雪の降り積もる真冬の無人駅。
ここは、すぐ目の前に海が見えることで、鉄道ファンに人気のスポットだ。
余計な音は入れず、波音だけが聞こえるよう、息を殺して駅の撮影をしている。夕日が海に沈む時間帯から、終電ギリギリまで撮影を続け、いい感じに編集するつもり。
「ぼっちの私は、クリスマスムードで賑わう東京を離れ、こんな夜遅くに撮影中です」
あとで、そんな自虐テロップを入れるのもいい。そうすることで、共感を得られることを知り始めていた。
ここは人気の駅だし、再生回数も伸びそうだ。特に、私と同じような、ぼっちのオタクには喜ばれる気がする。
「あー、寒い⋯⋯」
心も体も寒くて仕方ない。こんな風に、真冬の無人駅を一人で延々と撮影していたら、当然だが。
何度も電車を見送り、その際に車体も撮影。
もうじき終電時刻だ。
ここには店も宿もないので、終着駅近くのネットカフェで泊まり、翌朝帰宅⋯⋯という予定。
誰もいないホームで電車を待っていたら、なんだかお腹の調子が怪しくなってきた。
やはり、体を冷やしたのがまずかったのか⋯⋯?
この電車の車内には、トイレがなかったはず。
足りない頭をフル回転させ、我慢して電車に乗るか、急いで駅のトイレで用を足すか考えた。
しかし、考えているうちに、お腹の調子はますます悪化。
ダメだ⋯⋯これはとても、終点まで我慢できるレベルではない!
ぎこちない走りで、私はトイレに駆け込む。早くしないと、終電を逃したら大変だ。
用を足すと、走ってホームへ戻る。
しかし、すぐ目の前で、電車は行ってしまった⋯⋯!
「うそでしょ⋯⋯」
終電を逃すといっても、都会とは訳が違う。
タクシーを拾うとか、ホテルに泊まるとか、それこそネットカフェで夜明かしするという選択肢が、ここにはないのだ。
スマホを取り出し、ここまで来てくれるタクシー会社を検索しても、ヒットしない。徒歩圏内には泊まれるような場所もない。
そうこうしている内に、バッテリー残量が2パーセントになってしまった。
こんなとき、どうしたらいいのか?
荷物を増やしたくないので、普段からスマホとイヤフォンぐらいしか持ち歩いていないのだ。
大抵はキャッシュレス決済が使えるので、財布すら要らないような時代。
便利なのはいいが、今、スマホのバッテリーが切れたら、何もかもおしまいだ。
ただオロオロしている間に、案の定、スマホの画面は真っ暗になってしまった。
どうしよう⋯⋯。
もし、今が真冬でなければ、駅舎で寝て、始発を待つという選択肢もあったが、こんな極寒の中で野宿したら、もう二度と目覚めないかもしれない。
承認欲求の動画撮影で、23歳の女子大生が無人駅で凍死。
そんなネットニュースが鮮明に頭に浮かぶ。
惨めな思いなら、これまでに嫌というほど経験してきたが、そんな最期なんて冗談じゃない!
確か、少し歩けば国道があるはず。藁にも縋る思いで、私は国道まで雪の中を歩いた。
今の私には、ヒッチハイクという方法しか残されていない。赤の他人の車に乗るなんて、相当ハイリスクなやり方だ。
それこそ、貞操の危機でもある。通常であれば悲劇だとしても、今はもう、命さえ助かれば、貞操ぐらいどうでもいいとさえ思ってしまう。
国道沿いに立っていても、車は全く通らない。
時間帯のせいもあるだろうし、近くに高速が走っているので、この走りにくい国道を選ぶ人は少ないのだろう。
たまに車が通る度に、一生懸命アピールするのだが、誰もが無視して通り過ぎてしまう。
確かに、私にしてみれば、知らない男に襲われるという危機を感じるが、相手にしてみれば、私が凶器を持った強盗だと思うのかもしれない。
しかし、このままでは凍死してしまう。
どれくらい待ったのか、時計がないのでわからないが、遠くから大型トラックと思われる車が走ってくるのが見えた。
これはもう、道路の真ん中に立ってでも止めるしかない。
しかし、トラックは、徐行することなくまっすぐ走ってくる。この周辺には明かりもないので、見えないのだろうか。
「おねがい!とまって!!」
道路の真ん中で飛び跳ねながらアピールすると、すぐ目の前でトラックは止まってくれた。
「馬鹿野郎!轢かれたいのか!?」
ドライバーは、私のことを怒鳴りつけた。
「ごめんなさい!お願いです、乗せてくれませんか?」
「何言ってんだ!こっちは仕事中なんだよ!」
私よりも、五歳か十歳ほど年上と思われる、強面のドライバーは怒っているが、ここで諦めるわけにはいかない。
「迷惑なのは承知しています。でも、スマホも財布もなくて、このままでは凍死してしまいます!どこか、近くの交番までで構わないので、乗せてくれませんか?お願いします!」
迷惑でもお構いなしで、道路の真ん中で土下座すると、ドライバーは苛立った声で、
「⋯⋯ったく。さっさと乗れ!」
そう言ってくれた。
安堵のあまり、涙がボロボロこぼれてきた。
「仕事中だって言ってんだろ!泣いてる暇があったら、とっとと乗れ」
人生初の大型トラックの助手席に乗ってからも、しばらくは涙が止まらなかった。
しかし、少し落ち着いてくると、トラックの助手席からの眺めのよさに気づく。
「トラックに乗ったのは初めてだけど、普通の車とは比べ物にならない気持ちよさがあるんですね⋯⋯こんな高いところで運転してたら、飽きることなんてなさそう」
思わず、そんな本音を呟くと、
「フン。こっちは何も好き好んでこの仕事してんじゃねえよ。お前はフリーターか?」
ドライバーは、初めてまともに口をきいてくれた。
「私は⋯⋯大学生です」
「はぁ?大学生が何バカなことやってんだか。どうせ、金さえ払えば誰でも入れる大学だろ」
「これでも一応、東大生ですが⋯⋯」
「は!?マジで何やってんだ!しかも、東京だったら方向も逆じゃねーか!」
「いいんです、交番でお金を借りて帰りますから」
ドライバーは、すっかり呆れ返った様子で、
「エリート集団の中にも、必ず規格外のバカが居るって聞くけど、本当なんだな」
あまりにもキッパリ、バカと言い切る彼。
そんな風に言われると、私の中の強い劣等感が煽られ、
「あんまりバカバカ言わないで!奇跡的に合格はしたけど、進級できないし⋯⋯もう5年通ってて、このままじゃ除籍は時間の問題です」
「あーそうかい、悪かったよ!」
そう言うと、ドライバーは黙ってカーラジオをつける。
ラジオからは、おしゃれな洋楽が流れる。
ふと、海を見やると、沖に漁火のようなものが見えた。
「こんな真夜中にも、漁ってやってるんですね」
「漁のことは知らねぇけど、東京の優雅な大学生連中には想像もつかない世界なんて、いくらでもあるんだよ」
「皮肉はやめてください。言ったじゃないですか、私は劣等生だって」
「東大の中では劣等生でも、東大に受かる奴のほうが少ないだろ」
彼は、せめてもの慰めでそう言ってくれたのかもしれない。
しかし、私の現状は、きっと、彼が想像しているようなものとは、あまりにもかけ離れている。
かつて、私はピリピリした雰囲気の進学校に通っていた。
クラスメイトだとか、友達と言っても、受験となれば誰もがライバルになってしまう。
私にも、友達と呼べる子なら居た。かりそめの恋人も。
進学校なので、東大を受験する子も割と多い。むしろ、ごく平均的な大学を受験する子のほうが少ないと言っても過言ではないだろう。
私は、模試の結果からも、東大は無理だろうと教師からも言われていたし、自分でもそう思っていた。
ただ、「東大を受けて落ちた」と言ってみたかったので、ダメ元で受けてみたのだ。
それが、まさか合格するなんて⋯⋯。
誰一人として、想定していない出来事だった。もはや、一体どんな奇跡が起きたのかと。
最初は、奇跡が起こったということに、ただ驚嘆するばかりだったが、次第に「運も能力のうち」という錯覚を起こすように。
友達は、表向きには、
「すごいじゃない!おめでとう!」
そう言ってくれていたが、ある時期から、連絡がつかなくなってしまった。
一人だけではなく、複数の友達がそうだったし、かりそめの恋人にしてもそうだった。
「ま、いいや。私は自分とレベルの合った友達を新しく作ればいいだけだしね」
そんな強気で居られたのは、入学からほんの一月程度のこと。
周りのレベルが高すぎて、とてもではないが、全くついていけないのだ。
約一年後には、まるでそれが当たり前だと言わんばかりに、留年が決定。それだけでもショックだったのに、留年は一度では済まなかった。
そして、私はもう、焦るよりも諦めばかりが強くなり、大学にもほとんど行かなくなってしまった。
大学の子とは釣り合わないし、昔の友達からは完全に嫌われている。
家族には失望され、親戚は、いい気味だと言わんばかりの雰囲気。
孤独と、自己肯定感の低さで、おかしくなりそうだった。
それまでは、SNSに夢中な若者のことなどバカにしていたが、趣味の延長線で、無人駅の動画を撮影して投稿すると、思いがけず多くの人に見てもらえるようになった。
現実では誰にも必要とされていなくても、オンラインの世界では、私の動画を待っていてくれる人たちがいる。
それがエスカレートし、動画撮影が自分の世界になってしまい、その結果、今回のような愚かなことにまで発展したというわけである。
そんな、くだらない身の上話を、ぽつり、ぽつりとドライバーに語ったが、彼の横顔からは、興味がなさそうに見えた。
トラックは、小さな町にたどり着き、ドライバーは、あるホテルの駐車場に車を停めた。
こういうことになるのも覚悟の上でのヒッチハイクだったのだが、いざとなると、やはり怖くなってしまった。
「おい、これ」
相変わらず不機嫌そうなドライバーは、くしゃくしゃの万札を二枚、私に押し付けた。
このお金で私を買うということなのか⋯⋯そう失望していたら、
「足りないなんて言うんじゃねえぞ。今夜はこの安いビジネスホテルに泊まって、あとは高速バスで帰れば、東京までは一万もかからないし、充分だろ」
私の予想とは全く違い、お金を貸してくれるという意味だった。
「でも⋯⋯二万円も借りていいんですか?」
「俺は、返ってこなくても許せる分しか貸さない主義だからな」
「そんな⋯⋯!必ず返します!ですから、お名前と連絡先を教えてください」
私がそう言っても、彼は面倒くさそうに、
「ごちゃごちゃ言ってねえで、早く行けよ。俺が仕事中だってことを忘れんな」
私が、必ず返すとか、連絡先を⋯⋯と食い下がっても、彼は徹底的に突っぱねて、最終的にはトラックから降ろされてしまった。
去っていくトラックに向かって、大声でありがとうございますと叫び、深々と頭を下げても、何のリアクションもなく去っていく。
ホテルのベッドで横になっても、なかなか眠れなかった。
彼は、確かに口は悪かったが、何者かわからない私のことを乗せてくれて、何の見返りもなく、二万円を渡して去っていった。
ずっと、劣等感と孤独でいっぱいだった私は、久しぶりに人の優しさにふれた気がする。
あたたかな涙が止まらなくて、そのまま眠りに落ちた。
翌日、無事に高速バスで帰ることができた私。
この出来事について、動画で配信しようと思い、編集していたのだが⋯⋯。
私は、いつもの承認欲求の為ではなく、彼が見てくれないかと思ったのだ。
しかし、フォロワーもそう多くはないし、無人駅というマニアックな内容の動画を、彼が見てくれる可能性は低い。
あの夜の出来事から、私はあれこれ考えた。
もう、動画の配信はやめよう。
そして、これ以上、大学に籍を置いていても、除籍は時間の問題なので、親に謝罪の手紙を書き、退学することに。
最初から、私はエリートコースを歩けるような人間ではなかったのだ。
それに、エリートよりも、あのドライバーの彼のように、見返りを求めることなく誰かを助けられるような人になりたい。
強がりでも何でもなく、心からそう思える。
新年度を前に、何か新しい道を見つけよう。
今はまだ、それが何かはわからないけれど⋯⋯。
そうだ。
あのトラックからの眺め、本当に気持ちがよかったな。
トラックドライバーになったら、いつかまた、どこかで彼と再会できるだろうか?
どんな道を選んだとしても、もう、周りと比べて一喜一憂するような自分からは卒業したい。
今の気持ちを忘れず、ずっと大事にして⋯⋯。
The End
ここは、すぐ目の前に海が見えることで、鉄道ファンに人気のスポットだ。
余計な音は入れず、波音だけが聞こえるよう、息を殺して駅の撮影をしている。夕日が海に沈む時間帯から、終電ギリギリまで撮影を続け、いい感じに編集するつもり。
「ぼっちの私は、クリスマスムードで賑わう東京を離れ、こんな夜遅くに撮影中です」
あとで、そんな自虐テロップを入れるのもいい。そうすることで、共感を得られることを知り始めていた。
ここは人気の駅だし、再生回数も伸びそうだ。特に、私と同じような、ぼっちのオタクには喜ばれる気がする。
「あー、寒い⋯⋯」
心も体も寒くて仕方ない。こんな風に、真冬の無人駅を一人で延々と撮影していたら、当然だが。
何度も電車を見送り、その際に車体も撮影。
もうじき終電時刻だ。
ここには店も宿もないので、終着駅近くのネットカフェで泊まり、翌朝帰宅⋯⋯という予定。
誰もいないホームで電車を待っていたら、なんだかお腹の調子が怪しくなってきた。
やはり、体を冷やしたのがまずかったのか⋯⋯?
この電車の車内には、トイレがなかったはず。
足りない頭をフル回転させ、我慢して電車に乗るか、急いで駅のトイレで用を足すか考えた。
しかし、考えているうちに、お腹の調子はますます悪化。
ダメだ⋯⋯これはとても、終点まで我慢できるレベルではない!
ぎこちない走りで、私はトイレに駆け込む。早くしないと、終電を逃したら大変だ。
用を足すと、走ってホームへ戻る。
しかし、すぐ目の前で、電車は行ってしまった⋯⋯!
「うそでしょ⋯⋯」
終電を逃すといっても、都会とは訳が違う。
タクシーを拾うとか、ホテルに泊まるとか、それこそネットカフェで夜明かしするという選択肢が、ここにはないのだ。
スマホを取り出し、ここまで来てくれるタクシー会社を検索しても、ヒットしない。徒歩圏内には泊まれるような場所もない。
そうこうしている内に、バッテリー残量が2パーセントになってしまった。
こんなとき、どうしたらいいのか?
荷物を増やしたくないので、普段からスマホとイヤフォンぐらいしか持ち歩いていないのだ。
大抵はキャッシュレス決済が使えるので、財布すら要らないような時代。
便利なのはいいが、今、スマホのバッテリーが切れたら、何もかもおしまいだ。
ただオロオロしている間に、案の定、スマホの画面は真っ暗になってしまった。
どうしよう⋯⋯。
もし、今が真冬でなければ、駅舎で寝て、始発を待つという選択肢もあったが、こんな極寒の中で野宿したら、もう二度と目覚めないかもしれない。
承認欲求の動画撮影で、23歳の女子大生が無人駅で凍死。
そんなネットニュースが鮮明に頭に浮かぶ。
惨めな思いなら、これまでに嫌というほど経験してきたが、そんな最期なんて冗談じゃない!
確か、少し歩けば国道があるはず。藁にも縋る思いで、私は国道まで雪の中を歩いた。
今の私には、ヒッチハイクという方法しか残されていない。赤の他人の車に乗るなんて、相当ハイリスクなやり方だ。
それこそ、貞操の危機でもある。通常であれば悲劇だとしても、今はもう、命さえ助かれば、貞操ぐらいどうでもいいとさえ思ってしまう。
国道沿いに立っていても、車は全く通らない。
時間帯のせいもあるだろうし、近くに高速が走っているので、この走りにくい国道を選ぶ人は少ないのだろう。
たまに車が通る度に、一生懸命アピールするのだが、誰もが無視して通り過ぎてしまう。
確かに、私にしてみれば、知らない男に襲われるという危機を感じるが、相手にしてみれば、私が凶器を持った強盗だと思うのかもしれない。
しかし、このままでは凍死してしまう。
どれくらい待ったのか、時計がないのでわからないが、遠くから大型トラックと思われる車が走ってくるのが見えた。
これはもう、道路の真ん中に立ってでも止めるしかない。
しかし、トラックは、徐行することなくまっすぐ走ってくる。この周辺には明かりもないので、見えないのだろうか。
「おねがい!とまって!!」
道路の真ん中で飛び跳ねながらアピールすると、すぐ目の前でトラックは止まってくれた。
「馬鹿野郎!轢かれたいのか!?」
ドライバーは、私のことを怒鳴りつけた。
「ごめんなさい!お願いです、乗せてくれませんか?」
「何言ってんだ!こっちは仕事中なんだよ!」
私よりも、五歳か十歳ほど年上と思われる、強面のドライバーは怒っているが、ここで諦めるわけにはいかない。
「迷惑なのは承知しています。でも、スマホも財布もなくて、このままでは凍死してしまいます!どこか、近くの交番までで構わないので、乗せてくれませんか?お願いします!」
迷惑でもお構いなしで、道路の真ん中で土下座すると、ドライバーは苛立った声で、
「⋯⋯ったく。さっさと乗れ!」
そう言ってくれた。
安堵のあまり、涙がボロボロこぼれてきた。
「仕事中だって言ってんだろ!泣いてる暇があったら、とっとと乗れ」
人生初の大型トラックの助手席に乗ってからも、しばらくは涙が止まらなかった。
しかし、少し落ち着いてくると、トラックの助手席からの眺めのよさに気づく。
「トラックに乗ったのは初めてだけど、普通の車とは比べ物にならない気持ちよさがあるんですね⋯⋯こんな高いところで運転してたら、飽きることなんてなさそう」
思わず、そんな本音を呟くと、
「フン。こっちは何も好き好んでこの仕事してんじゃねえよ。お前はフリーターか?」
ドライバーは、初めてまともに口をきいてくれた。
「私は⋯⋯大学生です」
「はぁ?大学生が何バカなことやってんだか。どうせ、金さえ払えば誰でも入れる大学だろ」
「これでも一応、東大生ですが⋯⋯」
「は!?マジで何やってんだ!しかも、東京だったら方向も逆じゃねーか!」
「いいんです、交番でお金を借りて帰りますから」
ドライバーは、すっかり呆れ返った様子で、
「エリート集団の中にも、必ず規格外のバカが居るって聞くけど、本当なんだな」
あまりにもキッパリ、バカと言い切る彼。
そんな風に言われると、私の中の強い劣等感が煽られ、
「あんまりバカバカ言わないで!奇跡的に合格はしたけど、進級できないし⋯⋯もう5年通ってて、このままじゃ除籍は時間の問題です」
「あーそうかい、悪かったよ!」
そう言うと、ドライバーは黙ってカーラジオをつける。
ラジオからは、おしゃれな洋楽が流れる。
ふと、海を見やると、沖に漁火のようなものが見えた。
「こんな真夜中にも、漁ってやってるんですね」
「漁のことは知らねぇけど、東京の優雅な大学生連中には想像もつかない世界なんて、いくらでもあるんだよ」
「皮肉はやめてください。言ったじゃないですか、私は劣等生だって」
「東大の中では劣等生でも、東大に受かる奴のほうが少ないだろ」
彼は、せめてもの慰めでそう言ってくれたのかもしれない。
しかし、私の現状は、きっと、彼が想像しているようなものとは、あまりにもかけ離れている。
かつて、私はピリピリした雰囲気の進学校に通っていた。
クラスメイトだとか、友達と言っても、受験となれば誰もがライバルになってしまう。
私にも、友達と呼べる子なら居た。かりそめの恋人も。
進学校なので、東大を受験する子も割と多い。むしろ、ごく平均的な大学を受験する子のほうが少ないと言っても過言ではないだろう。
私は、模試の結果からも、東大は無理だろうと教師からも言われていたし、自分でもそう思っていた。
ただ、「東大を受けて落ちた」と言ってみたかったので、ダメ元で受けてみたのだ。
それが、まさか合格するなんて⋯⋯。
誰一人として、想定していない出来事だった。もはや、一体どんな奇跡が起きたのかと。
最初は、奇跡が起こったということに、ただ驚嘆するばかりだったが、次第に「運も能力のうち」という錯覚を起こすように。
友達は、表向きには、
「すごいじゃない!おめでとう!」
そう言ってくれていたが、ある時期から、連絡がつかなくなってしまった。
一人だけではなく、複数の友達がそうだったし、かりそめの恋人にしてもそうだった。
「ま、いいや。私は自分とレベルの合った友達を新しく作ればいいだけだしね」
そんな強気で居られたのは、入学からほんの一月程度のこと。
周りのレベルが高すぎて、とてもではないが、全くついていけないのだ。
約一年後には、まるでそれが当たり前だと言わんばかりに、留年が決定。それだけでもショックだったのに、留年は一度では済まなかった。
そして、私はもう、焦るよりも諦めばかりが強くなり、大学にもほとんど行かなくなってしまった。
大学の子とは釣り合わないし、昔の友達からは完全に嫌われている。
家族には失望され、親戚は、いい気味だと言わんばかりの雰囲気。
孤独と、自己肯定感の低さで、おかしくなりそうだった。
それまでは、SNSに夢中な若者のことなどバカにしていたが、趣味の延長線で、無人駅の動画を撮影して投稿すると、思いがけず多くの人に見てもらえるようになった。
現実では誰にも必要とされていなくても、オンラインの世界では、私の動画を待っていてくれる人たちがいる。
それがエスカレートし、動画撮影が自分の世界になってしまい、その結果、今回のような愚かなことにまで発展したというわけである。
そんな、くだらない身の上話を、ぽつり、ぽつりとドライバーに語ったが、彼の横顔からは、興味がなさそうに見えた。
トラックは、小さな町にたどり着き、ドライバーは、あるホテルの駐車場に車を停めた。
こういうことになるのも覚悟の上でのヒッチハイクだったのだが、いざとなると、やはり怖くなってしまった。
「おい、これ」
相変わらず不機嫌そうなドライバーは、くしゃくしゃの万札を二枚、私に押し付けた。
このお金で私を買うということなのか⋯⋯そう失望していたら、
「足りないなんて言うんじゃねえぞ。今夜はこの安いビジネスホテルに泊まって、あとは高速バスで帰れば、東京までは一万もかからないし、充分だろ」
私の予想とは全く違い、お金を貸してくれるという意味だった。
「でも⋯⋯二万円も借りていいんですか?」
「俺は、返ってこなくても許せる分しか貸さない主義だからな」
「そんな⋯⋯!必ず返します!ですから、お名前と連絡先を教えてください」
私がそう言っても、彼は面倒くさそうに、
「ごちゃごちゃ言ってねえで、早く行けよ。俺が仕事中だってことを忘れんな」
私が、必ず返すとか、連絡先を⋯⋯と食い下がっても、彼は徹底的に突っぱねて、最終的にはトラックから降ろされてしまった。
去っていくトラックに向かって、大声でありがとうございますと叫び、深々と頭を下げても、何のリアクションもなく去っていく。
ホテルのベッドで横になっても、なかなか眠れなかった。
彼は、確かに口は悪かったが、何者かわからない私のことを乗せてくれて、何の見返りもなく、二万円を渡して去っていった。
ずっと、劣等感と孤独でいっぱいだった私は、久しぶりに人の優しさにふれた気がする。
あたたかな涙が止まらなくて、そのまま眠りに落ちた。
翌日、無事に高速バスで帰ることができた私。
この出来事について、動画で配信しようと思い、編集していたのだが⋯⋯。
私は、いつもの承認欲求の為ではなく、彼が見てくれないかと思ったのだ。
しかし、フォロワーもそう多くはないし、無人駅というマニアックな内容の動画を、彼が見てくれる可能性は低い。
あの夜の出来事から、私はあれこれ考えた。
もう、動画の配信はやめよう。
そして、これ以上、大学に籍を置いていても、除籍は時間の問題なので、親に謝罪の手紙を書き、退学することに。
最初から、私はエリートコースを歩けるような人間ではなかったのだ。
それに、エリートよりも、あのドライバーの彼のように、見返りを求めることなく誰かを助けられるような人になりたい。
強がりでも何でもなく、心からそう思える。
新年度を前に、何か新しい道を見つけよう。
今はまだ、それが何かはわからないけれど⋯⋯。
そうだ。
あのトラックからの眺め、本当に気持ちがよかったな。
トラックドライバーになったら、いつかまた、どこかで彼と再会できるだろうか?
どんな道を選んだとしても、もう、周りと比べて一喜一憂するような自分からは卒業したい。
今の気持ちを忘れず、ずっと大事にして⋯⋯。
The End

