「お兄ちゃん……」

 お兄ちゃんの服の布を握って胸元に顔を埋めた。
 服越しでもわかるお兄ちゃんの硬い胸は鼓動が速くて。
 お兄ちゃんも張り詰めていたんだと伝わってくるようだった。

 「苦しかったよな。あれだけ好きだった流星がいきなり死んで……。しかも自分と待ち合わせしている時に」
 「……」
 「流星の通夜の翌日から、明紗は何事もなかったように振る舞いだしていたよな。それが俺は心配だった。だけど、明紗に心無い言葉を浴びせた俺のせいかもしれないって思い当たるのが怖かった」
 「……」
 「俺もガキすぎて流星が死んで余裕がなくて。だから明紗から逃げ出した。本当にごめん」
 「もう謝らないで」

 二人で寄り添って、傷を共有するように、とめどなく涙を流し続ける。
 お兄ちゃんのことは変わらず好きだった。
 だけど、あのお兄ちゃんの台詞が呪縛のように私をむしばみ続けていたのも事実としてある。

 「流星をひいたトラックの運転手も、まともに休みをとらせてもらえないまま何連勤もしていたって聞いた」
 「……」
 「運転手にも家族がいて、子どもがまだ幼くて、でも流星の命を奪って、逮捕されて……。やるせなくなるよな。本当に」
 「……」
 「──俺、アメリカの大学に進学する」
 「え?」
 「その関係で3連休だけど、こっちに来ていた」
 「……」
 「学校が始まるのは来年の9月からだけど。5月には向こう行って準備する」
 「そう……なんだ」

 お兄ちゃんは高校を卒業しても、この家で生活するわけじゃない。
 一抹の寂しさが過ったけれど、

 「明紗。俺たちは今を生きよう」

 お兄ちゃんにしっかりと目の奥を見つめられて、そう言われた。

 「流星の死は大きすぎた。俺は、このまま一生、引き摺ると思う」
 「……」
 「それでも、今を生きるしかない。なかなか明紗に謝れなかった俺がいうのもなんだけど」
 「……」
 「明紗が今、大切にしたいと思うものをできる限り精一杯大切にしてほしい」
 「……」
 「俺も頑張るから」

 私が今、大切にしたいと思うもの……。
 はっと壁時計を確認すると、もう10時になろうとしている。
 今から行ったとしても、着く頃にはすでに試合は終わっているかもしれない。

 「お兄ちゃん、ごめん! 私、今からどうしても行かなきゃいけないところがある」

 立ち上がって、急いでバッグに必要なものを詰め込む。
 机の上に置かれていた流星に作ったユニフォーム型のお守りと蓮先輩にお土産でもらったおにぎりポリスのキーホルダーのうち、おにぎりポリスだけをバッグにいれた。

 「──気を付けて行けよ。俺ももう寮に戻る。明紗、また連絡する」
 「うん。行ってきます」

 お兄ちゃんに背中を押されるように、私は家を出て駅に向かった。