策が打てるかどうか分からない。
「村瀬さんって肝が据わってるね」
いつの間にか松本が肩を並べて歩いていた。ぴったり横についてくる。
「普通あんなの入れられたら気になって仕方ないのに」
「だって、どうしようもないから」
「強いね。あたしなら病んじゃうかも」
病む? 想像できない。
私をいじめて図太く卒業しようとしていた松本が。
そういえば私、松本のことほとんど知らないかも。陸上部だってこと以外、家族構成とか、趣味とか……。
目が合うとニッと笑いかけてきた。
「ねぇ来月のクラスマッチだけどさ?」
「え? あぁクラス対抗ね」
クラスマッチは年に一度、一年から三年のクラス対抗で競技する一大イベントだ。バレーかバスケかソフトボールのいずれかに参加して勝敗を競う。最後は全員参加のリレーだ。
例年、体力的に勝る三年生が優勝するけれど学年内での一位も表彰されるので体育会系のメンバーが多いクラスはかなり力を入れてくる。
「あたしどの競技に出ればいいと思う?」
一体なにを言い出すのかと思ったら。
野球部員が頑張ってくれるのでソフトボールは上位になれるけど他は可も無く不可もなくという結果だった。
「好きなものでいいんじゃない? あ……でもバレーはやめた方がいいかもね」
花岡さんと土屋さんはバレーチームに入る。わざわざ仲良くなるキッカケを与えなくてもいいだろう。
「というか、なんで私に聞くの?」
「なんとなく。じゃあリレーは何番目を走ればいい?」
「走るの得意なんでしょう、アンカーでいいじゃない」
なにが知りたいのか分からなくてイライラしてきた。
しかし松本は満足そうにうなずく。
「分かった、村瀬さんを信じるよ。じゃあね」
話は終わりとばかりに私を追い抜いていく。俊足だ。
どうにも要領を得ない話だった。一体なにを聞きたかったんだろう。
そういえば前回のクラスマッチリレーで松本は何番目を走っていただろうかと頭をひねりながらバス停へ向かった。
いま考えるべきは、目の前のこと。私がターゲットになりかけているということだ。さっきの松本の態度を見る限り、落書きの主は別にいると思う。
前は『きもい』とか『ブス』と揶揄されたことはあったけど、『うざい。きえろ』は初めてだ。
だれかにとって私は目障りな存在という意味だ。
ここまでの中学生活で大きく違うのは秋吉くんの存在だ。
彼と知り合い、恋人だと噂されたこと。それが影響したのなら彼とはもう関わらない方がいいのかもしれない。
とっさにポケットに押し込んだ。なかったことにしたかった。見なかったことにしたかった。
隠しても『なかった』ことにはならないのに。
「なんでよ……どうして……」
もう一度紙を開くとやはり同じことが書かれていた。
あぁもう、もう、もう、ほんと、くだらない。もうほんとやめてよ。
泣きたくなってきた。
明日登校したらまた別のイタズラをされているかもしれない。机の中に生臭い雑巾を押し込まれていたり、画鋲が刺してあったり、あぁ黒板に落書きされているかも。これからもっとずっとひどくなる。いやだ。怖い。
「なにしてんの」
反射的に声の方を向いて「あぁしまった」と後悔した。よりによって松本だった。
「なんでもない。……すぐにどくから」
私は丸めた紙をポケットに押し込む。
靴箱は名簿順なので松本はひとつ上だ。私は素知らぬふうを装いながら靴を履き替える。しゃがんだときにポケットの中でカサッと音がしてどきりとした。松本が気づくはずもないのに。
「村瀬さんずいぶん遅いじゃん。どこか見学行ってたの?」
「ううん。ちょっと保健室に用事で……。陸上部、見てきたの?」
「そ。見学者少ないらしくて大歓迎されちゃったよ」
「ふぅん。走るの早いから、良かったね」
ん、ちょっと待って。
松本が部活見学してていま帰るってことは落書きした人物は別にいるのかな。私はてっきりまた松本だと思ってたけど。
「……ねぇこれなんだけど」
私は松本の前で紙を広げた。二度三度と瞬きする様子を慎重に観察する。もし松本に心当たりがあるなら――。
「なにこれ。いつ?」
驚きとも同情ともつかない表情だった。
少なくとも私の反応を楽しんでいる様子はない。
「いま帰ろうとしたら靴箱に入ってて。六組のだれだと思う?」
「うーん。分かんないや。とりあえず先生に報告した方がいいんじゃない?」
「報告したら犯人が名乗り出ると思う?」
「まさか。『イタズラはやめましょう』で終わるだけだよ」
正論だ。
トモちゃんのペンケースが捨てられていたときも福留が注意喚起したけれど「かわいそー」と松本たちが白々しく笑っただけだ。
福留は元よりクラスのだれひとりとして問題を解決する気がない。自分と自分の周りだけ波風立たなければいいと考えているのだ。
私はそのための防波堤。必要な犠牲なのだ。
「もういいや。いまのことは忘れて」
諦めて玄関を出る。すると松本も追いかけてきた。
「ほっておくの?」
「大騒ぎしたって解決するわけじゃないから」
ゴミや土を入れられたことはあるけど落書きは初めてだ。しかもこんな早い時期に。事態は私が思っているよりも悪い方向に進んでいるのかもしれない。もし犯人が分かったとしても、対抗策が打てるかどうか分からない。
「村瀬さんって肝が据わってるね」
いつの間にか松本が肩を並べて歩いていた。ぴったり横についてくる。
「普通あんなの入れられたら気になって仕方ないのに」
「だって、どうしようもないから」
「強いね。あたしなら病んじゃうかも」
病む? 想像できない。
私をいじめて図太く卒業しようとしていた松本が。
そういえば私、松本のことほとんど知らないかも。陸上部だってこと以外、家族構成とか、趣味とか……。
目が合うとニッと笑いかけてきた。
「ねぇ来月のクラスマッチだけどさ?」
「え? あぁクラス対抗ね」
クラスマッチは年に一度、一年から三年のクラス対抗で競技する一大イベントだ。バレーかバスケかソフトボールのいずれかに参加して勝敗を競う。最後は全員参加のリレーだ。
例年、体力的に勝る三年生が優勝するけれど学年内での一位も表彰されるので体育会系のメンバーが多いクラスはかなり力を入れてくる。
「あたしどの競技に出ればいいと思う?」
一体なにを言い出すのかと思ったら。
野球部員が頑張ってくれるのでソフトボールは上位になれるけど他は可も無く不可もなくという結果だった。
「好きなものでいいんじゃない? あ……でもバレーはやめた方がいいかもね」
花岡さんと土屋さんはバレーチームに入る。わざわざ仲良くなるキッカケを与えなくてもいいだろう。
「というか、なんで私に聞くの?」
「なんとなく。じゃあリレーは何番目を走ればいい?」
「走るの得意なんでしょう、アンカーでいいじゃない」
なにが知りたいのか分からなくてイライラしてきた。
しかし松本は満足そうにうなずく。
「分かった、村瀬さんを信じるよ。じゃあね」
話は終わりとばかりに私を追い抜いていく。俊足だ。
どうにも要領を得ない話だった。一体なにを聞きたかったんだろう。
そういえば前回のクラスマッチリレーで松本は何番目を走っていただろうかと頭をひねりながらバス停へ向かった。
いま考えるべきは、目の前のこと。私がターゲットになりかけているということだ。さっきの松本の態度を見る限り、落書きの主は別にいると思う。
前は『きもい』とか『ブス』と揶揄されたことはあったけど、『うざい。きえろ』は初めてだ。
だれかにとって私は目障りな存在という意味だ。
ここまでの中学生活で大きく違うのは秋吉くんの存在だ。
彼と知り合い、恋人だと噂されたこと。それが影響したのなら彼とはもう関わらない方がいいのかもしれない。

